狸でも赤シャツでも、人物から言えばおれよりも下等だが、弁舌はなかなか達者だから、まずいことを喋って揚げ足を取られても面白くない。
ちょっと腹案を作ってみようと、胸の中で文章を組み立てていた。
すると、前に座っていた野だが突然起立したのには驚いた。
野だのくせに意見を述べるなんて生意気だ。
野だは例のへらへらした調子で話し始めた。
「実に今回のバッタ事件及び突撃事件は、我々心ある職員をして、ひそかに我が校の将来に危惧の念を抱かせるに足る珍事でありまして、我々職員たるものはこの際、奮って自ら省みて、全校の風紀を振粛(引き締め)しなければなりません。
それで、ただ今校長及び教頭のお述べになったお説は、実に核心を突いた切実なお考えで、私は徹頭徹尾賛成いたします。
どうか、なるべく寛大なご処分を仰ぎたいと思います」
野だの言うことは言葉は並んでいるが意味がない。漢語をただ並べているだけで、訳がわからない。
わかったのは「徹頭徹尾賛成いたします」という言葉だけだ。
おれは野だの言っている意味はわからなかったが、なんだか非常に腹が立ったから、腹案もできないうちに立ち上がってしまった。
「私は徹頭徹尾反対です……」
と言ったが、あとが急に出てこない。
「……そんな頓珍漢な処分は大嫌いです」
と付け加えたら、職員が一同笑い出した。
「一体、生徒が完全に悪いです。どうしても謝らせなくちゃ、癖になります。退校させても構いません。……なんだ、失敬な。新しく来た教師だと思って……」
と言って着席した。すると右隣に座っていた博物の先生が、「生徒が悪いのは確かですが、あまり厳重な罰を与えると、かえって反動が起きてよくないのではないでしょうか。やはり教頭先生のおっしゃる通り、寛大な処分という意見に賛成します」と、弱腰なことを言った。
左隣の漢文の先生も、穏便に済ませる案に賛成だと言った。
歴史の先生も、教頭と同じ意見だと言った。
忌々しい。大抵の連中は赤シャツの味方だ。
こんな連中が集まって学校を運営しているなんて、先が思いやられる。
おれは生徒に謝らせるか、さもなければ辞職するか、そのどちらかしかないと決めていたから、もし赤シャツの意見が通るようなら、すぐに家に帰って荷造りをする覚悟でいた。
どうせ、こんな連中を議論で言い負かすような器用な真似はできないし、仮に屈服させたところで、いつまでも付き合いたい相手でもない。
学校にいないと決まれば、その後がどうなろうと知ったことか。
また何か発言すれば、どうせ笑われるに決まっている。
誰が喋るもんかと、黙り込んで澄ましていた。
すると、今まで黙って聞いていた山嵐が、勢いよく立ち上がった。
「野郎、また赤シャツに賛成するのか。どうせ貴様とは喧嘩になるんだ、勝手にしろ」と見ていたら、山嵐は窓ガラスが震えるような大声でこう言った。
「私は教頭先生およびその他の諸君の意見には、全く同意できません。というのも、この事件はどの点から見ても、五十名の寄宿生が新しく来た教師である某氏を軽んじ、面白半分に翻弄しようとした行為としか認められませんからであります。
教頭先生はその原因を、教師自身の人物の問題に求めようとされているようですが、失礼ながらそれは失言かと思います。
某氏が宿直を担当したのは赴任してすぐのことであり、まだ生徒と接してから二十日も経っていない時期であります。この短い二十日間で、生徒が彼の学問や人物を正しく評価できるはずがありません。
軽んじられても仕方がない正当な理由があって軽んじられたのなら、生徒の行為に酌量の余地もあるでしょう。しかし、何らの原因もないのに新しく来た先生を愚弄するような軽薄な生徒を許しては、学校の威信に関わります。
教育の精神とは、単に学問を授けることだけではありません。高尚で、正直で、武士らしい元気を鼓吹すると同時に、野卑で、軽はずみで、傲慢な悪風を掃討することにあるはずです。
もし『反動が恐ろしい』だの『騒動が大きくなる』だのといった姑息なことを言っていたら、いつこの悪癖を矯正できるか分かりません。
こうした悪い風習を絶つためにこそ、我々はこの学校に職を奉じているのです。これを見逃すくらいなら、最初から教師にならない方がましです。
私は以上の理由から、寄宿生全員を厳しく処分した上で、当該教師の面前で公に謝罪させるのが至当な処置であると考えます」
そう言って、山嵐はどしりと腰を下ろした。
一同は黙り込み、誰も何も言わない。
赤シャツはまたパイプを拭き始めた。
おれはなんだか非常に嬉しかった。
おれが言おうと思っていたことを、おれの代わりに山嵐がすべて言ってくれたようなものだからだ。
おれは単純な人間だから、今までの喧嘩のことなどすっかり忘れて、「本当にありがたい」という顔をして、腰を下ろした山嵐の方を見た。しかし山嵐は、こちらを全く知らん顔している。
しばらくして、山嵐はまた立ち上がった。
「先ほど少し言い忘れたことがありましたので、付け加えます。
当夜の宿直員は、宿直中に外出して温泉に行かれたようですが、あれはもってのほかだと考えます。
いくら一校の留守番を任されているとはいえ、咎める者がいないのをいいことに、場所をわきまえず温泉などへ入浴しに行くとは、大きな失態です。
生徒は生徒として、この点については校長から、特に責任者へ注意していただくよう希望します」
妙な奴だ。褒めてくれたと思ったら、すぐあとから人の失敗を暴き立てる。
おれは何の気なしに、前の宿直担当者が出歩いていたのを知って、それがこの学校の習慣だと思ってつい温泉まで行ってしまったのだが、なるほどそう言われてみれば、これはおれが悪かった。
攻撃されても仕方がない。
そこでおれはまた立ち上がって、「私は確かに宿直中に温泉に行きました。これは全く悪かった。謝ります」と言って着席したら、一同がまた笑い出した。
おれが何か言うたびに笑う。つまらん連中だ。
貴様らはこれほど自分の悪い点を公の場で認めることができるか。できないから笑うんだろう。
それから校長が、「もう大体意見も出揃ったようですから、よく考えた上で処分を決めましょう」と言った。
ついでだからその結果を言っておくと、寄宿生は一週間の外出禁止になった上に、おれの前へ出て謝罪をした。
謝罪をしなかったらその時に辞職して帰るところだったが、なまじおれの言う通りになったものだから、とうとう大変なことになってしまった。
それは後から話すが、校長はこの時、会議の締めくくりとしてこんなことを言った。
「生徒の風紀は、教師の感化によって正していかなくてはなりません。その第一歩として、教師はなるべく飲食店などに出入りしないようにしたい」「送別会などの特別な集まりならともかく、一人で蕎麦屋や団子屋といったあまり品のない場所へ行くのは控えたいものですね」と赤シャツが言いかけたところで、またみんながクスクスと笑い出した。
野だは山嵐の顔を見て「天ぷら」と口パクしながら目配せしたが、山嵐は全く相手にしなかった。
いい気味だ。
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