初級翻訳・坊つちやん 第3話

坊つちやん

清に聞いてみました。
「どこかへ奉公でもする気かね?」と聞くと、清は「あなたがおうちを持って、奥さまをもらうまでは、仕方がないから甥の厄介になりましょう」と、ようやく決心した返事をしました。
この甥というのは裁判所の書記で、今日一日食うには困らない暮らしをしていたので、今までも清に「来るなら来い」と二、三度勧めていたのですが、清は「たとえ下女奉公であっても、長年住み慣れた家の方がいい」と言って応じませんでした。
しかし今となっては、知らない屋敷へ奉公替えをして余計な気苦労をするより、甥の世話になる方がましだと思ったのでしょう。
それにしても、早く家を持てだの、妻をもらえだの、そうすれば自分が来て世話をすると言います。親身の甥よりも、他人の自分の方が好きなのだろうと思いました。

九州へ立つ二日前、兄が下宿へやってきて、金を六百円出し、「これを資本にして商売をするなり、学資にして勉強するなり、どうでも自由に使うがいい。その代わり、あとは構わないぞ」と言いました。
兄にしては感心なやり方です。正直、六百円くらいもらわなくても困りはしませんでしたが、例にはない淡白な処置が気に入ったので、礼を言って受け取っておきました。
兄はそれから五十円出し、「これをついでに清に渡してくれ」と言ったので、異議なく引き受けました。
二日経って新橋の駅で別れて以来、兄には一度も会っていません。

おれは六百円の使い道について、寝ながら考えました。
商売をしたって面倒くさいだけでうまくいくはずがないし、そもそも六百円の資本で商売らしい商売ができるわけもありません。よしんばできたとしても、今のような状態では人の前に出て「教育を受けた」などと威張ることができず、結局損をするだけでしょう。
資本なんてどうでもいいから、これを学資にして勉強してやろう。六百円を三で割って、一年に二百円ずつ使えば三年間は勉強ができる。三年間一生懸命やれば、何かを成し遂げられるはずだ。
それから、どこの学校に入ろうかと考えましたが、学問というものは生来どれもこれも好きではありません。ことに語学とか文学といったものは、まっぴらごめんでした。新体詩なんてものになると、二十行あるうちの一行だって意味が分かりません。
どうせ嫌いなものなら何を学んだって同じことだと思いましたが、運よく物理学校の前を通りかかったら生徒募集の広告が出ていたので、これも何かの縁だと思って規則書をもらい、すぐに入学の手続きをしてしまいました。
今にして思えば、これも親譲りの無鉄砲さから起きた失敗でした。
三年間、まあ人並みに勉強はしましたが、別段出来が良いわけでもないので、成績順位はいつも下から数えるほうが早いくらいでした。
ところが不思議なもので、三年経ったらとうとう卒業してしまいました。
自分でもおかしいと思いましたが、文句を言う筋合いでもないので、おとなしく卒業しておきました。
卒業して八日目に校長が呼びに来たので、何か用事だろうと思って出かけていくと、四国あたりの中学校で数学の教師が必要だという話でした。
月給は四十円だが、行ってはどうだという相談なのです。
私は三年間学問をしましたが、実を言うと教師になる気も、田舎へ行く考えも、これっぽっちもありませんでした。
もっとも、教師以外に何をしようというあてもなかったので、この相談を受けた時、「行きましょう」と即座に返事をしてしまいました。
これも親譲りの無鉄砲さが災いしたのです。
引き受けた以上は、赴任しなければなりません。
この三年間は四畳半に引きこもって生活していましたが、小言を言われたことは一度もありませんでした。
誰かと喧嘩することもなく、私の生涯の中では比較的のんびりとした時期でした。
しかしこうなると、この四畳半も引き払わなければなりません。
生まれてから東京以外の土地に足を踏み出したのは、同級生と一緒に鎌倉へ遠足に行った時だけです。
今度は鎌倉どころではありません。
とんでもなく遠いところへ行かなければならないのです。
地図で見ると、海辺に針の先ほど小さく見える場所です。
どうせろくな所ではないでしょう。
どんな町で、どんな人が住んでいるのかも分かりません。
分からなくても困ることはありません。
心配にもなりません。
ただ行くだけです。
もっとも、少々面倒くさい気持ちはありました。
家を引き払ってからも、清のところへは時々顔を出しました。
清の甥というのは、意外としっかりした良い人です。
私が行くたびに、家にいさえすれば、あれこれと親切にもてなしてくれました。
清は私を目の前に置いて、私の自慢話を甥に聞かせたりしました。
「近いうちに学校を卒業したら、麹町あたりに屋敷を買って、立派な役所へ通うようになるんですよ」などと吹聴することもありました。
自分ひとりで勝手に喋りまくるので、私は困って顔を赤くするしかありません。
それも一度や二度ではありませんでした。
時には、私が小さい頃におねしょをした話まで持ち出すので、これには参りました。
甥がどんな気持ちで清の自慢話を聞いていたのかは分かりません。
ただ、清は昔気質の女なので、自分と私の関係を封建時代の主従関係のように考えていたのです。
「自分の主人なのだから、甥にとっても主人に違いない」と納得していたのでしょう。
甥こそいい迷惑です。
いよいよ出発の日取りが決まり、もう立つという三日前に清を訪ねると、北向きの三畳間で風邪を引いて寝込んでいました。
私が来たのを見て起き上がるなり、「坊っちゃん、いつ家をお持ちなさるんですか?」と聞いてきました。
卒業さえすれば、金が自然とポケットの中に湧いて出てくると思っているのです。
これほど大きな大人をつかまえて、いまだに「坊っちゃん」と呼ぶのは、いよいよ馬鹿げています。
私は「当分、家なんて持たないよ。田舎へ行くんだ」と言ったら、ひどく失望した様子で、白髪混じりの髪の乱れをしきりに撫でていました。
あまりに気の毒なので、「行くことは行くが、すぐに帰ってくる。来年の夏休みにはきっと帰るよ」と慰めてやりました。
それでも妙な顔をしているので、「何をお土産に買ってきてやろうか? 何が欲しい?」と聞いてみると、「越後の笹飴が食べたい」と言いました。
越後の笹飴なんて聞いたこともありません。
第一、行く方角が全く違います。
「俺の行く田舎には笹飴はなさそうだよ」と言って聞かせると、「それなら、どっちの見当ですか?」と聞き返してきました。
「西の方だよ」と言うと、「箱根の先ですか、手前ですか?」と問うのです。
これには随分と持て余しました。
出発の日には朝から来て、いろいろと世話を焼いてくれました。
来る途中に小間物屋で買ってきた歯磨き粉と楊枝と手拭いを、ズックの革鞄に詰め込んでくれました。
「そんなものは要らない」と言っても、なかなか聞き入れません。
人力車を並べて停車場へ着き、プラットホームへ上がったとき、車に乗り込んだ私の顔をじっと見つめて、「もうお別れになるかも知れません。どうぞ、ご機嫌よう」と小さな声で言いました。
目に涙がいっぱい溜まっています。
私は泣きませんでした。
しかし、もう少しで泣くところでした。

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