子供の頃からそんな教育を受けているから、ひねくれていて、植木鉢の楓みたいに小さくまとまった人間ができあがるんだ。
無邪気なら一緒に笑ってやることもできるが、こいつらは違う。
子供のくせに、変に毒気を含んでいる。
俺は黙って「天麩羅」の文字を消すと、「こんないたずらが面白いか。卑怯な冗談だ。君たちは卑怯という意味を知っているか?」と言ってやった。すると、「自分がしたことを笑われて怒るのが卑怯なんじゃないですか?」と答えた奴がいた。
嫌な奴だ。
わざわざ東京から、こんな奴らを教えに来たのかと思うと情けなくなった。
「余計な減らず口を叩かないで勉強しろ」と言って、授業を始めてしまった。
それから次の教室へ行くと、「天麩羅を食うと減らず口が利きたくなるものなり」と書いてある。
どうにも始末に負えない。
あまりに腹が立ったので、「そんな生意気な奴らは教えない」と言って、スタスタと帰ってきてやった。
生徒たちは休み時間が増えて喜んだそうだ。
こうなると、学校より骨董品を押し付けられる方がまだマシかもしれない。
天麩羅そばの件も、家に帰って一晩寝たらそこまで腹も立たなくなった。
翌日学校へ行ってみると、生徒たちも普通に出席している。
なんだかよく分からない連中だ。
それから三日ほどは何事もなく過ぎたが、四日目の晩に住田という所へ行って団子を食べてきた。
この住田という町は温泉があるところで、城下町からは汽車で十分、歩いても三十分で行ける。料理屋や温泉宿、公園がある上に遊郭まである。
俺が入った団子屋は遊郭の入り口にあって、大変うまいという評判だったので、温泉の帰りに寄ってみたのだ。
今度は生徒にも会わなかったから誰も知るまいと思っていたら、翌日学校へ行って一時間目の教室へ入ると、「団子二皿七銭」と書いてある。
実際、俺は二皿食べて七銭払ったのだ。
本当に厄介な奴らだ。
二時間目にもきっと何かあるだろうと思っていると、「遊郭の団子、旨い旨い」と書いてある。
呆れ返るような連中だ。
団子の件はそれで済んだと思ったら、今度は「赤手拭」というものが評判になった。
何のことかと思えば、つまらない理由だ。
俺はここへ来てから、毎日住田の温泉へ行くことに決めている。
他の場所は何を見ても東京の足元にも及ばないが、温泉だけは立派なものだ。
せっかく来たのだから毎日入ってやろうという気で、夕食前に運動がてら出かける。
そのとき、必ず大きめの西洋手拭いをぶら下げていくのだが、この手拭いが湯に浸かったせいで赤い縞模様が色落ちし、一見すると全体が紅色に見える。
俺はこの手拭いを、行きも帰りも、汽車に乗っている時も歩いている時も、いつもぶら下げている。
それで生徒たちが俺のことを「赤手拭、赤手拭」と呼ぶようになったらしい。
狭い土地に住んでいると、何をするにもうるさくて仕方がない。
それだけではない。
温泉は三階建ての新築で、上等な席にすると浴衣を貸してくれて、流し(洗い場)もついて八銭で済む。その上、女中が天目茶碗にお茶をのせて運んできてくれる。
俺はいつもその上等な席を利用していた。
すると、四十円の月給で毎日上等な席に入るのは贅沢だと陰口を叩き出した。
余計なお世話だ。
まだある。
湯船は花崗岩を積み上げて造られ、十五畳くらいの広さに仕切られている。
たいていは十三、四人入っているが、たまに誰もいないことがある。
深さは立って胸のあたりまであるから、運動のために湯の中で泳ぐのはなかなか愉快だ。
俺は人のいないのを見計らっては、十五畳の湯船を泳ぎ回って楽しんでいた。
ところがある日、三階から威勢よく下りてきて、「今日も泳げるかな」と脱衣所の入り口を覗いてみると、大きな札に「湯の中で泳ぐべからず」と黒々と書いて貼り付けてある。
湯の中で泳ぐ奴なんて他にいるはずがないから、この貼り紙は俺のために特別に新調したのかもしれない。
俺はそれ以来、泳ぐことを諦めた。
泳ぐのは諦めたが、学校へ行ってみると、例のごとく黒板に「湯の中で泳ぐべからず」と書いてあるのには驚かされた。
なんだか生徒全員が、俺一人をターゲットにして探偵でもしているような気分になった。
本当に、嫌な気分だ。生徒たちが何を言おうと、やるべきことをやめるような俺ではない。とはいえ、なぜこんなに狭苦しくて息が詰まるような場所へ来てしまったのかと思うと、情けなくなってくる。
そんな気持ちで家に帰っても、相変わらず骨董品を押し付けられる毎日だ。
四
学校には宿直制度があり、職員が交代で泊まり込みを務めることになっている。ただし、「狸」こと校長と「赤シャツ」こと教頭だけは例外だ。
なぜこの二人が当然の義務を免除されているのかと聞いてみたら、奏任待遇だからだと言う。面白くもない話だ。給料はたくさんもらっているくせに、仕事の時間は少なく、その上宿直まで逃げ出すなんて、こんな不公平なことがあってたまるか。自分たちに都合のいい規則をこしらえて、それが当たり前のような顔をしている。よくまあ、あんなに図々しくいられるものだ。
この件についてはかなり不満があるのだが、「山嵐」の説によると、いくら一人で不平を並べたところで、そんなものは通用しないそうだ。一人だろうが二人だろうが、正しいことなら通るはずだと思ったのだが。山嵐は「might is right」という英語を引用して説教を加えてきたが、なんだか要領を得ない。聞き返してみたら、「強者の権利」という意味だそうだ。
強者の権利ぐらい、昔から知っている。今さら山嵐から講釈を聞かされるまでもない。強者の権利と宿直は別の問題だ。狸や赤シャツが強者だなんて、誰が認めるものか。
議論は議論として、いよいよ宿直の番がおれに回ってきた。
そもそも俺は神経質なほうだから、自分の布団で楽に寝ないと寝た気がしない。子供の頃から、友達の家に泊まったことなんてほとんどないくらいだ。友達の家でさえ嫌なのに、学校の宿直なんてなおさら嫌だ。嫌だけれども、これが四十円の給料の中に含まれている仕事なら仕方がない。我慢して勤めてやろう。
教師も生徒も帰ったあと、一人でぽかんとしているのは随分と間が抜けた感じだ。宿直部屋は教場の裏手にある寄宿舎の西のはずれの一室だ。ちょっと入ってみたが、西日をまともに受けて、暑くて居ても立ってもいられない。田舎だけあって秋が来ても、気長にいつまでも暑いものだ。
生徒の賄い料理を取り寄せて晩飯を済ませたが、まずいのには恐れ入った。よくあんなものを食べて、あれだけ元気に暴れ回れるものだ。しかも、夕食を四時半という早い時間に片付けてしまうのだから、連中は豪傑に違いない。
飯は食ったが、まだ日が暮れていないから寝るわけにはいかない。少し温泉に行きたくなった。宿直中に外へ出るのがいいことなのか悪いことなのかは知らないが、こうして何もせずに重禁固刑のような憂き目に遭うのは、我慢できるもんじゃない。
初めて学校へ来たとき、当直の人はどこにいるのかと聞いたら、「ちょっと用事で出かけました」と小使いが答えたのを妙だと思っていたが、自分の番が回ってくると合点がいった。外へ出る方が正しいのだ。
俺は小使いに「ちょっと出てくる」と伝えた。
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