おれは頭が悪いから、狸の言うような理屈はよく分からないが、蕎麦屋や団子屋に行ったくらいで中学の教師が務まらなくなるようなら、おれみたいな食いしん坊には到底無理な話だと思った。
それならそれでいいから、最初から蕎麦や団子が嫌いな人間を募集して雇えばいいんだ。
だんまりを決め込んで辞令を渡しておきながら、後から「蕎麦を食うな、団子を食うな」なんて罪な命令を出すのは、おれのように他に道楽のない人間にとっては、とんでもない攻撃だ。
すると赤シャツが、また口を挟んできた。
「元来、中学の教師というのは社会の上流に位置するものですから、単に物質的な快楽ばかりを追い求めてはいけません。
そうしたことに耽ると、品性に悪い影響を及ぼすようになります。
とはいえ人間ですから、何か娯楽がないと、この田舎の狭い土地では到底暮らしていけません。
ですから、釣りに行くとか、文学書を読むとか、あるいは新体詩や俳句を詠むとか、何か高尚な精神的娯楽を求めなくてはなりません……」
黙って聞いていると、勝手なことばかり言いおって。
沖へ出て肥料(魚の餌)を釣ったり、ゴーリキーがロシアの文学者だったり、馴染みの芸者が松の木の下に立っていたり、古池に蛙が飛び込んだりするのが精神的娯楽だというのなら、天ぷらを食べて団子を飲み込むことだって立派な精神的娯楽だ。
そんなくだらない娯楽を押し付けるくらいなら、赤シャツの洗濯でも手伝わせてくれ。
あまりに腹が立ったので、「マドンナに会うのも精神的娯楽ですか?」と聞いてやった。
すると今度は誰も笑わない。
みんな妙な顔をして、お互いの顔を見合わせている。
赤シャツ本人は苦しそうに下を向いた。
それ見たことか。
効いたようだな。
ただ気の毒だったのはうらなり君で、おれがそう言ったせいで、青白い顔をさらに真っ青にしていた。
七
おれはその日のうちに下宿を引き払った。
宿へ帰って荷物をまとめていると、女房が「何か不都合でもございましたか? お腹の立つようなことがあれば言ってくだされば改めますのに」と聞いてくる。
本当に驚いてしまう。
世の中にはどうして、こんなに要領を得ない人ばかり揃っているんだろう。
出て行ってほしいのか、居てほしいのか、さっぱり分からない。
まるで気が狂っているようだ。
こんな相手と喧嘩をしたって江戸っ子の名折れだから、車屋を連れてきてさっさと家を出た。
出たことは出たが、どこへ行くというあてもない。
車屋が「どちらへ参りましょう?」と聞くので、「黙ってついてこい、そのうち分かる」と言って、スタスタと歩き出した。
面倒だから山城屋という宿へ行こうかとも考えたが、そこもまたいつか出なければならないとなると手間だ。
こうして歩き回っていれば、そのうち「下宿」なんて看板が出ている家を見つけるだろう。
そうしたら、そこが天意にかなった我が宿ということにしよう。
そうやって、静かで住みやすそうな場所を探してぐるぐる歩き回っているうちに、とうとう鍛冶屋町へ出てしまった。
ここは士族の屋敷が並ぶ町で、下宿屋などがある場所ではないから、もっと賑やかな方へ引き返そうかとも思ったが、ふといいことを思いついた。
おれが敬愛するうらなり君はこの町内に住んでいる。
うらなり君は土地の人間で、先祖代々の屋敷を構えているくらいだから、この辺の事情には詳しいに違いない。
あの人に尋ねてみたら、良さそうな下宿を教えてくれるかもしれない。
幸い一度挨拶に来て勝手は知っているから、探し回る面倒はない。
ここだろうと適当に見当をつけて「ごめんください」と二度ほど声をかけると、奥から五十歳くらいの老人が古風な紙燭(しそく)に火をつけて出てきた。
おれは若い女も嫌いではないが、老人を見ると何だかなつかしい気持ちになる。
たぶん清(きよ)のことが好きだから、その魂がそこら中のおばあさんに乗り移っているのかもしれない。
これはきっとうらなり君のお母さんだろう。
切り下げ髪の品格のある婦人だが、よくうらなり君に似ている。
「まあお上がり」と言ってくれそうだったが、ちょっとお目にかかりたい用事があったので、主人を玄関まで呼び出して「実はこれこれこういうわけで、どこか心当たりはありませんか?」と尋ねてみた。
うらなり先生は「それはさぞお困りでしょう」としばらく考えていたが、「この裏町に萩野(はぎの)と言って、老人夫婦だけで暮らしている家がある。いつぞや、座敷を空けておいても無駄だから、確かな人がいるなら貸してもいいから紹介してくれと頼まれたことがある。今でも貸すかどうかは分からないが、まあ一緒に行って聞いてみましょう」と、親切に連れて行ってくれた。
その夜から、おれは萩野の家の下宿人となった。
驚いたのは、おれがいか銀の座敷を引き払うと、翌日から入れ違いに野だが平気な顔をして、おれのいた部屋を占領したことだ。
さすがのおれもこれには呆れた。
世の中は詐欺師ばかりで、お互いに騙し合っているのかもしれない。
嫌になってしまった。世の中がこんな調子なら、おれも負けてはいられない。世間並みに立ち回らなければ、やっていけるはずがない。泥棒の稼ぎにでも手をつけなければ飯が食えないというなら、そんな生き方に何の意味があるんだろう。かといって、こんなに健康な体で首を吊ったりしたら、ご先祖様に申し訳が立たないし、世間体も悪い。
今さらながら思うのは、物理学校なんかへ行って、数学なんて役に立たない芸を覚えるよりも、六百円を元手に牛乳屋でも始めたほうがよっぽどマシだったということだ。そうしていれば、清(きよ)も俺のそばを離れずに済んだし、俺だって遠くから老婆の健康を心配せずに暮らせただろう。一緒にいるときは何とも思わなかったけれど、こうして田舎へ出てきてみると、清はやっぱりいい人間だ。あんなに心の優しい女は、日本中を探し回ったってめったにいない。
清は、俺が出発するとき少し風邪を引いていたけれど、今頃はどうしているだろうか。この前出した手紙を読んだら、きっと喜んでくれたに違いない。それにしても、そろそろ返事が来てもいい頃なのに――俺はずっとそんなことばかり考えて二、三日を過ごしていた。気になって、宿のお婆さんに「東京から手紙は来ませんか?」と時々聞いてみるが、聞くたびに「いいえ、何も届いておりませんよ」と気の毒そうな顔をする。
ここの夫婦は、前の「いか銀」とは違って、元が士族だけに二人とも上品だ。爺さんが夜になると変な声で謡(うた)を歌うのには閉口するが、いか銀みたいに「お茶を入れましょうか」とやたらと部屋に入ってこないから、ずいぶんと楽だ。お婆さんは時々部屋へやってきて、いろいろな話をしてくれる。
「どうして奥様をお連れにならず、お一人でおいでになったのですか?」と聞いてくるので、「奥さんがいるように見えますかね。可哀想に、これでもまだ二十四歳ですよ」と答えた。すると、「あら、あなた。二十四で奥様がいらっしゃるのは当たり前ですよ」と言って、近所の誰それは二十歳で嫁をもらったとか、誰それは二十二で子供が二人いるとか、例を半ダースほど挙げて反論してきたのには恐れ入った。
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