初級翻訳・坊つちやん 第2話

坊つちやん

自分の手で、おれという人間を立派に育て上げているかのように誇っているみたいで、少々気味が悪かった。
母が死んでから、清はいよいよおれを可愛がった。
時々は子供心に、なぜあんなに可愛がるのかと不審に思った。
つまらない、やめればいいのに、と思った。
気の毒だ、とも思った。
それでも清は可愛がってくれる。
ときどきは自分の小遣いで金鍔(きんつば)や紅梅焼を買ってくれる。
寒い夜などは、こっそり蕎麦粉を仕入れておいて、いつの間にか寝ている枕元へ温かい蕎麦湯を持ってきてくれる。
時には、鍋焼きうどんさえ買ってくれた。
ただ食べ物ばかりではない。
靴下や足袋ももらった。
鉛筆ももらったし、帳面ももらった。
これはずっと後のことだが、金を三円ほど貸してくれたことさえある。
何も「貸してくれ」と言ったわけではない。
向こうから部屋へ持ってきて、「お小遣いがなくてお困りでしょう、お使いなさい」と言ってくれたのだ。
おれは「もちろんいらない」と言ったが、どうしても使えと言うから、借りておいた。
実は大変嬉しかった。
その三円をガマ口に入れて、懐に入れたまま便所へ行ったら、すぽりと後架(便所)の中へ落としてしまった。
仕方がないから、のそのそ出てきて、実はこれこれだと清に話したところ、清は早速竹の棒を探してきて、「私が取って上げます」と言った。
しばらくすると、井戸端でざあざあと音がするから出てみたら、竹の先にガマ口の紐を引っかけて、水で洗っていた。
それから口を開けて壱円札を確かめたら、茶色になって模様が消えかかっていた。
清は火鉢で乾かして、「これでいいでしょう」と出してくれた。
おれが「ちょっと嗅いでみてよ、臭いぞ」と言ったら、「それじゃお出しなさい、取り替えて来て上げますから」と、どこでどう誤魔化したのか、札の代わりに銀貨で三円分を持ってきてくれた。
この三円を何に使ったのか、忘れてしまった。
「今に返すよ」と言ったきり、返していない。
今となっては十倍にして返してやりたくても、もう返せない。
清が物をくれる時には、必ず親父も兄もいない時と決まっていた。
おれは「何が嫌いか」と言えば、人に隠れて自分だけ得をするのが何よりも嫌いなのだ。
兄とはもちろん仲がよくないけれど、兄に隠して清から菓子や色鉛筆をもらいたいわけじゃない。
「なぜ、おれ一人にくれて、兄さんにはやらないのか」と清に聞くことがある。
すると清は澄ました顔で、「お兄様はお父様が買って差し上げますから、構いません」と言う。
これは不公平である。
親父は頑固だけれども、そんなひいきをするような男ではない。
しかし、清の目から見るとそう見えるのだろう。
全く愛に溺れていたに違いない。
元は身分のある人でも、教育のない婆さんだから仕方がない。
単にこればかりではない。
ひいき目というのは恐ろしいものだ。
清はおれが将来、立身出世して立派な人間になると信じ込んでいた。
そのくせ、勉強をする兄のことは「色ばかり白くて、とても役には立たない」と一人で決めつけてしまった。
こんな婆さんに捕まってはかなわない。
自分の好きな人間は必ず偉い人物になって、嫌いな人間はきっと落ちぶれるものだと信じきっているのだ。
おれは、その時から別段「何になろう」という考えもなかった。
しかし、清が「なるなる」と言うものだから、やっぱり自分は何かに成れるんだろうと思っていた。
今から考えると馬鹿馬鹿しい。
ある時などは、清に「どんなものになるだろう」と聞いてみたことがある。
ところが清にも、別段の考えがあるわけではなかったようだ。
ただ、「手車(人力車)に乗って、立派な玄関のある家を建てるに決まっています」と言った。
それから清は、おれが自分の家を持って独立したら、一緒になる気でいたのだ。「どうか置いてください」と、清は何度も何度も頼んできました。
おれもなんだか将来そんな家が持てるような気がしてきて、「うん、置いてやるよ」と返事だけはしておきました。
ところがこの婆さんはなかなか想像力がたくましい人で、「あなたはどこがお好きですか? 麹町がいいですか、それとも麻布がいいですか? お庭にはブランコをおこしらえなさって、西洋間は一つあれば十分ですよ」などと、勝手な計画を一人で並べ立てていたのです。
その時の自分は、家なんて欲しくもなんともありませんでした。西洋館だろうが日本家屋だろうが全く必要なかったので、そんなものは欲しくないと、いつも清に答えていました。
すると、清は「あなたは欲が少なくて、心がきれいだ」と言って、またおれを褒めるのです。
清は何を言っても褒めてくれる人でした。

母が死んでから五、六年の間は、こんな状態で暮らしていました。
親父には叱られる。兄とは喧嘩をする。清にはお菓子をもらい、時々褒められる。
他に特別な望みもありませんでした。これで十分だと思っていたのです。他の子供たちも、みんなだいたいこんなものだろうと考えていました。
ただ、清が何かにつけて「あなたはお可哀想だ」「不幸せだ」とやたらと言うものだから、そうか、自分は可哀想で不幸せなんだな、と思うくらいでした。それ以外に苦になることは少しもありませんでした。
ただ、親父が小遣いをくれないことには閉口していました。

母が死んでから六年目の正月に、親父も脳卒中で亡くなりました。
その年の四月に、おれはある私立の中学校を卒業しました。六月には兄が商業学校を卒業しました。
兄は会社の九州支店に口が決まり、そこへ行かなければならなくなりました。おれは東京でまだ勉強を続けなければなりません。
兄は「家を売って財産を片付けて、任地へ出発する」と言い出しました。
おれは「どうでも好きにすればいい」と返事をしました。どうせ兄の世話になるつもりはありません。世話をしてもらったところで、結局喧嘩になるのが目に見えています。中途半端に保護を受けるからこそ、こんな兄に頭を下げなければならないのです。牛乳配達をしてでも食っていけると覚悟を決めていました。

兄はそれから道具屋を呼んできて、先祖代々のガラクタを二束三文で売ってしまいました。家屋敷はある人の仲介で、金持ちに譲りました。この売却でずいぶん金になったようですが、詳しいことは全く知りません。
おれは一ヶ月前から、進むべき道が決まるまでの間、神田の小川町へ下宿していました。
清は十何年も住んだ家が人手に渡るのをひどく残念がっていましたが、自分のものではないのでどうしようもありません。
「あなたがもう少し年をとっていらっしゃれば、ここを相続できましたのに」と、しきりに口説いていました。
もう少し年をとれば相続ができるというのなら、今だって相続ができるはずです。婆さんは何も知らないから、年さえ取れば兄の家が自分たちのものになると信じ込んでいるのです。

兄とおれはこのように別れることになりましたが、困ったのは清の行く先です。
兄は当然、連れて行ける身分ではありませんし、清も兄の尻にくっついて九州まで出かける気は毛頭ありません。とはいえ、この時の自分は四畳半の安下宿に籠もっており、それすらもいざとなればすぐに引き払わねばならない始末です。どうすることもできません。

コメント

タイトルとURLをコピーしました