ふいに男は用心深く敷居をまたぎ、後ろ手で静かにドアを閉めると、テーブルへ近づいて一分ほど待った――その間ずっと、ラスコーリニコフから目を離さなかった――それから静かに、音もさせずに長椅子のそばの椅子に腰を下ろした。
男は帽子を足元の床に置き、両手をステッキの上に重ね、その上にあごを乗せた。
その様子からすると、長く待つ覚悟のようだ。
ラスコーリニコフが細めた目の隙間から見分ける限り、この男はもう若くはなく、ほとんど真っ白に近い薄色の濃いひげを生やした、肉付きのいい男だった……
十分ほどが過ぎた。まだ外は明るかったけれど、もう日が暮れようとしていた。
部屋の中は、森のようにしんと静まり返っている。
階段のほうからも、物音一つ聞こえてこない。
ただ、一匹の大きなハエが、勢いよく飛び回ったはずみに窓ガラスにぶつかっては、ぶんぶんとうなり声を上げているだけだった。
とうとう、じっとしているのがたまらなくなってきた。
ラスコーリニコフはいきなり身を起こし、長椅子の上に座った。
「さあ、言ってください。いったいあなたは何用なんですか?」
「いや、あなたが眠っているんじゃなくて、ただ寝たふりをしているだけだってことは、ちゃんと分かっていましたよ」
見知らぬ男は、落ち着き払って笑いながら、どこか奇妙な調子で答えた。
「自己紹介をお許しください。私はアルカージイ・イヴァーヌイチ・スヴィドリガイロフです……」
第四篇
一
『いったいこれは夢の続きだろうか?』
もう一度、ラスコーリニコフの頭にこんな考えが浮かんだ。
用心深く、信じられないものを見るような目つきで、彼はこの思いがけない客を見つめた。
「スヴィドリガイロフだって? 何をばかげたことを! そんなことがあってたまるものか!」
彼はついに疑いを隠しきれず、声に出してそう言った。
客はこの叫び声にも、いっこうに驚いた様子はなかった。
「私がここを訪ねたのには、二つ理由があるんです。第一に、ずっと前からあなたのことを、あなたにとってとても有利な方面からいろいろと聞いていて、親しくお近づきになりたいと思っていたからです。第二に、あなたの妹さんであるアヴドーチャ・ロマーノヴナに関わるあることについて、あなたになら助けていただけるのではないかという、勝手な期待を抱いているからなのです。私が一人で紹介もなしに行けば、妹さんはある先入観のせいで、庭先へも入れてくださらないかもしれません。ところが、あなたにお口添えいただければ、逆に……と、こう目論んでいるのですよ……」
「悪い目論見ですね」とラスコーリニコフはさえぎった。
「ちょっと聞きますが、おふたりはつい昨日お着きになったばかりでしょう?」
ラスコーリニコフは答えなかった。
「昨日ですね、知っていますよ。私も実はおととい着いたばかりですから。そこで、ねえ、ロジオン・ロマーヌイチ。例の件については、あなたにこう言っておきたいのです。弁解するつもりはありませんが、これだけは言わせてください。あのことについて、いったいどれほど私に罪があるというのでしょうか? 偏見を抜きにして、良識で判断してみてください」
ラスコーリニコフは無言のまま、いつまでも彼をじろじろと見回していた。
「自分の家で、頼りない娘を追い回して『けがらわしい申し出で傷つけた』ということですか――そうですか?(どうも私から先に言っちゃいますね!)――しかし、私も人間です。そして『人間的なことで、無関心なものなど何ひとつない』……一口に言えば、私も人並みに誘惑を感じて、惚れることだってある。まずはそれを考えてください。そうすれば、すべてきわめて自然に説明がつくはずです。すべての問題は、私が悪人なのか、それとも逆に犠牲者なのか、という点にあるんですよ。犠牲者とはどういうことか? ほかでもない、あの時アメリカかスイスへでも駆け落ちしようと言い出した時、私はこの上ない純粋な気持ちでいたのかもしれない。それどころか、お互いの幸福を築こうと考えていたのかも! 何しろ理性というものは、情欲のために働くものですからね。事によったら、私の方がよほど自分を破滅させていたのかもしれませんよ。いやはや、冗談じゃない!……」
「いや、問題はそんなことじゃありませんよ」と嫌悪の表情でラスコーリニコフはさえぎった。
「僕はただもう、あなたがいやでたまらないんです。あなたが本当のことを言っていようが間違っていようが、お近づきになるのもいやなんです。さあ、こうして追い出しているんだから、帰ったらどうです!」
スヴィドリガイロフはふいに大きな声で、からからと笑った。
「どうもあなたは……あなたは本当にごまかしがきかない!」
思い切りあけっぴろげに笑いながら、彼はそう言った。
「私は何とか細工をして丸め込もうと思ったんだが、あなたはすっかり本質を見抜いて立ちはだかってしまった!」
「ところが、今そう言いながら、あなたはまだ小細工を続けている」
「それがどうしたんです? それがどうしたというのです?」とスヴィドリガイロフは、あけすけに笑いながら繰り返した。「だって、これは言わば『bonne guerre(正々堂々たる戦い)』ですからね。立派に許されるべき駆け引きというものです。……ですが、いずれにせよあなたは、私の話の腰を折ってしまいましたね。
もう一度念を押しておきますが、例の庭先の一件さえなかったら、あなたにとって不快なことなど何もなかったはずなんですよ。
マルファ・ペトローヴナが……」
「そのマルファ・ペトローヴナだって、結局のところあなたが殴り殺したそうじゃないですか?」とラスコーリニコフは無作法に言葉を遮った。
「あなたもそんな噂を聞いていましたか? まあ、耳に入らないはずもありませんがね……。さて、その質問に対しては、正直なんと答えたものか分かりません。
もっとも、この点に関して私の良心は、驚くほど穏やかなものですが。
といって、この件で私が何か気に病んでいるように思われても困りますよ。
あれはごく当たり前に、医学的にも正確な理由で起きたことですから。
臨検に来た警察医も、酒をたっぷり一瓶空けて、飯をたらふく食べたあとすぐに水浴びをしたせいで起きた脳卒中だと診断しました。
ほかに原因など、ありようはずがないんですからね……。いや、それよりも私はしばらくの間、特にこうして汽車に乗ってくる道中、あることを考えていたんですよ。
自分はあの……不幸を、何かのはずみで間接的に招いてしまったのではないか? 精神的な刺激とか、そういった原因でね。
ところが、私は自分で結論を出しましたよ。
それこそ断じてありえない、とね」
ラスコーリニコフは笑い出した。
「そんなに自分を正当化するなんて、いい物好きですね!」
「いったい何がおかしいのです? まあ、考えてもみてください。
私は一生を通じてたった二度、鞭で打っただけですよ。
しかも、跡さえ残らない程度にね……。どうか、私を恥知らずだなどと思わないでください。
私だって、あれが愚か極まりないことくらい百も承知しています。
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