初級翻訳・罪と罰 第200話

ドストエフスキー

自分が人に与える印象を自分自身で判断することはできませんが、いずれにしても、それはわたしにとって有利でしたよ。
アヴドーチャ・ロマーノヴナはわたしに対して極めて自然な嫌悪を感じていらしたにもかかわらず――また、わたしがいつも陰鬱で、虫の好かぬ顔つきをしていたにもかかわらず、お妹さんはとうとうわたしが可哀想になってきたのです。
一個の滅びゆく人間として、哀れみの情を催してこられたのです。
ところで妹さんの心の中に『可哀想』という気持ちが起こると、もちろん当人にとって何より危険なことなんです。
そうすればきっと必ず『救って』やりたい、反省させたい、復活させたい、より高潔な目的に向かわせたい、新しい生活と活動に向かって更生させたい――とまあ、こんな風に、空想しうる限りのことを考え出すのですから」「わたしはすぐに、小鳥は自分から網の中へ飛び込んでくるなと悟ったので、こっちでもその心構えをしたものです。おや、ロジオン・ロマーヌイチ、あなたは顔をしかめられたようですね? なに大丈夫、事件はご承知のとおり、くだらなく終わりましたから。

(ちょっ、わたしの酒を飲む手つきはどうです!)実はね、わたしはいつも――そもそもの初めから、こう思っておりましたよ。あなたの妹さんを二世紀か三世紀ごろに、どこかのちょっとした王公なり、代官なり、あるいは小アジアの総督なりの姫君に生まれさせなかった運命の悪戯を、残念に思っているしだいですよ。妹さんは疑いもなく、殉教の苦しみに耐えうる女性の一人です。真っ赤に焼けた火箸で胸を焼かれるときでさえ、きっと微笑みを浮かべていたに違いありません。あのひとは、わざわざ進んで苦難の道を選ぶ人ですから。

ところで、もし彼女が四世紀か五世紀ごろの生まれだったなら、エジプトの砂漠へ隠れ住んで、そこで三十年ものあいだ、草の根と、歓喜と幻影だけで生きていかれたことでしょう。あのひとはただもう、誰かのために一刻も早く、何か痛々しい苦痛を受けたいと、そればかりを渇望し要求していらっしゃるんですからな。もしその苦痛を与えられなかったら、自分から窓から飛び降りかねないほどですよ。

わたしはラズーミヒンという人のことを、少し耳にしました。噂によると、なかなか分別のある人だということですね(『ラーズム』は叡知という意味ですから、きっと神学生なんでしょう)。まあ、その人にお妹さんを保護させておけばいいでしょう。要するに、わたしはどうやらお妹さんの本質を理解したらしいので、それを自分の手柄だと思っているしだいです。

けれど、あの時――つまり初めてお知り合いになったころは、ご承知の通り、いつも妙に軽はずみで、ばかげた考えに陥りやすいものだから、誤った見方をしたり、ありもしないものを見たりするものです。ええっ、ちくしょう、なんだってあのひとはあんなに美人なんでしょう? だから、何もわたしが悪いのじゃありませんよ! 一口に言えば、もうどうにも抑えようのない情欲の発作から事が始まったんです。

アヴドーチャ・ロマーノヴナは、とほうもない、聞いたことも見たこともないほど純潔な人です。いいですか、これはお妹さんに関する一つの事実として、あなたにお知らせするんですよ(あのひとはあんなに聡明な方なのに、おそらく病的といってもいいほど純潔です。そして、これがあの人のためによくないのですよ)。

ちょうどそこへ、パラーシャという目の黒い娘が小間使の中におりました。わたしは前に一度もその娘を見たことがなかった。そのころほかの村から連れて来たばかりでしたからね――すてきに美しい娘でした。が、お話にならないくらい低能なものだから、わたしが何かするとたちまち泣き出して、邸中に聞こえるような大声を立てた。それがみっともない騒ぎになってしまったんですよ。

ところが、ある時食事のあとでアヴドーチャ・ロマーノヴナは、わたしが庭の並木路に一人でいるところをわざわざ探し出して、目に涙を光らせながら、可哀想なパラーシャを苛めないでくれと要求されたんです。これがわたしたちの二人でかわした、ほとんど最初の会話でした。わたしはもちろん、あのひとの希望を満たすのを名誉と心得て、心から打たれたような、間の悪そうな振りをしようと努めましたよ。まあ、一口に言えばうまく役をこなしたわけなんです。

それから交渉が始まって、秘密の会話、教訓、訓戒、懇願、哀願、そして涙まで流されたのです――どうです、本当に涙まで流されたんですよ! 全く若い娘さんによっては、伝道に対する情熱がこれほどの程度にまでなることがあるんですからな! わたしはもちろんすべてを運命のせいにして、光明にあこがれ渇望するような振りをしていたが、やがて最後に女の心を征服する、もっとも偉大で、一番間違いのない奥の手を出しました。

それは決して誰にも外れることのない方法で、いっさいの例外なく、断然すべての婦人に効き目のあるものなんです。それは誰でも知っている方法で――世辞というやつですな。世の中に、生一本でいるほど難しいものもなければ、また世辞ほど楽なものもありませんよ。もし、生一本な言行の中にほんの百分の一でも嘘らしい調子が混じれば、たちまち不調和をきたして、その次には醜態が演じられるのです。それが世辞となると、初めから終わりまで嘘っぱちであっても、多少の満足を感じながら心地よく聞いていられる。よしんばそれが下品な満足であったとしても、とにかく満足を感じるものです。世辞というやつは、どんなにとってつけたようなものでも、必ず少なくとも半分は本当のことだと信じ込ませることができるのです。これは社会のあらゆる階級、あらゆる発達段階の人に、間違いなく適用できるのです。お世辞でいけば、神に仕える聖女でさえ誘惑することができますよ。」ましてや、普通の人間なんか言うまでもありません。
今でも、思い出すたびに笑わずにいられないのは、夫と、子供と、自分自身の善行に身を捧げ尽くしている一人の夫人を誘惑した時の顛末(てんまつ)です。
いやはや、その愉快なことといったら! それに、仕事の楽なことといったらありませんでしたよ。その夫人はじっさい徳行家だったんですよ、少なくとも、自分なりのやり方ではね。
わたしの用いた戦術はごく簡単なもので、ただしょっちゅうその夫人の貞操に圧倒されて、その前にひれ伏していただけなんです。
わたしはずうずうしいお世辞を並べて、時たま握手なり一べつなりをかち得ると、すぐさま自分を責めるんです。
『これはわたしが無理にもぎとったので、あなたは抵抗したのだ。もしわたしがこんな悪徳漢でなかったら、けっして何も受けることができそうもないくらい、一生懸命に抵抗なすったのです。あなたは自分が無垢(むく)なものだから、人のずるさを見破ることができないで、つい心にもなくわれしらずそれに引き込まれたのです』……しかじか、そんな具合にね。
手っ取り早く言えば、わたしは最後の目的を達してしまった。
ところが、わが夫人はまだ自分が潔白で、貞淑で、すべての義務と責任を果たしている、ただふとした事でわれともなく貞操を汚してしまっただけだと、堅く信じて疑わないのです。

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