初級翻訳・罪と罰 第227話

ドストエフスキー

そしてついに、別れの時がやってきました。
ドゥーニャは兄に向かって、「この別れは永遠の別れではないわ」と誓いました。ラズーミヒンも同じ気持ちでした。
ラズーミヒンの若く情熱的な頭の中には、この三、四年でなんとか将来の土台を作り、少しでもお金を貯めて、土地は豊かだけれど働き手や資本が足りないシベリアへ移住しよう、という計画がしっかりと根を張っていました。
そこでロージャ(ラスコーリニコフ)のいる町に住まいを構えて……みんな一緒に、新しい生活を始めようというのです。
別れ際、みんな泣きました。
ラスコーリニコフは最後の三、四日間、とても深く考え込んでいて、お母さんのことをあれこれと根掘り葉掘り尋ね、ずっと心配していました。
あまりに心配するので、ドゥーニャが不安に思うほどでした。
お母さんの病状について詳しく聞いたあとは、彼はますます憂鬱になりました。
ソーニャとは、なぜかずっと口数が少なかったのです。
ソーニャはスヴィドリガイロフが残してくれたお金で、旅支度はとっくに済ませていました。彼が送られる囚人たちの列に、自分も合流してついて行く心構えをしていたのです。
このことについて、ソーニャとラスコーリニコフは一度も言葉を交わしませんでしたが、そうなることは二人とも分かっていました。
いよいよ最後の別れの時、妹とラズーミヒンが「出獄した後は必ず幸せになれる」と熱心に誓ったとき、彼は奇妙な笑みを浮かべながら、お母さんの病気はもうすぐ不幸な結末を迎えるだろうと予言しました。
彼とソーニャは、ついに旅立ちました。

二か月後、ドゥーネチカ(ドゥーニャの愛称)はラズーミヒンと結婚しました。
結婚式は質素で、しんみりとしたものでした。
それでも、招待客の中にはポルフィーリイやゾシーモフの姿もありました。
最近のラズーミヒンは、何事もやり遂げるという強い意志を持った人のように見えました。
ドゥーニャは、彼がどんな目標でも必ず実現できると信じ切っていました。いや、信じないわけにはいきませんでした。
この男には、鉄のような意志がはっきりと見えていたからです。
忙しい中でも、彼は大学をしっかりと卒業するために、再び講義へ通い始めました。
二人はいつも未来の計画を立てていました。
五年後には必ずシベリアへ移住しようと、二人で固く決心していたのです。
それまでの間は、向こうにいるソーニャに望みを託していました……。

プリヘーリヤ(お母さん)は喜んで娘を祝福し、ラズーミヒンとの結婚を許しました。
しかし、結婚後はなぜかますます沈み込み、以前よりも心配そうな様子を見せるようになりました。
ラズーミヒンは、少しでもお母さんを元気づけようと、ラスコーリニコフの学友とその父親の話や、去年ロージャが二人の子供の命を救うために火の中に飛び込み、大火傷を負っただけでなく、病気までしてしまったという事実を話して聞かせました。
この二つの話を聞くと、ただでさえ心身のバランスを崩していたプリヘーリヤは、歓喜のあまり有頂天になりました。
彼女はいつもその話ばかりして、町に出ると知らない人をつかまえてはその話を始めるのでした(もっとも、いつもドゥーニャが付き添っていましたが)。
乗合馬車の中でも、お店の中でも、誰かれ構わず相手をつかまえては、自分の息子のこと、あの論文のこと、学友を助けたこと、火事で怪我をしたことなどを語り聞かせるのです。
ドゥーネチカは、どうやってお母さんを止めたらいいのかと、途方に暮れるばかりでした。
病的な興奮状態が続くことの危険もさることながら、その上に、誰かがいつか世間を騒がせた「ラスコーリニコフ」という姓を思い出して、その事件のことを口にしてしまわないかという不安もあったからです。
プリヘーリヤは、火の中から助け出された子供の母親の住所まで突き止め、どうしてもその人に会いに行きたいと言い出しました。
そのうちに、彼女の不安はついに極限にまで達しました。
ふいに泣き出したり、しょっちゅう病気になっては、熱にうなされてわけの分からないことを口走ったりするようになったのです。
ある朝、彼女は突然、「私の計算では、ロージャはもうすぐ帰ってくるはずだ。あの子は私と別れる時、『九か月経ったら帰ると思ってくれ』と自分で言ったのを覚えている」と、きっぱりと言い放ちました。
それからというもの、彼女は家の中を片付けて、わが子を迎える準備を始めました。ロージャの部屋と決めた場所(実は彼女自身の居間なのですが)を一生懸命に飾り付け、家具を磨き、窓のカーテンを洗って掛け替えるのでした。ドゥーニャは胸を痛めましたが、何も言わずに、自分でも兄を迎える準備のために部屋の片付けを手伝いました。
絶え間ない空想と、うれしい夢、そして涙の中で不安な一日を過ごした後、その夜、彼女は病に倒れました。翌朝にはもう高い熱が出て、うわ言ばかりを言うようになっていたのです。
熱病が始まったのでした。
こうして、二週間後に彼女は亡くなりました。
うわ言の中でこぼれた言葉から、彼女は周りが思っていたよりもずっと深く、わが子の恐ろしい運命について疑い、心を痛めていたのだということが分かりました。

ラスコーリニコフは、長い間お母さんの死を知りませんでした。もっとも、彼がシベリアに落ち着いてからは、ペテルブルグとの手紙のやり取りは定期的に行われていました。
やり取りは、ソーニャを通して続いていたのです。
彼女は毎月きちんとした手紙をラズーミヒン宛てにペテルブルグへ送り、そして毎月きちんとペテルブルグから返事を受け取っていました。
ソーニャの手紙は、最初はドゥーニャやラズーミヒンから見て、なんとなくそっけなく、物足りないように感じられました。しかし、後になって彼らは二人とも、これ以上うまく書くことは不可能だと気づきました。
なぜなら、結局その手紙のおかげで、彼らは不幸な兄の運命について、この上なく詳しく、正確なイメージを持つことができたからです。

ソーニャの手紙は、ごくありふれた日常の出来事と、ラスコーリニコフの獄中生活の環境についての、とても平凡で分かりやすい報告でいっぱいでした。
そこには、彼女自身の希望も、未来への想像も、自分の気持ちを書き連ねるようなこともありませんでした。
彼の心の状態や、内面で何が起きているかなどを説明する代わりに、ただ事実だけが報告されていたのです。
つまり、彼がどんな言葉を言ったか、健康状態はどうなのか、いつの面会の時に彼が何を欲しがったか、彼女に何を頼み、何を任せたか、といったことでした。
しかも、これらの報告はすべてとても正確だったので、不幸な兄の姿が自然と目の前に浮かび上がり、はっきりと描き出されるようになったのです。
そこには、間違いなど入り込む余地がありませんでした。すべてが正確な事実だったからです。

しかし、ドゥーニャと夫のラズーミヒンは、これらの報告から、特に最初のうけはあまり多くの喜びを感じられませんでした。
ソーニャは絶えず、彼がいつも気難しく、口数が少ないことを伝えてきました。
ペテルブルグから手紙を受け取るたびに、ソーニャがいろいろな報告を伝えても、彼は少しも興味を示さないということでした。

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