わたしね、あの娘のことも、なんだか恐ろしくてたまらないのよ……」
「娘って誰のこと、お母さん?」
「ほら、あのソフィヤ・セミョーノヴナのことよ。今、部屋に来ていたでしょう……」
「どうして?」
「わたし、なんだか虫が知らせるのよ、ドゥーニャ。
まあ、お前は信じようが信じまいが勝手だけれど、あの娘が入ってきたとたんに、わたしはそう思ったわ――つまり、ここにこそ何か本当の訳があるんじゃないかって……」
「何にも訳なんかありゃしないわ!」とドゥーニャはいまいましげに叫んだ。
「お母さんの虫の知らせも困ったものね! 兄さんは昨日、初めてあの娘さんに会ったばかりで、部屋に入ってきたときだって、誰だか気がつかないくらいだったじゃありませんか」
「じゃあ、まあ見ていなさいよ! わたしはあの娘のことが気になって仕方がないのよ。
まあ、今に見ていなさい、見ていなさい! わたしは本当にびっくりしてしまったんだから。
わたしの方を一生懸命に見るその目つきといったら、もう椅子の上にじっとなんて座っていられなかったわ。
覚えているかしら、あの子が紹介を始めた時のこと? わたし、変な気がしたのよ――ピョートル・ペトローヴィッチがあんな手紙を書いてきているのに、ロージャはあの娘をわたしたちに、しかもお前にまで引き合わせるんだもの! つまり、あの子にとって大切な人だということよ!」
「あの人がいろんな事を書くのは、今に始まったことじゃありませんわ! わたしたちのことだって、世間ではやはり噂したり、書き立てたりしたじゃありませんか。
いったいお忘れになったの? わたし、あの娘さんは……立派な人だわ。そんな陰口はみんなでたらめに決まっていると思うの!」
「そうであってくれればいいんだけどね!」
「ピョートル・ペトローヴィッチは、やくざな金棒引きよ」とドゥーネチカはふいにずばりと言い放った。
プリヘーリヤは黙り込んだ。
会話はぷつりと切れた。
「ねえ君、君にちょっと話があるんだ……」とラスコーリニコフは、ラズーミヒンを小窓の方へ引っ張っていきながら言った……。
「では、カチェリーナ・イヴァーノヴナに、うかがいますと伝えますから……」ソーニャはそわそわと帰り支度をして、会釈しながら言った。
「今すぐでなくていいですよ、ソフィヤ・セミョーノヴナ。僕たちの話は何も秘密じゃないんですから、けっしてかまいませんよ……僕はまだあなたに一言言いたいことがあるんです……」と言い終わらないうちに、彼は急にぷっつりと話を断ち切るように、ラズーミヒンの方へふり向いた。
「あのね、君、君は知っているんだろう、あの、ほら、なんといったっけな!……ポルフィーリイ・ペトローヴィッチさ?」
「知らなくってどうするんだい! 親類なんだから。それがどうしたんだ?」ラズーミヒンは、こみ上げてくる好奇心にかられて、こう付け加えた。
「だって、あの男が今あの事件を……ほら、例の殺人事件さ……ねえ、昨日君たちが話していた……あれを扱っているって?」
「うん……それで?」とラズーミヒンは急に目をみはった。
「あの男が質屋を調べたそうだが、実は僕もそこに預けているものがあるんだ。
なに、つまらないものだがね。でも、僕がこっちへ出てくるときに、妹が記念にくれた指輪と、親父の銀時計なんだ。
全部合わせても五、六ルーブルの代物だが、僕にとっては大切なものなんだよ、記念品だからね。
そこで、どうしたものかと思ってさ。僕はそいつをなくしたくないんだ、ことに時計の方はね。
さっきドゥーネチカの時計の話が出たとき、母さんが『あれを見せろ』と言い出しはしないかと、僕はびくびくしていたんだ。
何しろ親父のあとに残った唯一の記念品なんだから。
もしあれがなくなったら、母さんはきっと病気になってしまう! 何しろ女だからね! まあ、こういったわけで、どうしたらいいか一つ教えてくれないか! 警察へ届け出るのは知っているが、それよりいっそ、直接ポルフィーリイに頼むほうがよくはないかと思うんだ。え? 君はどう思う? なんとか早く処置をつけなくちゃ。
見ていてくれ、また食事の前に、母さんがきっと言い出すから!」
「警察なんか絶対に駄目だ、どうしてもポルフィーリイのところに行くべきだな!」ラズーミヒンはなぜか非常に興奮して叫んだ。
「いや、そいつは愉快だ! 何もぐずぐずしていることはない。
すぐに出かけよう。
ほんの一足の距離だ。」「きっと家にいるはずだよ!」
「そうだな……行ってもいい……」
「あの男も君と仲良くなれるなんて、すごく、すごく、すごく喜ぶと思うよ! 君のことは前々から、いろんな機会に話してあるんだ……現に昨日も話したばかりなんだぜ。
行こう!……ところで君は、あの老婆を知っていたのかい? それはいいことを聞いた!……これは、実にうまい具合になってきたぞ!……あっ、そうだ……ソフィヤ・イヴァーノヴナ……」
「ソフィヤ・セミョーノヴナですよ」とラスコーリニコフが訂正した。
「ソフィヤ・セミョーノヴナ、こちらが僕の友人のラズーミヒンです。いい男ですから……」
「これからお出かけになるのでしたら……」ソーニャはラズーミヒンの方を見ようともせず、そう言ったが、そのせいでかえって、ますますあたふたとしてしまった。
「じゃあ、一緒に出かけましょう!」とラスコーリニコフが決めた。
「今日、さっそくあなたのところへ寄らせてもらいます。ただ、ソフィヤ・セミョーノヴナ、どこにお住まいなのか教えてくれませんか?」
彼は、ひどく困っているというほどではないが、どこか急き立てられるような様子で、彼女の視線を避けるようにした。
ソーニャは自分の住所を教えたが、そのときまた顔を赤くした。
三人は一緒に部屋を出た。
「鍵はかけないのかい?」二人の後ろから階段を下りながら、ラズーミヒンが聞いた。
「一度もかけたことはないよ!……もっとも、もう二年ほど、ずっと鍵を買いたいとは思っているんだけれどね」と彼はぶっきらぼうに付け加えた。
「鍵をかける必要がないなんて、幸福な人ですね?」と彼は笑いながら、ソーニャに話しかけた。
やがて三人は表へ出て、門口で立ち止まった。
「あなたは右へ行くんですか、ソフィヤ・セミョーノヴナ? ところで、どうして僕を探し当てることができたんです?」彼はどこか別のことを言いたそうな様子で、彼女に尋ねた。
本当は、彼女の落ち着いた澄んだ瞳をもっと見ていたかったけれど、なぜかそれができなかった……。
「だって昨日、ポーレチカに住所を教えてくださったじゃありませんか」
「ポーリャ? ああ、そうか……ポーレチカ! あの……小さな女の子……あれはあなたの妹さんでしたね? 僕、あの子に住所を教えたかな?」
「まあ、お忘れになったんですか?」
「いや……覚えているよ……」
「それに、あなたのことは亡くなった父からも、生前にお噂を伺ったことがありますの……もっとも、その時はまだお名前を存じませんでしたし、父も同じでしたけれど……先ほど伺ったときに……昨晩お名前を聞きましたので、ラスコーリニコフ様のお住まいはどちらかと尋ねたのです。
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