初級翻訳・罪と罰 第86話

ドストエフスキー

『つまり、自分の嫉妬深いがさつな心のきたなさを、すっかりさらけ出してしまったのだ!』いったいこんな空想がたとえいくらかでも、彼ラズーミヒンに許されるべきことだろうか? いったい自分は——酔っぱらいの暴れ者は、あの昨日の大ぼら吹きは、ああした処女と比べていったい何するものぞ? 『こんな無恥で滑稽な対照がありうるだろうか!』ラズーミヒンはこう考えると、火が出そうなほど真っ赤になった。
と、ふいにちょうどこの瞬間、まるでわざと当てつけるように、昨日自分が階段の上に立って、おかみがアヴドーチャのことで嫉妬を起こすだろうと、二人に話した時のことが、まざまざと思い出された……これはもう堪えきれないことだった。彼は拳を振り上げると、力まかせに台所の暖炉をなぐりつけました。そのせいで自分の手に傷を負い、暖炉の煉瓦まで一つ打ち落としてしまいました。
「もちろんだ」しばらくしてから、自分を情けなく思う気持ちに駆られながら、彼はつぶやきました。
「もちろん、今となってはこのさんざんな失敗を消すことも、償うこともできない……そうと決まれば、この事はもう考えないでおこう。だから、何も言わずに二人の前へ出て……自分のやるべき義務だけを果たすんだ……やっぱり何も言わずに……謝罪もせず、何一つ言わないことだ……もう、もちろん、今は希望なんてすべて消え失せたんだ!」
 にもかかわらず、彼は服を着るとき、いつもより念入りに身なりを整えました。着替えなど一枚もありませんでしたし、仮にあったとしても彼はそれを着なかったでしょう――「意地でも着てたまるか」と彼は思っていました。しかし、いずれにしても、わざと礼儀を無視したような格好や、薄汚れたみすぼらしい姿で出向くわけにはいきません。彼だって、他人の感情を傷つける権利などないはずです。ましてやその相手が、自分を必要としてくれて、自分を招いてくれているのであれば、なおさらのことです。
彼はていねいに服をブラシで払いました。ワイシャツはふだんから小ざっぱりしたものを選んでいました。この点では、彼は特にきれい好きだったのです。この朝、彼は念入りに顔や手を洗いました――ナスターシャのところに石けんがあったので――髪から首、とりわけ両手をていねいに洗いました。それから、ごわごわしたひげを剃ろうか剃るまいかの問題になりました(家主のプラスコーヴィヤのところには、亡くなった夫ザルニーツィンのかたみに保存されている、上等の剃刀がありました)。しかし、彼はその問題をえらい剣幕で否定してしまいました。
「なに、このままにしておけ! それこそ、おれが顔を剃ったのは……なにのためだと思われちゃかなわん……いや、きっとそう思うに違いない! 天地がひっくり返っても剃るものか!」
「それに、……何より肝心なのは、おれががさつで、じじむさくて、物腰が居酒屋じみていることだ。よしんば……よしんば仮に、おれが自分をほんの少しばかりでも、まともな人間だと自覚しているにせよ……まともな人間だってことが、一体なんの自慢になるんだ? 人間は誰しもまともでなきゃならない。それどころか、もっと気の利いた人間でなくちゃならん。それに……なんといっても(おれは覚えてるぞ)、おれには時々変なところがある……決して恥知らずというほどじゃないが、それでもだ!……ところで、心の中で考えたことに至ってはひどいもんだ! ふむ……これを全部アヴドーチャ・ロマーノヴナに並べて見せたらどうだろう! ええっ、くそ! かまうものか! なに、わざと汚らしい、脂ぎった、居酒屋風の格好をしてやれ。平気だい! これ以上のひどい格好だってしてやるぞ!」
 彼がこうした独り言を並べているところへ、プラスコーヴィヤの客間に泊まっていたゾシーモフがやって来ました。彼は家へ帰る途中で、ちょっと病人をのぞいてみようと急いでいたのです。ラズーミヒンは、病人が野鼠のように眠っていると告げました。ゾシーモフは、自然に目が覚めるまで起こさないようにと指示しました。そして、十時過ぎにまた来ると約束しました。
「ただ家にさえいてくれればいいんだが」と彼は言い足しました。
「ちょっ、いまいましい! 自分の患者さえままならないんだからな、これでどうやって治せるってんだ! ところで君、知らないかい――こっちから二人のところへ出向くのか、それとも二人がここへ来るのか?」
「二人の方が来るんじゃないかな」と質問の意味を察して、ラズーミヒンは答えました。
「そして、もちろん、内輪の話が始まるだろう。僕は席を外すよ。しかし、君は医者だから、僕よりよけいにそこにいる権利があるわけだ」
「僕だって野暮じゃないからね。来たら帰るよ。あの人たちのほかにも、用事はたくさんあるんだ」
「僕、一つ気になることがあるんだよ」と眉をしかめながらラズーミヒンはさえぎりました。
「昨日僕は酔ったまぎれに、歩きながらやつにいろんな馬鹿なことをしゃべってしまったんだ……いろんなことを……その中でね、やつに……発狂の傾向がありはしないかと、君が心配しているということまで……」
「君は昨日、婦人連にまでそのことをしゃべってしまったね」
「いや、馬鹿げていた。自分でもつくづくそう思うよ! なぐられても文句はない! だが、どうなんだね、君は実際それについて、確かな考えがあったのかね?」
「くだらない話だと言ってるじゃないか。確かな考えも何もあるもんか! 君の方こそ、僕を初めてやつのところへ引っ張って行ったとき、偏執狂のようにいって聞かせたじゃないか……それに、つい昨日も僕らは焚き火に油を注いだようなものだった。」というより、むしろ君があんな話をしたからさ……ペンキ屋のことなんか。当人がそのために気が変になったのかと思われるような状況で、あんな話をするのは少し乱暴だったぜ! もしあの時僕が知っていれば――警察署での騒ぎや、そこでつまらない馬鹿野郎があんな嫌疑をかけて……侮辱したことを正確に知っていたら! 全く……昨日あんな話をさせやしなかったよ。

実際、この偏執狂というやつは、一滴の水を大海ほどに考えたり、ありもしない妄想をまざまざと事実のように見たりするものだからな……僕の記憶では、昨日のザミョートフの話を聞いてから、初めて事実の真相が半分くらい明瞭になったんだ。

いや、何もぐずぐず言うことはないさ! 僕は現にある一つのケースを知っている。四十男のヒポコンデリイ(心気症)の患者がね、八つになる男の子が食事のたびに浴びせるからかいに耐えかねて、その子供を斬り殺したという話さ。ところが、今度の場合は、みすぼらしい姿に落ちぶれて病気が起こりかけていた時に、高慢な警察官があんな嫌疑をかけたんだからね! しかも、相手は恐ろしく気の立っているヒポコンデリイ患者でさ! そのうえ気違いじみるほど自尊心の激しい男だからたまらない! もしかすると病気の出発点は、全部そこにあるのかもしれないよ! まあ、どうでもいいや! ときにあのザミョートフって男は、実に愛すべき小僧っ子だね。

ただその……昨日あれをすっかりぺらぺらしゃべってしまったのには困るよ。

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