あなたもお見受けしたところ、大分ご風流でいらっしゃるらしい。ひとつ道楽で始めてみてはいかがです?」と、とんでもない勧誘をしてくる。
二年前、ある人の使いで帝国ホテルへ行った時は、錠前直しと間違えられたことがある。
ケープを被って鎌倉の大仏を見物した時は、車屋から「親方」と呼ばれた。
そのほか、今日まで見当違いな評価をされたことは数知れないが、まだ俺を捕まえて「大分ご風流でいらっしゃる」と言った奴はいなかった。
大抵は、俺のなりや様子を見れば分かるはずなのだが。風流人なんていうものは、絵を眺める時にも頭巾をかぶったり、短冊を持っていたりするものだ。この俺を風流人だなどと真面目に言うのは、ただのひねくれ者か、よほどの曲者に違いない。俺はそんな呑気な隠居がやるようなことは嫌いだと言い返した。すると亭主は「へへへ」と笑いながら、「いえ、最初はどなたもそんなに好きなわけではありませんが、一度この道に入ると、なかなか抜け出せないものですよ」と一人で茶を注ぎ、妙な手つきで飲み始めた。
実を言うと、昨日のうちに茶を買っておくよう頼んでおいたのだが、こんな苦くて濃い茶はごめんだ。一杯飲むだけで、胃にこたえるような気がする。今度からはもう少し苦くないものを買ってくれと言ったら、「かしこまりました」と答え、また自分で一杯しぼって飲んでいる。人の茶だと思って、遠慮なく飲む奴だ。
主人が引き下がってから、翌日の予習を済ませてすぐに寝てしまった。それからというもの、毎日毎日学校へ出ては規則通りに働き、毎日毎日帰ってくると主人が「お茶を入れましょう」とやってくる。一週間ほど経つと、学校の様子もひと通り飲み込めたし、宿の夫婦の人となりもだいたい分かってきた。
ほかの教師に聞いてみると、辞令を受けてから一週間から一ヶ月くらいの間は、自分の評判がいいのか悪いのか、非常に気にかかるものだそうだ。しかし俺は、そんなことは一向に気にならなかった。教壇で時々失敗するとその時だけは嫌な気分になるが、三十分もすればすっかり消えてしまう。俺は何事につけても、長く心配しようと思っても心配ができない男なのだ。教壇での失敗が生徒にどんな影響を与えて、その影響が校長や教頭にどんな反応を招くかなど、まるで無頓着だった。
俺は前に言った通り、あまり度胸が据わった男ではないが、思い切りだけはすこぶるいい人間だ。この学校がいけなければすぐにどこかへ行く覚悟でいたから、狸も赤シャツも、ちっとも恐ろしくはなかった。まして教壇の下の小僧どもになど、愛嬌を振りまいたりお世辞を言ったりする気にもなれなかった。
学校の方はそれでいいのだが、下宿の方はそうはいかなかった。亭主が茶を飲みに来るだけなら我慢もするが、いろいろな品物を持ってくるのだ。最初に持ってきたのは印材で、十個ほど並べておいて「みんなで三円なら安いものだ、お買いなさい」と言う。田舎を回っているヘボ絵師じゃあるまいし、そんなものは要らないと突っぱねたら、今度は「華山」とか何とかいう男の花鳥画の掛け物を持ってきた。
自分で床の間に掛けて、「いい出来じゃありませんか」と言うから、「そうかな」と適当に相槌を打つと、「華山には二人いましてね、一人は何とか華山で、もう一人は何とか華山ですが、この幅はその何とか華山の方ですよ」と、くだらない講釈を垂れた。そのあとで、「どうです、あなたなら十五円にしておきます。お買いなさい」と催促してくる。金がないと断ると、「金なんてものは、いつでもいいんですよ」と、なかなか頑固だ。金があっても買わないんだと、その時は追い払ってやった。
その次には、鬼瓦くらいある大硯を担ぎ込んできた。「これは端渓(たんけい)です、端渓です」と二度も三度も繰り返すから、面白半分に「端渓って何だい?」と聞いてやると、すぐに講釈を始めた。「端渓には上層・中層・下層とあって、今時のものはみんな上層ですが、これは間違いなく中層です。この『眼』をご覧ください。眼が三つあるのは珍しい。溌墨(はつぼく)の具合も至極よろしい。試してご覧なさい」と、俺の前に大きな硯を突きつけてくる。いくらだと聞くと、「持ち主が支那から持って帰ってきて、どうしても売りたいと言うものですから、お安くして三十円にしておきましょう」と言う。この男、頭がどうかしているに違いない。
学校の方はなんとか無事に勤まりそうだが、こうも骨董品を押し付けられては、とても長くは続きそうにない。そのうち、学校に行くことさえ嫌になってきた。
ある日の晩、大町という所を散歩していたら、郵便局の隣に「蕎麦」と書いて、下に「東京」と注釈を加えた看板が出ていた。俺は蕎麦が大好物だ。東京にいた時でも、蕎麦屋の前を通って薬味のいい香りを嗅ぐと、どうしても暖簾をくぐりたくなったものだ。今日までは数学と骨董のせいで蕎麦のことなど忘れていたが、こうして看板を見ると素通りはできない。ついでだから一杯食っていこうと思い、上がり込んだ。
見ると、看板ほど立派な店ではない。「東京」とわざわざ断る以上は、もう少し綺麗にしてもよさそうなものだが、東京を知らないのか、金がないのか、めっぽう汚い。畳は色が変色しているうえに、砂でざらざらしている。壁は煤で真っ黒だ。天井はランプの油煙で燻(いぶ)っているだけでなく、低すぎて、思わず首をすくめるくらいだ。ただ、堂々と蕎麦の名前を書いて貼り付けた値段表だけは、やけに新しい。どこかの古い店舗を買って、二、三日前から開業したに違いない。
値段表の一番上に「天麩羅」とある。「おい、天麩羅を持ってこい!」と大きな声を出した。すると、この時まで隅の方に三人で固まって、何やらつるつる、ちゅうちゅうと食べていた連中が、一斉に俺の方を見た。部屋が暗いのでちょっと気がつかなかったが、顔を合わせると、みんな学校の生徒たちだった。先方から挨拶をしてきたので、俺も挨拶を返した。その晩は久しぶりに蕎麦を食べたのだが、あまりに美味しかったので天麩羅そばを四杯も平らげてしまった。
翌日、何気なく教室に入ると、黒板いっぱいの大きな字で「天麩羅先生」と書いてある。
俺の顔を見て、みんなワッと笑った。
俺は馬鹿馬鹿しいので、「天麩羅を食べたらそんなにおかしいのか?」と聞いてやった。
すると生徒の一人が、「しかし、四杯はやりすぎですよ、先生」と言った。
「四杯食べようが五杯食べようが、俺の金で俺が食べているんだ。文句があるか」と言い放ち、さっさと講義を済ませて職員室へ帰ってきた。
十分ほど経って次の教室へ行くと、「一つ、天麩羅四杯なり。ただし、笑うべからず」と黒板に書いてある。
さっきは別に腹も立たなかったが、今度はさすがに癪に障った。
冗談も度を越せばただの嫌がらせだ。
まるで餅を焦がしたようなもので、誰も褒める奴なんていない。
田舎者はこの加減が分からないから、どこまで追い詰めてもいいと思っているんだろう。
一時間歩けば一周できるような狭い町に住んで、他にこれといった特技もないから、天麩羅の件を日露戦争のニュースのように言いふらしているんだろう。
憐れな奴らだ。
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