「あなた方はご存じないでしょうが、昨日料理屋でロージャがしたことといったら! もっとも、あいつの頭の良さには驚かされますがね……全く、どこかの死人のことや娘のことは、昨日一緒に家へ帰る途中でも何か言ってはいました。
ですが、僕にはさっぱりわからなかったんです……もっとも、昨日は僕自身も……」
「それよりお母さん、こちらから兄さんのところへ出かけて行った方がいいんじゃありませんか。
そうすれば、どうしたらいいかもすぐにわかります。
わたし受け合いますわ。
あら、もう時間です!」彼女は首にかけていた時計をちらと見て、声を上げました。
それは細いヴェニスの鎖をつけた、七宝入りの立派な金時計で、彼女のほかの衣装や持ち物と比べると、ひどく場違いで不調和なものでした。
『婚約者からの贈り物だな』とラズーミヒンは思いました。
「あっ、本当に時間だ……時間よ、ドゥーネチカ、時間だわ!」プリヘーリヤは急にあわてて騒ぎ出しました。
「おまけに、こうしていつまでもぐずぐずしていると、昨日のことで怒っているんだと思われるかもしれない。
ああ、大変!」
こう言いながら、彼女は気忙しそうに外套を羽織り、帽子をかぶりました。
ドゥーネチカも身支度を整えました。彼女がはめている手袋は、単に使い古されているというだけでなく、あちこちに穴があくほどでした。
ラズーミヒンはそれに気づきましたが、かえってこのあまりに明白な服装の貧しさが、粗末なものを上品に着こなす人によく見られる、ある種の気品をこの親子に添えているように感じました。
ラズーミヒンは敬虔な気持ちでドゥーネチカを見つめました。そして、これから彼女と並んで歩いて行くのだと思うと、誇らしい気持ちさえ込み上げてくるのでした。
『女王だ』彼は心の中でそう思いました。『あの牢屋の中で靴下をつくろっていたという女王は、どんなにきらびやかな儀式や行事の時よりも、かえってその瞬間の方が、真の女王らしく見えたに違いない』
「ああ、なさけない!」とプリヘーリヤは声を上げました。
「本当に、自分の愛しいロージャに会うのを、こんなにまで恐ろしく感じるなんて、夢にも思わなかったわ。なんだかすごく怖いのよ、ドミートリイ・プロコーフィッチ!」彼女はおずおずと彼を見上げながら、そう付け加えました。
「怖がることはないわ、お母さん」ドゥーニャは母に接吻しながら言いました。
「それよりも、お兄さんを信じてあげて。わたしは信じているわ」
「ああ、どうしたらいいの! わたしだって信じているわ。でも、昨夜は一晩中、一睡もできなかったんだもの!」と哀れな母親は叫びました。
彼らは外に出ました。
「ねえ、ドゥーネチカ、わたし明け方になって、少しうとうとしたら、思いがけず亡くなったマルファ・ペトローヴナが夢枕に立ったの……何もかも真っ白な着物を着てね……わたしのそばに来て手を握りながら、首を振って見せるのよ。それは怖い顔をしてね、まるでわたしを責めているみたいに……これって、いい知らせなのかしら? ああ、そうそう、ドミートリイ・プロコーフィッチ、あなたはまだご存じないでしょう。マルファ・ペトローヴナが亡くなったんですよ?」
「ええ、知りません。いったいマルファ・ペトローヴナというのはどなたですか?」
「急なことでねえ! まあ、どうしましょう……」
「あとにしてちょうだい、お母さん」とドゥーニャが口を挟みました。
「だってこの方はまだ、マルファ・ペトローヴナがどういう人なのか、ご存じないんですもの」
「おや、ご存じないの? わたし、何もかもご存じだと思い込んでいましたわ。どうぞお許しくださいね、ドミートリイ・プロコーフィッチ。ここ二、三日、気が動転してしまっていて。わたし、あなたという人を、わたしたちの救い神のように頼り切っているものですから、あなたは何もかも知っているはずだと決めつけてしまって……あなたを親身の親戚か何かのように思っているの……。わたしとしたことが、失礼なことを言ってしまって、どうぞ気を悪くしないでね。おや、まあ、あなたの右の手はどうされたの! どこかへぶつけたのですか?」
「ええ、ぶつけました」とラズーミヒンは、この上なく幸せな気分でつぶやきました。
「わたし、どうかすると、あまりに一生懸命にお話ししてしまうものだから、いつもドゥーニャにたしなめられるのよ……ああ、それはそうと、息子はなんてひどい所に住んでいるんでしょう! でも、もう起きているかしら? いったいあのおかみさんは、あれを部屋だと思っているのかしら? ……そういえば、あなたはおっしゃいましたね。あの子は自分の心の内を人に見せるのを嫌うって。ですから、わたしも……もともとの弱い性分で、あの子をうるさがらせてしまわないか心配で!……ねえ、ドミートリイ・プロコーフィッチ、いったいどう接したらいいのか、教えてくださらない? わたし、もうご覧の通り、途方に暮れているんですから」
「もし顔をしかめるようなら、あまりしつこく色々なことを尋ねないようにしてください。特に体のことは聞かない方がいいですよ、嫌がりますから」
「ああ、ドミートリイ・プロコーフィッチ、母親というものはなんてつらい役目でしょう! ですが、もう階段です……なんて恐ろしい階段なんでしょう!」
「お母さん、顔色が真っ青よ。落ち着いて」ドゥーニャは母にすり寄りながら言いました。
「お兄さんは、お母さんに会うのを喜ぶべきなのに、かえってお母さんの方がこんなに気苦労されるなんて」彼女は両目をぎらぎらと光らせながら、そう言い足しました。
「ちょっと待っていてください。起きているかどうか、僕が先に見てきますから」
二人の婦人は、先に立って歩くラズーミヒンの後について、そろそろと階段をのぼっていきました。もう四階まで上がり、おかみさんの部屋の戸口にさしかかったとき、ドアがほんの少しだけ開いていて、暗闇の中から二つのすばしっこい黒い目が、こちらをうかがっているのに気がつきました。
しかし、お互いの視線がぱちりと合うと、ドアはいきなり、ばたん! と閉まってしまいました。
それはあまりの勢いだったので、プリヘーリヤは驚きのあまり、危うく叫び声を上げてしまうところでした。
三
「元気です、元気です!」
入ってくる二人の婦人を迎えて、ゾシーモフが浮き浮きした様子で叫びました。
彼は十分ほど前に到着し、昨日と同じ長椅子の端に腰を下ろしていたのです。
ラスコーリニコフは、近ごろには珍しくきちんと服を着て、おまけに顔まで丁寧に洗い、髪も整えて、長椅子の反対側に座っていました。
部屋はたちまち人でいっぱいになりましたが、ナスターシャも客たちのあとからついてきて、みんなの話に耳を傾け始めました。
たしかにラスコーリニコフは、もうほとんど健康と言っていい状態でした(特に昨日のことを思えば、なおさらです)。しかし、顔色は非常に悪く、どこかぼんやりとしていて、気難しそうな様子でした。
外から見ると、彼はどこか怪我をしているか、さもなければ体の中に激しい痛みをこらえている人のようにも見えました。
眉はハの字に寄せられ、唇はきつく結ばれ、目は燃えるように輝いています。
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