初級翻訳・童子 第3話

室生 犀星

「しばらく休んでからにしたほうがいい」

私は見かねてそう言い、心の中でため息をつきました。胸肌の薄い皮膚が少し黒ずんでいるのまで気になり、絶望的な気持ちになりました。女中部屋で一休みさせてから、明かりの下でまた赤ん坊に乳房をくわえさせましたが、二度ほど吸っただけで泣き出してしまいました。調べてみると、一滴ずつしか出てきません。

もう乳をもらいに行く時間だったので、出ない乳首をいつまでもくわえさせておくわけにもいかず、念のためにもう一度やってみましたが、やはり駄目でした。私はいら立ちました。乳母はまた真っ赤になり、鼻の頭に汗をかいています。妻は乳母と私を交互に見ながら「どうして出ないんでしょう」と言い、そして「すぐに平林さんに動坂へもらいに行ってもらいましょう」と、ハンカチに瓶を包んでいます。夏さんは夕方で忙しいからと、平林くんに行ってもらうことにしました。平林くんはすぐに出かけていきました。

「困ったな。乳首になじまないからいけないんだ」

私は妻に、わざと乳の出ないことを言わずにそう言いました。乳母は脂汗をかいていました。

「あなたのお子さんはどうしたのですか?」

ふと妻がそう尋ねると、乳母は汗と脂で光る顔を上げました。

「死んでしまいましたの。生まれてすぐに」

「まあ……」

妻は目を丸くしましたが、私は別に何とも思いませんでした。子供というものは死にやすい、もろい花のようなものだと思っていたからです。

「それで千葉にいたのですか?」

「いいえ」

「どこに?」

乳母は言いにくそうに黙り込んでしまいました。私は妻に、これ以上尋ねるなと目で合図しました。乳母はやはり全身をこわばらせ、そのせいで息が詰まりそうに見えました。

平林くんが帰ってきました。「いつもより時間が遅かったから、こちらで持って上がろうかと今言っていたところです、と言ってハンカチに包んでありました」

乳は生ぬるいものでした。それを消毒して飲ませると、赤ん坊はハアハアと言って、おいしそうに飲みました。こういうふうに飲ませているから、よほど出る乳でないと対応できないんだと、妻が誰に言うでもなくつぶやきました。乳母は伏し目がちに、じっと赤ん坊の顔を見つめていました。頭がぼうっとしているらしく据わりの悪いところがあったので、疲れているのだなと思いました。

晩も遅くなってから、夏さんが急に書斎へやってきて、乳母が着物やその他の用事で浅草の宿まで行かせてくれと言い、さっき持ってきた風呂敷を持って、勝手口で今にも出かけようとしていると報告しました。「なんでも吉原に奉公していたことがあるそうで、お宅は気が詰まるんでしょうね」とも言いました。

「今夜行かせたら、明日の朝お乳を飲ませられないじゃない。困ったことを言う人だね」

妻は不平を言い出しました。

「今夜出してやると、あの女は帰ってこないかもしれないよ」

先ほどから居心地が悪そうにしていた乳母が、何かを口実にして窮屈なこの家を出たいと考えているように、私には思われました。

「そうね。でも来たばかりなのに……。けれども、わからないわね」

妻も不安がりました。

「用事があったら明日のお昼にしなさいと言ってくれ。今夜はだめだから」

夏さんはその通りを伝え、すぐに乳母を寝かせることにしました。あとで女中が妻に、「旦那さまのおっしゃった通りを伝えると、しくしく泣いていましたの」と告げました。堅気な家は窮屈なんでしょうね、とも言い添えていました。

翌朝、ひと晩休んだから今度こそ乳母の乳は出るだろうと期待していましたが、やはり少ししか出ませんでした。しまいには赤ん坊のほうが、変に柔らかい乳首を嫌がりました。平林くんはすぐに出かける用意をして、玄関で待っていました。「家に来る前に、本当に出ていたのですか?」

妻が疑わしそうに尋ねると、乳母は、いつも茶碗に絞っては捨てていたのだと答えました。私は、乳も出ず萎んでしまった乳首を、嫌な気持ちで見つめました。平林くんは、瓶を持って出かけていきました。

乳母は彼を見送ると、同じように指先で乳首を刺激しましたが、やはり乳は出ませんでした。お昼になっても白い液体が出る気配はなく、乳首を口に当てても、赤ん坊は嫌がって吸おうとしません。

乳母は夏の間ずっと、昨夜の約束通り「少しの間だけ浅草まで行かせてほしい」と、しきりにせがんで聞きませんでした。

「そんなに言うなら、行ってこいと言いなさい。どうせ帰ってこないだろうから。乳が出ないんだから、仕方がないじゃないか」

「それもそうね。じゃあ、行かせてあげましょう」

妻は「なるべく早く帰ってくるように」と言い含めて、乳母を送り出すことにしました。あとで私は、夏さんに尋ねました。

「包み(荷物)を持って行ったのかい?」

「ええ、全部持っていきました。歯磨き粉だけ置いていきましたよ」

晩になっても帰ってこないことは目に見えていましたが、夜遅くまで勝手口の戸締まりをしないで待っていました。しかし、やはり帰ってきませんでした。乳母も窮屈で困っていたのでしょうが、ひと安心した反面、私たちはまた乳をもらいに行くという厄介な事態に困り果てました。

「結局、当分のあいだはもらい乳をするしかないな。どうしようもない」

「他に手はないでしょうか」

「あれだけ探してやっと見つけた人だったからね。これといった代わりなんて、すぐには見つからないだろう」

ふたりが話していると、夏さんがこんなことを言い出しました。

「勝手口で乳母さんが出かけるときに、『歯磨き粉はあなたにあげる』と言っていましたから、もう帰ってこないつもりだったんでしょうね」

お人好しな夏さんは、私たちの気も知らずにぽかんとそんなことを言いましたが、私は「あっちへ行け」と顎で追い払いました。

……赤ん坊は、やすらかな花のように眠っていました。そんなふうに言えるなら、それにも増して美しい、くっきりと濃い線を引いたような瞳を閉じて。その寝息は、平和に私の心を和ませてくれました。

……私たちは四年前の冬に結婚しました。その晩は珍しい大雪の翌日で、夜中に雨戸を一枚開けて手洗い鉢へ向かうと、銅の手杓(手桶)まで凍りついていました。どこか青みがかった明け方の空気を、雪と雪とが照らし合い、その明かりはむしろ痛みを感じるほどの寒さを伝えてきました。私はそこでしばらく立ち尽くしながら、すやすや眠っているらしい妻に、私がこうして起きていることを気づかせまいと、凍りついた敷居の上で音もなく雨戸を閉めました。

式を済ませると、田端と神明町の境にある百姓家の離れに住み、私は毎日、抒情的な詩ばかり書いていました。蟻の餌にもならないような、父が残してくれたわずかなお金も、いつの間にかなくなっていました。貧しく地味な暮らしを続ける中でも、少しずつ自費出版の詩集などが売れていきました。父からのわずかな金をかき集め、十年ほどかけて書いた詩を本にして、本郷の本屋に頼んで売ってもらっていたのです。

その頃、すでに父親になっていた恩樹という友だちが、来るたびに三つくらいの女の子を抱いてやってきました。

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