初級翻訳・論語物語 第15話

下村 湖人

それよりか、礼の大先生の現代式祭典のやり方でも覚えこんで、われわれも、もつと出世をする工夫をした方が利巧でしょう。
」
「いや、なるほど。
そう事がきまれば文句なしです。
はッはッはッ。
」
 孔子の姿が見えないところでは、あちらでも、こちらでも、そうした失望やら、嘲笑やら、憤慨やらの声がきこえた。
孔子は、それを知ってか、知らないでか、一とおり質問を終ると、みんなに丁寧に挨拶をして、その日は一旦退出した。
心配したのは孔子の推薦者であった。
彼ても、孔子の力量を実際に試して見たわけではなく、世評と、孔子の門人たちの言葉を信頼していたに過ぎなかった。
で、彼は、大廟内の噂を耳にすると、すぐ子路のところに駈けつけた。
事柄が事柄だけに、直接孔子に会うのも憚られたし、それに、こんな場合、何もかもぶちまけて相談の出来そうなのは、孔子の門人のなかでは子路が一番だ、と思ったからである。
子路は、一とおり話をきくと、大声を出して笑った。
「ご安心なさい。
貴方のご迷惑になるようなことは断じてありません。
……しかし、先生も先生だ。
そんな児戯に類するようなことをして、皆さんにご心配をおかけしなくてもよさそうなものだ。
……どうです、これからご一緒に先生のお宅にお伴しましょう。
私にも少し文句があるんです。
ぶちまけてお話をして、先生のお考えも承ろうではありませんか。
そしたら貴方もいよいよご安心でしょう。
」
 で、早速二人は孔子の門をくぐった。
子路は、孔子の顔を見るなり、お辞儀もそこそこに、来意を告げた。
そして例の大声を張りあげて、詰問でもするように云った。
「僕は、先生のその流儀が、どうも腑に落ちないのです。
こんな時こそ、先生は堂々と、ご自分のお力をお示しになるべきではありませんか。
だのに、わざわざ、田舎者だの、青二才だと言われるようなことを、どうしてなさるのです。
」
「私の力を示すというと?」
 孔子は顔色一つ動さないで云った。
「むろん、先生の学問のお力です。
」
「学問というと、何の学問かな。
」
「それは今度の場合は礼でしょう。
」
「礼なら、今日ほど私の全心を打込んだところを、皆さんに見ていただいたことはない。
」
「すると、先生の方からいろいろお訊ねになったというのは、嘘なんですか。
」
「嘘ではない。
何もかも皆さんに教えていただいたのだ。
」
「何だか、さっぱりわけが解りませんね。
」
「子路、お前は、一体、礼を何だと心得ている。
」
「それは先生にふだん教えていただいているとおり………。
」
「坐作進退の作法だというのか。
」
「そうだと思います。
ちがいましょうか。
」
「むろんそれも礼だ。
それが法に叶わなくては礼にはならぬ。
しかし礼の精神は?」
「先生に承ったところによりますと、敬しむことにあります。
」
「そうだ。
で、お前は、今日私がその敬しみを忘れていた、とでもいうのかね。
」
 子路の舌は、急に化石したように、硬ばってしまった。
孔子はつづけていった。
「かりそめにも大廟に奉仕するからには、敬しんだ上にも敬しまなくてはならない。
私は、先輩に対する敬意を欠きたくなかったし、それに従来の仕来りについて、一応のおたずねもして見たかったのだ。
それをお前までが問題にしようとは夢にも思わなかった。
しかし……」
 と、彼は一二秒ほど眼をとじたあとで、
「私にも十分反省の余地があるようだ。
元来、礼は敬しみに始まって、調和に終らなければならない。
然るに、今日私が皆さんにお訊ねした結果、皆さんのお気持を害したとすると、私のどこかに、礼に叶わないところがあったのかも知れない。
この点については、私もなお篤と考えて見たいと思っている。
」
 子路はますます固くなった。
孔子の推薦者は、さっきから二人の話を落ちつかない風で聴いていたが、孔子の言葉が終ると、急に立上って、挨拶もそこそこに辞し去った。
孔子は、子路と二人ぎりになってからも、眼をつぶってしばらく考えこんでいたが、ふと何か思い当ったように云い出した。
「子路、お前は、何よりも劒が好きだ、といったことがあるね。
」
「はい。
」「学問が何の役に立つか、といったこともあるね。」
「はい。」
「だが、今では、学問の大切なことは、十分わかっているだろう。」
「それは申すまでもございません。」
「ところでお前には、まだ学問をするほんとうの心構えが出来ていない。」
「と申しますと?」
「現に今日もお前は、よく考えもしないで、私の方に飛びこんで来たのではないかね。」
「申しわけありません。」
「一、学問に大切なことは、学ぶことと考えることだ。学んだだけで考えないと、道理の中心が掴めない。だからいつも行き当りばったりだ。丁度真暗な室で、柱をなでたり、戸をなでたりするようなもので、個々の事柄を全体の中に統一して見ることが出来ないのだ。むろん考えただけで学ばないのもいけない。自分の主観だけに捉われて、先人の教えを無視するのは、丁度一本橋を渡るように危いことだ。向うまで行きつかないうちに、いつ水の中に落ちこむか知れたものではない。事柄によっては、いくら考えても何の役にも立たない事さえあるのだ。
二、いつだったか、私は、食うことも寝ることも忘れて一昼夜も考えこんだことがあるが、何一つ得るところがなかった。そんな時、古聖人の残された言葉に接すると、一遍に道理がわかるのだ。とにかくどちらも軽んじてはいけない。学びつつ考え、考えつつ学ぶ、これが学問の要諦だ。ところでお前は、そのどちらもまだ十分でない。それも、結局、お前に敬しむ心がないからではないかね。」

孔子の言葉は、容易に終りそうにない。
「道は一つだ。心に敬しみさえあれば、物事を軽率に判断することもなかろうし、わかりもしない事をわかったように見せかけることもないだろう。」
「別に、わからない事をわかったように見せかけたつもりはありませんが……」
子路は、少し不服そうに、言葉をはさんだ。
「そうか、そう自分では信じているのか。」
「少くとも、今日の事では……」
「ふむ。するとお前は、お前自身何を考え、何をやっているのかさえ、よくはわかっていないようだな。」

孔子もまだ若かった。彼の言葉には、かなりの辛辣さがあった。
「お前がさっきの人をつれて、ここにやって来た時には、お前は何もかも知りぬいた人のような顔をしていたのだ。礼のことも、そして私が今日大廟でどんな心でいたかも。」
「それは全く私の誤解でした。」
「誤解? なるほど人間には誤解というものがある。そして、もしそれが敬しみに敬しんだ上での誤解であるならば、許されてもいい。しかし、万一にも、自分を誇示したい念が急なために生じた誤解であるとすると、それは最早や誤解でなくて虚偽だ。自分自身に対する不信だ。生命の真の願いを自ら暗ますものだ。そしてそれが人間をして無知ならしめる最大の原因だ。お前には、まだここの道理がよくのみこめていない。だから人一倍無知を恥じていながら、却って知が進まないのだ。

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