初級翻訳・軍用鼠 第7話

海野 十三

あの小さな子ネズミたちは、きっと税関までやって来る途中に生まれたものに違いありませんぜ」
「バカを言うな、親ネズミがわざわざ栓のしてある木箱の中に子どもを産むわけないだろう」
と、ワイトマンは全く相手にしませんでした。
作者の梅野十伍は、ここまで書き終えて大きく長い息をつきました。
これで一通りのフェアなかたちで、前編の謎を解くことができました。
しかし読者は、これだけの解決ではきっと満足しないだろうと彼は思いました。
実はまだ、彼はこの物語の本当の見せ場というべき部分を一文字も書いていなかったのでした。
読者からお叱りを受ける前に、すぐに話を続けなければならないと思い、慌てふためきながら再びペンを取り上げました。

税関吏のワイトマンが、本部からの通達を短波受信機で受け取って、顔面蒼白となったのは、次の日の早朝のことでした。
「国境ヨリ 真珠ノ頸飾ノ密輸甚ダ盛ンナリ。
此処数日間ニ密輸サレタル数量ハ時価ニシテ五十万るーぶりニ達ス。
而シテ之レ皆貴関ヨリ密輸セラレタルコト判明セリ。
急遽手配アレ」
さらに三十分ほど経つと、第二報の無線電信の通達が入ってきました。
「密輸真珠ヲ検査ノ結果、げるとねる氏菌ヲ発見セリ。
仍リテ鼠ノ所在スル附近ヲ厳重監視シ、可及的速カニ密輸方法ヲ取調ベ、本部宛報告スベシ」
ゲルトネル氏菌の登場、そして数十万ルーブリもの真珠のネックレスの密輸。
――犯人は、レッド老人以外に心当たりはありません。
ワイトマンは肝臓が破裂しそうなほどの激しい怒りを感じました。
あの図太い老いぼれめ、ネズミの輸入なんてどうも怪しいと思っていたが、なんと真珠の密輸を隠すためのカモフラージュだったとは。よし、今日こそ絶対に逃れられない証拠をつかんで、監視に失敗した汚名を返上してやるんだ。
彼は、レッド老人が峠の向こうからネズミの籠をぶら下げて姿を現すのを、今か今かと窓の傍で待ち構えました。

その日の暮れ方、税関の門がもう閉まろうかというその直前、待ちに待ったレッド老人の声がようやく門の方から聞こえてきました。
「旦那、すみません。
本日はどうも遅くなってしまいましたが、一つネズミをお調べ願いますぜ」
ワイトマンは肩で大きく息を一つ吸い込むと、机の上を食用ガエルみたいな拳でドンと一撃叩き、表の方へと駆け出していきました。
レッド老人は、昨日と寸分変わらないネズミの籠を持って立っていました。
ワイトマンは無言で老人を部屋の中に招き入れました。
そして入口の鍵をガチャリとかけると、その鍵を金庫の暗号の場所しまい込み、自分の手がブルブルと武者震いしていることに気がつきました。
それから、執拗な検査が始まりました。
消毒用の衣類にゴムの手袋、防毒マスクという物々しい格好で、ワイトマンは立ち向かいました。
まずは例の革袋の中にネズミたちを追い込みました。
それから、ペルシャ猫のミミー嬢の力を借りて、木製の底から八匹の子ネズミたちを追い出しました。
「今日の課税は八ルーブリだ」
ワイトマンは鉛筆を取り上げると、机の上のメモ用紙に「8ルーブリ」と書きつけました。
忘れないための覚え書きです。
それが済むと、空っぽになった籠をテーブルの上に逆さにして置きました。
彼の手に一挺の大きなまさかりが握りしめられました。
彼はそのまさかりを大きく振り上げると、力いっぱい籠の底板へと打ち下ろしました。
パックリと底板が割れました。
中はずんどうの洞(うろ)のようになっていました。
そこにはもう一匹の子ネズミも残っていませんでしたが、その代わりとして、銀色に輝く立派な真珠のネックレスが姿を現しました。
「ついに見つけたぞ。
ほら見ろッ!」
ワイトマンは得意の絶頂でした。
彼はもう少しで老人レッドの身体を調べることを忘れるところでしたが、ふとそれに気がつき、これまた昨日には負けないほど厳重な取り調べを行いました。
しかし、老人の身体からは一粒の養殖真珠さえも出てきませんでした。
老人レッドは、命じられるがままに、十万八ルーブリの税金を支払いました。
十万ルーブリは真珠の関税で、残りの八ルーブリがネズミの超過関税でした。
老人は二十八匹のネズミを歪んだ籠の中に入れて、そのまま税関を出ていきました。
あとには、得意満面の税関吏ワイトマンと、ボロボロに傷ついた丸いテーブルだけが残されました。

すでに朝となりました。
いや、間違いです。
一行あけて、この行に書くべきでした。
すでに本当の朝が訪れています。
作家・梅野十伍の朝なのです。
いつの間にすっかり夜が明けていたのか、彼はちっとも気づいていなかったのでした。窓の外には、編集局から来たお使いの少年が履いている鉄の鋲(びょう)を打った靴音が聞こえてきそうだった。
けれども、輸入ネズミの物語は、まだ最後まで書き終わっていなかったのだ。
彼は鼻の頭にかいた大きな汗をハンカチで拭いながら、原稿用紙の上に再びペンを激しく走らせた。
その翌朝のこととなった。
(国境の朝である。
そして同時に、作家である梅野十伍の朝でもある――ああ、なんてつまらない書き方だ!)
面白いのは、その早朝、税関の役人ワイトマンに対して本部から送られてきた電報の内容だった。
「昨夜ノ密輸真珠ハ、時価四十万るーぶりニ達ス。
貴関ノ報告数ニ2倍ス。
何ヲシテイルノダ。
至急ヘンマツ」
税関の役人ワイトマンは、床の上にドシンと尻餅をついた。
あまりの驚きに腰が抜けてしまったのだろうか。
そんなはずはない。
彼はすべてを念入りに調べたはずだった。
あんなにも大量の真珠が隠されていたとは、まったく油断のならない、食えない老ぼれ密輸犯のレッドめ!
一体その膨大な数の真珠を、レッドはどこに隠して持ち込んでいたのだろうか。
――こんなふうにして、密輸犯のレッド老人とワイトマン税関吏の追いかけっこを書き続けていけば、どこまでいってもキリがない。
しかし、あらかじめ決められたページ数はすでに尽きかけていた。
もう筆を止めなければならない。
それでは、先ほどの疑問に対する答えだけを書き記しておこう。
たくさんの真珠は、なんとネズミたちの胃袋の中に押し込まれていたのである。
さあ、これで一応の結末がついたようだが、まだ最も大切なことが一つ説明されていなかった。
それはこの物語のタイトルでもある「軍用鼠」のことである。
軍用鼠とは、軍事の目的にネズミを利用することである。
軍用犬としてシェパードやエアデール・テリアが使われる話は誰もがよく知っている。
軍用犬がいて、どうして軍用鼠がいないことがあろうか。
軍用犬に比べて軍用鼠の利点は非常に多い。
第一に、費用が安いこと。
また、繁殖力がとても大きいこと。
それに、非常にすばしこいこと。
そのうえ、持ち運びにものすごく便利なことだ。
兵士たちの両方のポケットに四匹や五匹ずつ入れて連れていくことができる。
こいつらを訓練して、いざという有事の際に使うときの威力は、実にものすごいものなのだ。
ただ一つだけ、ネズミの弱点は鼻の頭が弱いことである。
この部分をほうきで思い切りぶんなぐると、「チュー」と鳴いてすぐに伸びて気絶してしまう。

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