初級翻訳・ジェームズ・ワット 第3話

ジェームズ・ワット

ワットはこの画期的なアイデアについて、1765年に特許(権利)を取得しました。

これ以外にも、ワットが行った改良のもうひとつの大切なポイントは、「ピストンを蒸気のパワーで片方にだけに動かすのではなく、両方へ往復するように工夫したこと」でした。

どうやったかというと、蒸気をピストンの両側に交互に入り込ませるようにしたのです。そうすれば、まず蒸気がピストンの下側に入ってグッと上へ押し上げ、次に上側に入って今度は下へ押し下げるという動きができるようになります。

おまけに、もしそれができるようになれば、筒をずっと縦に立てておく必要もなくなり、横に寝かせてピストンを左右に動かすことだってできるようになります。それに合わせて、蒸気のパワーを十分に強くしてピストンの動きをさらに元気いっぱいに活発にさせることができるというわけです。

しかし、これを実際にやってみて、完全に成功させるまでには、想像を絶するさまざまな苦労がありました。それでも、1769年にはついに大満足のいく機械が完成し、その特許をとることもできたのです。

もちろん、この後もワットは色々な部分で機械の改良を続けました。彼の人生は、そのための研究にほとんどの一生を捧げたと言ってもいいくらいでした。

ところが、こうした発明の勉強や研究に夢中になっていた一方で、そのぶん生活のほうはどんどん苦しくなってしまい、土地の測量の仕事をしたり、そのほかにもいろいろなアルバイトをしたりしなければなりませんでした。

それでも、ワットの熱心な姿勢に心から感動した人たちが彼を助けてくれたおかげで、最終的に成功できたと言っても過言ではないでしょう。

最初は、薬品(硫酸)の製造をしていて炭鉱のオーナーでもあったレーバックという人が協力してくれましたが、数年後にはこの人も財産を失ってしまったため、それからはブールトンという頼もしい人に支えてもらいながら、一緒に事業を進めることになりました。

ワットはこの他にもたくさんの特許を手に入れ、それによって彼の名前と名声はだんだんと世界中に広がっていき、晩年はとても幸せに過ごすことができました。

また、1784年にはエディンバラ王立協会のメンバーに選ばれ、その次の年にはロンドン王立協会のメンバーにもなり、さらに1814年にはフランスのアカデミーの外国会員にも選ばれて、ものすごい名誉を一身に背負うことになったのです。

しかし、すっかりお年寄りになったので、1800年には仕事を引退して故郷へ帰り、のんびりとした静かな生活を送りましたが、1819年の8月25日に84歳の長生きでお亡くなりになりました。この頃にはすでに、この蒸気機関を使った船や汽車も作られて世界中をびっくりさせていたため、ワットの死は、より一層すべての人々から深く惜しまれたのでした。
彼の亡きがらはハンズワース教区の教会のお墓に眠ることになりましたが、1824年には、イギリスの歴史あるウェストミンスター寺院の中に彼の立派な銅像が建てられ、イギリス人としてこれ以上ない最高の栄誉を授かることになったのです。
それだけでなく、はじめにお話ししたように、彼が発明した蒸気機関のおかげで「産業革命」という社会をガラリと変えてしまうような大変化を起こしたということは本当にすごいことであり、これほど歴史に大きな影響を与えた人は、ほかにほとんどいないと言ってもよいほどなのでしょう。
これもすべて、ワットが何事にもまっすぐに向き合い、ひたむきに努力を続けた結果が素晴らしい実を結んだからにほかならないのです。

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