子どもの心は、染まっていない純白の糸のようなものです。それが赤や黒、あるいは青や黄色に染まっていくのは、すべて周りの環境による影響です。幼い頃に受けた影響は、その人にとっての「第二の天性」となり、一生の間、決して消えることはありません。だからこそ、孟子の母が教育のために住居を移したことや、墨子が白い糸が染まるのを悲しんだエピソードのように、先人たちは子どもを正しく導くために苦心してきたのです。
そもそも、わが帝国の国民は古来より武勇の気風にあふれ、あらゆる困難を乗り越えて突き進むことで、国の力を世界に示してきました。歴史がそれを証明しています。特に南北朝時代から文禄の年間にかけて、わが国の民は小さな舟を操り、広大な荒波を乗り越えて、近くはアジア大陸から、遠くは南洋の島々まで渡り歩きました。八幡大菩薩の旗が波止場にはためけば、陸の上はたちまち人がいなくなるほど恐れられ、数々の国々を震え上がらせたものです。その痛快な出来事は今も歴史の書物に鮮やかに残り、まるで紙面から声が聞こえてくるようです。読む者の骨を鳴らし、肉を震わせ、勇ましい気持ちにさせることでしょう。
わが国の民がこれほどまでに異国で堂々と振る舞えたのは、もちろん彼らが胆力に満ち、強靭な精神を持っていたからに他なりません。しかしそれだけでなく、海戦の陣形や、風向き、潮の流れ、水路の知識に至るまで、驚くほど発達した技術を持っていたからです。独自の理論を打ち立て、一流の水軍を作り上げた先人たちが何人もいたことを見れば、当時から実戦経験に基づいた学術が応用されていたことは間違いありません。
ところが、徳川幕府の鎖国政策は、この勇壮な遺伝的気質を完全に打ち砕いてしまいました。「海は危険な場所である」という考えが国民の脳裏に深く刻み込まれ、明治維新から三十年以上が過ぎた今日に至るまで、その恐怖心は完全には消えていません。本当になんとも痛ましく、嘆かわしいことです。
押川春浪は、この現状を深く憂い、少年たちに海への関心を持ってもらうために、懸命に努力してこの本を書き上げました。海軍の学術的な研究と、勇猛でくじけない精神をこの物語の主眼としています。古い歴史と照らし合わせれば、この物語は鮮やかに異彩を放つことでしょう。名前は小説ですが、実は精神を鍛える教科書であり、軍事学を研究するための入り口なのです。ましてや、上村海軍少佐による懇切丁寧で厳密な校閲まで受けているのですから。世の中のデタラメな空想物語を並べて、ただ自己満足しているような作品とは、その格が違います。
この本が世に出れば、わが国の少年たちに感化を与え、知らず知らずのうちに海事への関心を育み、未来の国民の元気を奮い立たせる効果は絶大であると確信しています。本が完成するにあたり、拙い見解を記して序文といたします。
明治三十三年 庚子(かのえね)の天長節、秋の紅葉が美しく彩る季節に。
海軍少佐 子爵 小笠原長生
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