初級翻訳・『グリム童話集』序 第2話

『グリム童話集』序

「童話」という新しい言葉をつくったのはおそらく京伝で、その時代は今(昭和十三年)からおよそ百五、六十年ほど昔、天明(てんめい)の終わりか寛政(かんせい)の初めごろに書いた彼の『童話考(どうわこう)』という本の中ではじめて使ったのではないかと思われるのですが、この本がちゃんとした本として世に出たものかどうか、わたしは目にしたことがないので、はっきりとは言い切れません。

(ちなみに、曲亭馬琴(きょくていばきん)は、童話を「ワラベモノガタリ」と読ませています。
また、『異制庭訓往来(いせいていきんおうらい)』という本について、京伝は、文化十年から数えておよそ五百年前に虎関和尚(こかんおしょう)、つまり師練国師(しれんこくし)が書いたものだと主張しています。
それから、京伝が亡くなったのは、先ほどお話しした『グリム童話』の第二巻が出版された翌年の文化十三年のことです)。

グリムのお話は、正確にいうと、子ども用のおとぎばなし(キンデル・メールヒェン)と、家族みんなで楽しむおとぎばなし(ハウス・メールヒェン)が合わさったもので、京伝のいうところの「ムカシバナシ」ではありますが、馬琴のいう「ワラベモノガタリ」ではありません。

しかし、グリムがいう「ハウス・メールヒェン(家庭向きおとぎばなし)」とは、そのお話のもっている「飾り気がなくて心に響く詩のような味わいは、人間ならだれもが心から愛さずにはいられず、そのなかにある本当の真実は、どんな人にとっても大切な教えとなるものだからであり、また、そうしたお話は、いつまでも家庭の大切な宝として残りつづけ、世代から世代へと語り継がれていくものだからこそ」そう名づけられたのです。だからこの本は、全体として子どもたちだけのためではなく、いつまでも若々しい心を持ちつづけている大人たちの読み物にもしたいというのが、グリムの強い願いでした。また、この本を訳したわたしも、童話とは、子どもたちがもっている「プシューヒェ(心、たましい)」、つまり「童心(どうしん)」と呼ぶべきものを生み出すもととなる作り話だと信じているので、この翻訳本のタイトルには、「児童および家庭お伽噺」という長い名前は使わず、シンプルに『グリム童話集』としておくことにしました。

この名前は、グリム兄弟の本当の気持ちにぴったりと寄り添うものです。

一部だけを抜き出したり、新しく書き直したりしたものではないこの『グリム童話集』の完全な翻訳は、そのままでは学校の教科書や子ども向けの教育読本ではないかもしれませんが、グリム自身の言葉を借りるならば、「将来に向かって大きく栄えていく可能性をもっているものはすべて、自然のまま(生まれたままの姿)のものであり」「私たちが教育のための本として本当に求めたいのは、物語の裏側に何かよからぬ下心を隠したりせず、まっすぐなお話がもつ真実のなかに宿っている、汚れない清らかな美しさなのです」。

鳥が広い空にすみかに生きるように、魚が地球をめぐる水の中で息をするように、花が大地にしっかりと根をおろしているように、人間の子どもたちは「真理(本当のこと)の国」に生きています。

それなのに、自分では気づかないうちに真理の国に住んでいる子どもたちが、おのずから大自然の教え子であることを忘れ、人間が受けるあらゆる教えはすべて大自然そのものからやってくるのだということを忘れて、大人たちが、自分の勝手な思い込みや、あるいは自分ではいいことだと思い込んでいるけれど実は大きなおせっかいであるような、まるで悪魔のような善意によって、子どもたちのピュアで純粋な心を刻一刻と傷つけていっているのは、本当になげかわしいことだと言わざるをえません。

私たち人間は、人間の頭ではとても計り知ることのできない大きな混沌(こんとん)の中に、すべてが完璧に調和している大自然の前に、そして、すべてを壊す力と新しく創り出す力の両方をもっている大自然の前に、自分のプライドをすっかり捨てて、心をからっぽにしてひざまずかなければなりません。

大自然そのもののなかにこそ、本当の道徳(正しい生き方)の源泉(みなもと)があるのです。
その川の流れる様子を、あちらこちらで目を光らせて監視するのが人間の役目なのではないでしょうか。

だからこそ、「昔の立派な聖人や賢者だけが道徳を独り占めして教えられる」「英雄だけがみんなに尊敬されるべきだ」と思い込んでいる人は、少し気の毒な人たちです。
私たちは、一見するとおろかに見える人たちの存在や、世間でいわゆる「悪い人」とされる人たちの存在さえも、うまく活かして役立てなければなりません。動物や魚、木や石といった自然の生き物たちの暮らしぶりも、決してバカにしてはいけないのです。こうした生き物たちがそれぞれの命をいとなんでいる様子を注意深くじっくりと観察することは、まだ汚れを知らない子どもの魂がすくすくと育っていく方向を決めるために、とてもたくさんの役に立つと私たちは信じています。

本当の意味で「人間らしい人間」というものは、おそらくこのようにして育てられていくのでしょう。

こうした意味において、『グリム童話集』は、まさに「大自然の縮図(ミニチュア)」そのものです。
これこそが、『グリム童話』が子どもたちの世界の「聖典」と呼ばれる理由なのです。

しかしながら、「若いこと」は子どもだけの特権ではありません。「若々しさ」こそが、人間にとって一番大切な要素なのです。
人間にとって大切にしなければならないのは、聖書の中にある「もしあなたたちが心をあらためて、幼い子どものようにならなければ、決して天国に入ることはできないだろう」という言葉の通り、子どもがもっているあの「何にもとらわれない素直な心」、そして子どもたちの持つ純真な心そのものです。

心の中に「いつまでも変わらない若さ」を保ちつづけることによって、人間は人間としてのすべての活動を生き生きとやり遂げることができます。
子どもたちが「おはなし」を求めるのは、その年ごろだからこそ自然に湧き上がってくるものですが、子ども時代をすぎた大人たちであっても、心の奥底にひそんでいる「永遠の若さを求めるエネルギー」によって、昔からその民族に伝わる童話にあこがれるのです。

本物のメールヒェン(おとぎばなし)こそは、世の中にあるすべての文章や物語の中で、人間にとって最も愛おしく、なくてはならないものであるはずなのです。ここにグリムのすべてを訳した本をお届けするのは、日本の男の子や女の子にすばらしい先生やお友だちをプレゼントしたいからだけではありません。この本をとおして、訳者であるわたしは、大人や年配の読者のみなさんとも手をつなぎながら、中央ヨーロッパで独自の道を歩んでいるドイツという国のかごの中をのぞき見ると同時に、世界中の人たちがもっている空想の力や、正しい道徳の源泉から、新鮮な水をくみ上げることができるのを心からうれしく思っているのです。

この本は、むかし『世界童話大系』というシリーズに入っていたものの改訂版(新しく手を入れた版)ですが、訳者であるわたしの力が足りず、また注意が行き届かなかったせいで、まだまだ完璧(かんぺき)からはほど遠い状態です。

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