初級翻訳・平馬と鶯 第3話

平馬と鶯

「ホウホケキョ」というその鳴き声は、最初はかなり遠くの方でしたが、だんだん近づいてきて、今度は家の近くで大きくはっきりと聞こえてきました。
すると少女の鶯も、友達が来たのを喜ぶように盛んに鳴き立てました。
やがて庭先の梅の小枝に、もう一羽の鶯の黄ばんだ緑色の姿が見えました。しばらく籠の中の鶯と盛んに鳴き交わしていたかと思うと、つと羽ばたきをして、梅の枝を離れた鶯が縁側の籠の前へと飛んできました。
籠を隔てて二羽の鶯が、何事か親しげに囁き合っているように見えます。
少女はうれしそうににっこりして、新来の珍客を驚かせないように気をつけながら、そっと籠のそばへ寄りました。
この、どこからともなく飛んできた鶯も、長らく人に飼われていたものとみえて、少女が近づいても逃げようとしません。
ふとその脚を見た少女は、急いで籠の外の鶯を押さえました。
紅筆のような鶯の脚に、小さな紙片が結びつけてあったのです。
少女が紙を解いて見ると、小さく畳んだ手紙のようなものでした。鶯はそのまま放してやって、少女が手早く紙を広げようとしていると、背後で荒々しい音がしました。振り返って見ると、そこにいたのは兄の鏡之介でした。真庭念流の剣客であり、下妻藩の若侍たちのあいだでリーダー格として振る舞う荒武者です。

「千草、何だその手紙は?」

鏡之介は、鋭い眼光で少女が手にしていた紙片を見つめました。千草と呼ばれた少女は、怖そうにおずおずと、兄の鏡之介にその紙を差し出しました。鏡之介がそれをひったくるようにして読むと、こう書かれていました。

『下妻の方々へ申す。平馬をはじめ結城藩の若侍一同、今宵の深夜、結城の城下はずれにある森で会合を開き、筑波神社の祭礼で行われる神前試合の作戦会議をするよし。確かな筋より聞き及んだので、参考にまで密告いたします。よろしく御取り計らいを。影ながらお味方の一人より』

読み終えた鏡之介は、足元にいる妹の千草を睨みつけて問い詰めました。

「どこからこの手紙が舞い込んだ?」
「はい。どこからともなく一羽の鶯が、この私の飼っている鶯を慕って飛んできまして……。その鶯の脚に、このお手紙が結びつけてあったのでございます」
「ふうむ。そうか……。鶯の便りとは、近ごろにしては風流な話だな」

そう言うやいなや、鏡之介は手紙を握りしめたまま、どんどん奥へと歩いていきました。頭の中では、今夜の結城側に対する素晴らしい計画を思い巡らせながら。

   矢筈(やはず)の森

宵のうちに少しだけ顔を見せた月は、間もなく霧に呑まれてしまい、森の木の下闇は、鼻先をつままれてもわからないほどの暗さでした。結城藩と下妻藩のあいだには、横笛川という一筋の流れがあります。その川に月見橋が架かっていることは前にも話しましたが、その月見橋を少し結城側へ寄った所に、「矢筈の森」というこんもりと茂った森がありました。

昼間はときどき城下の百姓や町人が薪木を拾いに来るくらいの場所で、この夜更けに、しかもこの霧の中、今ごろ森の中に人影があるなどとは到底思えません。ところが、ちょうどその森の真ん中、木々が少し開けて草が茫々と茂っているあたりに、提灯の火を霧の中ににじませながら、一団の人影がうごめいていました。

あの鶯の便りにあったとおり、平馬を筆頭に結城藩の若侍一同が、来るべき大試合に向けて作戦会議をしようと、夜中にひそかに集まっていたに違いありません。提灯の灯りを受けた彼らの顔は赤く興奮しており、霧越しにお互いの顔を覗き合いながら、さっきから相談が盛り上がっています。

彼らは話に夢中で、すぐそばの木の影に、下妻の鏡之介がこっそり忍び寄って立ち聞きしていることには、誰一人として気づいていない様子でした。

「今年こそは平馬殿が出られるからと思って、我々も安心しているんだが、ここに聞き捨てならない話がある。下妻のやつらは戦う前から勝算がないことを知って、なんとかして平馬殿を出場不能に追い込もうと、つけ狙っているというじゃないか。みなさん、敵のやり方はまことに卑怯極まりないが、この際、平馬殿にもしものことがあっては、我々一同、本当に困ってしまう。もとより勇猛な平馬殿のことゆえ、下妻のやつらなど恐れるに足りないだろうが、世間にも言う『多勢に無勢』……どうも心配でならない」

こう言って一人が分別顔で一同を見回すと、それに応じて他の者も口を出しました。

「その通りだ。だからこそ、今宵こうして御一同に集まっていただき、改めて平馬殿に特別に用心なさるようお願いしたわけだが……」
「ところが平馬殿は我々の注意を鼻であしらって、いっこうに意に介してくださらないのは、いささか心外だ」
「とはいえ、平馬殿ほどの腕があれば、それくらいの自信を持つのは無理もないことだ。決して無謀とは言えない」
「そうは言っても、敵は朝夕つけ狙っているし、平馬殿は平気だし……これは困ったことになったなあ」

みんなが頭を抱えて考え込んでいると、平馬がその言葉を引き取るようにして言いました。

「皆さんの忠言、まことにありがたい。ありがたいことではあるが、この平馬、下妻の連中など少しも恐れてはおりませぬ。先方が試合前にそんな小細工を弄して、拙者の出場を邪魔しようというのなら、拙者にも考えがござる!」
「考えとは、どのような考えで?」
「ほかのことではない。そんなにやつらが拙者を狙っているなら、今宵これから拙者が単身、下妻の城下へ乗り込んで、大通りに堂々と寝そべって見せてやろうと考えている。朝になればどうせ拙者を見つけて大騒ぎするだろうが、そこで拙者が目をこすってむっくり起き上がり、下妻城下のやつらを睨みつけて帰ってくるのだ。『先んずれば人を制す』。こうして出鼻をくじいてやれば、さぞ痛快ではないか?」

平馬のこの突飛な申し出に、かなりの反対の声が上がりました。相当に腕の立つ連中が大勢、刀に手をかけて探し回っている場所へ、自分から乗り込んでいくというのは、まことに危険な物好きだと言わざるを得ません。「一人で行くのか」
「もちろん一人で行く」
「しかし、それも面白いが、この霧をはらしてからにしたまえ。この深夜の霧の中を敵地へ踏み込むのは、みすみす敵の術中に陥るようなものだ」
と、みんなが口を揃えて思い止まらせようとしましたが、平馬は一向に聞く耳を持ちません。
「なに、これから行って一泡吹かせてやるのが面白いのだ」
こう言って頑固に頑張り通した末、とうとう平馬が一人でこの霧の深夜、月見橋を渡って下妻の里へ乗り込んで行くことになりました。

ここまで聞いていた木の影の鏡之介は、「今夜こそ好機だ。途中で待ち伏せして、大勢でひどい目に遭わせてやろう。ことによったら斬り殺してもかまわぬ」と思いながら、急いで立ち上がって森を出ると、韋駄天(いだてん)のような速さで自分の藩の方へ駆け出しました。

あとには、森の奥の結城組一同が、平馬を中心に小さな輪になって集まり、頭を突き合わせて何やら真剣に相談しています。霧が濃くなったのか、みんなの肩が重く湿ってきました。近くの木で、ホウ、ホウと二声、梟(ふくろう)が啼きました。

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