初級翻訳・曲馬団の「トッテンカン」 第4話

下村 千秋

曲馬団というものは、華やかで幸福なものとばかり思っている新吉には、この二人の女たちは、昨日も今日もどうしてこんなことばかり言うのだろうと、ただ不思議に思うばかりでした。
新吉はなんとも答えずに垂れ幕をすりぬけて、象のいる方へ走って行きました。
象は、大きな耳をばさばさ動かし、長い鼻を左右にうちふり、足をばたばたさせました。
なにも知らぬ新吉が見ても、象はたいへんよろこんでいることがわかりました。
昨夜一晩、同じ貨車の中ですごしたので、象は新吉を友だちのように思っている風なのです。
それから新吉と象は、すっかり仲よしになりました。
象の名はファットマンといいました。
太った男という意味です。
十時頃になると楽隊がはじまりました。
そして十二時頃から曲馬ははじまりました。
人はぞろぞろと通りましたが、中へは新吉の町でやったときほども入らず、やっと、見物席の三分の一がふさがっただけでしたけれど、馬の曲乗り、自転車の曲乗り、竹渡り、綱渡り、空中飛行、象の曲芸、猛獣使いの芸当、少女たちのダンスと、演芸はそれからそれへ、かぎりもなく演じられました。
新吉は見物したくてたまらないのですが、そうは出来ません。
十幾頭という馬のかいばをつくらねばなりません。
何十種という動物の食べものをつくらねばなりません。
それから、小屋の裏手の小さなテントの中で、何十人という曲馬団員の御飯のしたくをしなければなりません。
これらの受け持ちの人は外に幾人もいましたが、その人たちは道具方の男で、みんな意地悪の横着ものばかりでした。
だから新吉は、それ、水をくんで来い、それ、お米をとげ、それ、じゃがいもの皮をむけ、それ、たくあんを買って来いと、次から次へ目のまわるほどこき使われるのでした。
けれど新吉は、一生けんめい働きます。
どんなことでもします。
団長へ約束したのですから、いやだなどということはもちろん、ちょっとでもなまけることは出来ません。
ですから新吉は、いなかの鍛冶屋にいた時分よりは、もっとまっ黒けになって、朝っから夜まで、その夜も十一時から十二時頃まで働きつづけました。
朝の働きはそれほどつらくはなかったが、夜、演技がおわって、見物人がかえって、それから後かたづけをするときのつらさといったらありませんでした。
おなかはすき、からだはへとへと、そして頭がおっこちそうに眠い。
新吉はただもう、無我夢中で働いていました。

九

 十日ほどでそこを打ち上げた曲馬団は、今度は東京の南の端の町へうつり、そこでまた十日ほど打ちました。
それから横浜へ行きました。
次に小田原へ行きました。
次に静岡、次に浜松、それからさらに大阪、神戸、京都、金沢、長野とまわって、最後に甲府市へ来たときは、秋も過ぎ、冬も越し、春も通りぬけて、ふたたび夏が来ていました。
新吉の曲馬団の生活も、もう一年になったのでした。
そしてその間に、新吉はりっぱな象使いの名人になっていました。
次から次へうつって行くときの長い旅を、新吉はいつも象といっしょに貨車に乗せられたのです。
はじめから仲よしだった新吉と象はこのような長い旅のあいだに、もう兄弟のようになってしまい、象のファットマンは、新吉のいうことなら何でもわかり、新吉の命ずることなら何でもするようになったのでした。
団長もこれにはびっくりもし、よろこびもしました。
そこで新吉を、象使いの名人として見物人の前へ出すことにしたのです。
これまでの象使いは例の一寸法師でしたが、一寸法師には、片足を上げさせたり、ラッパを吹かせたり、碁盤の上へ乗せたりするぐらいしか出来ませんでした。
けれど新吉がやると、ファットマンは、象のからだで出来ることは何でもやりました。
中でも一番面白い芸当は、新吉と二人で鍛冶屋をつくることでした。大きな木琴をつくり、その木琴を新吉が持ってぐるぐるまわり歩きます。
ファットマンはその後からついて歩きながら、鼻の先に持った棒で木琴をたたくのです。
新吉が、トッテンとたたくと、ファットマンはカンとたたきます。
トッテンカン、トッテンカンと実に調子よく木琴は鳴ります。
三角帽をかむり、道化役の服を着た新吉は、そこで大きな声で歌います。
「たたけやたたけ、はげあたま、
  トッテンカン。
火花がちるぞ、はげあたま、
  トッテンカン。
あははの、あははの、はっはっは、
  トッテンカン。
」

いうまでもなくこの芸は、新吉がもと鍛冶屋の小僧だったので、そこから思いついた芸で、歌の文句の「たたけやたたけ、はげあたま」というのは、鍛冶屋の親方のはげ頭を思い出してつくったものでした。
新吉がこれを歌い出すと、ファットマンも耳をばさばさやり、しっぽをふり、足をあげて、からだ中で笑います。
見物人もこれにはみんなお腹をかかえて笑いました。
もし見物人の中に、あの鍛冶屋の意地わるおやじがいたら、どんな顔をするだろう。
そう思うと新吉はまた一人でおかしくなり、ますます元気づいて、それでますます芸が面白くなりました。
それから新吉には「トッテンカン」というあだ名がつき、「曲馬団のトッテンカン」というと、どこへ行ってもたいへんな人気ものとなりました。

十

朝から夜中まで、まっ黒けになって働いていた新吉も、今は、象使いの名人、曲馬団のトッテンカンとなって、この大きな曲馬団の人気を一人で背負って立つほどの人気ものとなり、見物人の前で芸をする以外には、何一つからだを動かさなくてもいいようになりました。
そうして甲府の町へ小屋を張ったときには、「曲馬団のトッテンカン」という評判だけで、見物人は毎日ぞくぞくとおしよせて来ました。
新吉は得意の絶頂にいました。
さてある日のこと、それは九月のはじめのことでした。
新吉は、象のファットマンの外に、きえちゃんわか姉さんという二人の竿上りの芸人と仲よしになっていましたが、きえちゃんの方が、その前の日から目まいがして、その日の芸が出来そうもなくなりました。
きえちゃんはその前日、芸をしくじったので、その罰として御飯を一日に一度しか食べさせられなかったのです。
そのために目まいがするのです。
しかし団長は、
「横着ものめ、ぐずぐずしていると、たたきのめすぞ。」
とどなりつけました。
新吉は見ていて、かわいそうでたまらなくなりました。
新吉が一年前、いなかの町を逃げ出して停車場まで曲馬団のあとを追っかけて来たとき、はじめて新吉に話しかけたのがこのきえちゃんでした。
そのとき「曲馬団の中はもっとつらいところだよ。」とさとしてくれたのが、わか姉さんでした。
それからこの二人は、何かにつけて新吉の味方になり、新吉がまっ黒けになって、朝から夜おそくまで働かせられているときは、涙を流して同情し、新吉の手にあまるつらい仕事は、かげながら手伝ってくれたのでした。
で、新吉は今はこの二人を、またとない恩人とも思っているのです。
その一人の、新吉より年下のきえちゃんが、今こんな目にあっているのですから、新吉は黙って見ていられるはずはありません。
「ねえ、きえちゃん、僕が代わって芸をしてあげよう。」
そう新吉はいい出しました。
「だってトッテンカンには、わたしの芸が出来やしないよ。

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