課長が、今朝ほどこちらへお電話をかけて、『釈放しろ』とおっしゃったものですから、その通りに出したのですが……まさか、課長、いまのお話は、それが間違いだったとでも……?」
「大間違いに決まっているじゃないか、君!」
大江山課長は係長の肩に手をかけ、激しくゆすぶりましたよほどあわてているのが分かります。
「おい君!
私はそんな電話をかけた覚えなど一切ないんだぞ。
その話をくわしく聞かせてくれ!」
「いや、それは驚きですな……」
係長はすっかりあきれ返った顔をして、そのときのいきさつを語り始めました。
その話のまとめると、要するに、今朝ほど、どう聞いたって完全に課長の声にしか聞こえない声で電話がかかってきたというのです。
声のトーンも、言葉のしゃべり方も、間違いなく大江山課長そのものだったので、
「すぐに千二少年を釈放しろ」というその命令に従ったというのでした。
その話を聞いたとたん、大江山課長の顔は、サーッと血の気が引いて青くなりました。
13 りっぱな自動車
さて、千二少年はどうなったのでしょうか。
その朝、彼は突然許されて、留置場から外へ出ることになったのです。
「おい、千二君、もう二度とこんなところへ来るんじゃないぞ」
佐々刑事はそう言いました。
「ええ、もう二度と来やしませんよ。
だいたい今度だって、僕は何も悪いことをしていないのに、人違いでこんなところに放り込まれたんですからね」
「人違いで入れられた、などと思ってちゃいけないよ。
だって千二君、君の知り合いの丸木という男は、確かに人を殺して逃げたんだからな」
「でも、僕は何も知らないし、何にもしていません!」
「何もしていないかどうか、証拠がないから、はっきり無実の証明ができないじゃないか。
とにかく、課長から『すぐに釈放しろ』という電話がなかった日には、君はまだまだ共犯の疑いをかけられて、ここに留め置かれるところだったんだからな」くれぐれも、これからのことを注意したまえ」
「はい」
「あの丸木なんかと、一しょに、悪いことをやるんじゃないよ。
それから一つ、君にたのんでおくが、もし君が、どこかで丸木を見かけたら、すぐこの私のところへ、知らせてくれ。
どこからでもいいから、電話をかけてくれればいいんだ。
ほら、この名刺に電話番号が書いてある」
千二は、佐々にいろいろと、たしなめられたり、たのまれたりして、警視庁を出ていったのである。
そこは、桜田門のそばであった。
千二はふたたび自由の天地に放たれたことを喜び、まるで小鳥のように、濠端をとびとびしながら、日比谷公園の方へ駈出していった。
公園の垣根のところまで来ると、千二は、そこに一台のりっぱな自動車が、運転者もいないで放りっぱなしになっているのに気がついた。
公園のそばに、放りっぱなしになっている無人自動車は何であったろうか。
千二は、人一倍機械なんかが好きであったから、このりっぱな自動車を見ると、そのまま通りすぎることが出来なくなって、自動車の窓のところから、内部をのぞきこんだ。
美しいスピード・メーターがついているし、ハンドルも、黒光りにぴかぴか光っていて、まだ倉庫から町へ走り出して間もない外国製の自動車であることが、千二にもよくわかった。
「ふうん、ずいぶん、りっぱな自動車もあればあるもんだなあ」
彼は、ガラス戸におでこをこすりつけながら、思わずひとりごとを言った。
「ああ、ぼっちゃん。
少々ごめんなさい」
不意に、千二のうしろで声がした。
千二は、きまりが悪くなった。
振りかえって見ると、そこには、からだの大きな、そうしてきちんとした服と帽子に身なりをととのえた運転手が立っていて、扉についている取手を、がたんとまわすと、その扉をあけた。
この運転手は、運転台へ乗りこむつもりであることが、よくわかった。
「ぼっちゃん、これに、乗せてあげようかね」
「えっ」
「乗りたければ、乗せてあげるよ」
千二のうしろに立っていた運転手は思いがけないことを申し出た。
「だって、僕は……」
千二は、乗りたいのは山々であった。
しかし、せっかく警視庁から放免されたところである。
へんなことをして、また間違いをしてはならないと、乗りたい心をおさえたのであった。
「いいから、お乗りなさい。
さあ、早く、早く」
千二は、運転手に腕をつかまれたまま、車内の人となった。
はじめから、このりっぱな自動車に乗りたい心であったが、これでは、何だかこの運転手のため、無理やりに、運転台へ乗せられてしまったようなものである。
千二は、何だかちょっと不安な気もちになった。
そういえば千二の腕をつかんだ運転手の力は、あんまり力がはいり過ぎて、こっちの腕が折れそうであった。
「動くよ」
運転手は、しわがれた声で言った。
すると自動車は、たちまち勢いよく公園のそばを離れた。
そうして日比谷公園の角を右へ折れると、芝の方へ向かってスピードをあげた。
「すごいスピードだなあ」
千二は、感心して、運転台のガラスから、商店や街路樹や通行人がどんどん後へ飛んでいくのを、おもしろく見まもった。
だが、しばらくいくと、変なことが起った。
それは、白いオートバイが、後から追いかけて来たことである。
そうして、千二の乗っている自動車の前を通り過ぎると、うううっと、すごい音のサイレンを鳴らした。
オートバイの上には、風よけ眼鏡をつけた逞しい警官が乗っていたが、手をあげて、こっちの自動車に「とまれ!」の合図をした。
(ははあ、この運転手さんがスピードを出し過ぎたから、それで、おまわりさんに、ストップの号令をかけられたんだな。
かわいそうに、この運転手さんは、おまわりさんに叱られた上、罰金をとられるだろう)
と、千二は気の毒になって、運転手の方をふり返った。
すると、運転手は車をとめるかと思いの外、車外の警官をじっと睨みつけると、かえってスピードをあげて、たちまちオートバイを追越した。
千二は驚いた。
白いオートバイの警官からストップを命令されたのにもかかわらず、自動車は彼を乗せたまま、ぐんぐんスピードをあげて逃出したからだ。
「ねえ、運転手さん。
おまわりさんが、ストップしろと命令しましたよ。
早くとめないと、大変ですよ」
「おだまり、千二!」
「えっ!」
千二は、また驚いた。
運転手から、彼の名を呼ばれて、二度びっくりであった。
「運転手さんは、どうして僕の名を知っているんですか」
と千二は、となりに並んで腰をかけている運転手の顔を見た。
運転手は、中腰になって、正面をにらんでいた。
車は、町の信号も何もおかまいなく、怒れるけだもののように走っていく。
その時千二は、運転手の横顔を見て、心臓がとまるほど驚いた。「あっ、丸木さんだっ!」
なんと、丸木だ! あの恐ろしい怪人丸木だった! 運転席でハンドルをしっかり握っていたのは、この前、千二がひどい目にあわされたあの怪人丸木、その人だったのだ。
「おい、静かにしろ! お前がそばでそんなにうるさく言うと、この車のハンドルがうまく操作できなくなっちまうだろ。
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