この分で一晩降り続けば、お宮もすっかり埋もれてしまい、山の木々も二、三尺(約60~90センチ)ほどに小さく見えてしまうかもしれない。
「オオ、寒ッ!」
あまりの寒さに耐えかねて、お堂の中から飛び出してきたのは一人の少年だった。
寒いはずである。膝行(ひざゆき)袴に筒袖の布子(ぬのこ)を一枚羽織っているだけなのだから。しかし、腰に差した刀は、その身なりや年齢には似つかわしくないほどの名刀「銀づくり」である。
「これほど雪が降っていては、クロも空を飛ぶことはできないだろう。ああ、一体いつになったらお前とめぐりあえるのだろうか」
吹雪の空を見上げ、黒い大鷲の幻影を心に描いていたのは、法師野(ほうしの)以来、その行方を尋ね歩いている鞍馬の竹童(ちくどう)であった。
信濃を越え、飛騨を越え、クロを訪ねて冬に入り、この大雪に道を見失ってしまった竹童。腰には名刀「般若丸」を帯びる誇りはあるものの、「お師匠さまは尊いもの、クロはおいらのかわいいもの」と思っている彼にとって、あの鷲に会えない心境はひどく寂しいものであった。
二
年が明けて、天正十一年。
本能寺の焼け跡にも、柳が青々とした芽を吹いた。
都の春は、ことのほか賑やかである。
とりわけ、羽柴従四位の参議・秀吉が入洛(京都に入ること)した際の賑わいは格別であった。
――金の千瓢(せんびょう)、あざやかな赤い陣羽織、萌黄縅(もえぎおどし)に小桜縅(こざくらおどし)、ピカピカと光る鉄砲、真新しい弓組。こうした行列が、大路小路に絶えることがない。
戦があっても貧相ではなく、新しく鋳造された小判がジャラジャラと町にあふれ、派手で、厳粛で、陽気で、活動的な人気は、まさに秀吉の気質そのものであった。
京ばかりではない。姫路へ下向すれば姫路の町が秀吉色に染まり、安土へ行けば安土の町がそっくりそのまま秀吉の気性を映し出すのである。
「ご前」
馬廻りの福島正則が、ニヤニヤと笑いながら秀吉の前に膝をついた。
京都の仮陣営には、天下の覇権を狙う秀吉がいて、食事を噛む暇もないほどのせわしさである。
今も、祐筆(ゆうひつ)に何かを書かせながら、自分でも花判(はなばん)や黒印をペタペタと捺している。
近く出陣しようとしている柴田勝家方の滝川征伐に向け、兵を糾合するための檄文(げきぶん)であるらしい。
「なんじゃ」
秀吉は無造作に答え、次の紙へペタリと一つ判を捺した。
「とうとうやってまいりました」
「だれが」
「裾野の和田呂宋兵衛(るそんべえ)でございます。恐る恐る拝謁を願い、陣の前に控えております」
「富士の人穴で二千の軍兵を抱えながら、勝頼の遺子・武田伊那丸に追いまくられていた男か。今度はわしに取り入る気だな」
「むろん、ご賢察の通りでございましょう」
「まあいい、ここへ連れてこい」
秀吉は、まるで品物でも見るかのような口ぶりで言った。
「可児才蔵(かにさいぞう)はあるか!」
秀吉は大きな声で怒鳴った。
華やかな小具足(こぐそく)を身につけた可児才蔵が、幕を払って階下に頭を下げる。
「しばらくそこに待機しておれ」
秀吉はそう言ったまま、また祐筆に向かって何やら文言を授けている。
すると、福島正則が和田呂宋兵衛と、蚕婆(かいこばば)の修道士姿の二人を連れてきて、はるか遠くに平伏させた。
呂宋兵衛は、ここぞとばかりに出世の糸口をつかもうと、持てる限りの巧みな言葉と甘い言葉を並べ立て、お目見えを果たした。
まず、将来の天下人が現れるという兆しの話から始まり、君のためなら死ぬことなど羽毛よりも軽いという忠誠心、そして自分のような天下の野武士さえも指一本で動かせるという自慢、幻術は天下無双であり、兵法智略には丹羽昌仙という腹心の者がいることなど、際限なく並べ立てた。
秀吉は「フン、フン、フン」と、聞くことだけは聞き流している。
さて、呂宋兵衛はまだ何かを言おうとする。
「さて、このたびの拝謁にあたり、何かよい土産をと存じまして。上洛の途中、命がけで探り当てましたのは柴田勝家の攻略、北庄城の縄張りから本丸外郭、濠の深さに至るまでのことでございます。それを密かに言上いたしますれば、近き合戦の勝利は疑いなきことと存じまする」
と、蚕婆に探らせた評定の様子や、自分が調べた砦の秘密などを、得意げに語り出した。
今、勝家と秀吉の仲が日ごとに険悪となっていることは天下の周知の事実である。
さぞや秀吉が目を細めて喜ぶだろうと思いきや、呂宋兵衛が喋っている最中に、
「ウッハハハハハ!」
と腹を抱えて笑い出した。
「呂宋兵衛、柴田の内幕話ならもうやめい」
「はッ」と、彼は目をパチクリさせる。
「仰せにはございますが、勝家一族がご当家を袋叩きにせんとする奇陣を工夫し、雪解けと同時に出陣する密策を探ってまいりましたゆえ」
「わかった、わかった。そちの申すのはこれであろう」
座右の文庫から無造作に取り上げ、呂宋兵衛の方へ見せた書類! ヒョイと仰ぎ見ると、いつぞや北庄城の一室で、納戸襖から合図されて手へ渡した、あの「攻軍の秘帖」ではないか!
あの手は秀吉だったのか? あの手が? 呂宋兵衛は茫然として、次の言葉が出てこない。
「こりゃ、そちは幻術はやるようだが、諜者(スパイ)としてはひどく下手じゃの。探りにかけては、まだそこにいる男のほうがはるかにうまい」
秀吉は可児才蔵を顎で指した。
「才蔵、びっくりしておるわ、種を明かしてやれ」
「はッ、呂宋兵衛殿」
と、今度は才蔵が言葉を引き継いだ。「先日は、まことに失礼いたしました」
「えっ! ではあの時、後ろから手を出したのは?」
「貴公より先に、北庄城へ探りに入っていた拙者でござる。また、橡ノ木峠(とちのきとうげ)でご挨拶をして通り過ぎたのも、すなわち拙者で」
「ははあ……」
呂宋兵衛と蚕婆は、そう言ったきり、すっかり勢いを削がれてしまいました。いままで偉そうに並べ立てていた自慢話が、いっそう彼らの器量を小さく見せています。
三
その時でした。羽柴秀吉の荒くれ旗本である脇坂甚内、平野三十郎、加藤虎之助の三人が、バタバタと幕屋の裾をかき分けて現れ、一大事を報告してきました。
しかも、それは不思議な事件でした。
いま、突然この陣屋へ、徳川家の武士五人が訪ねてきたというのです。その五人の頭は、徳川家の中でも名を知られた菊池半助でした。
半助が言うには、武田勝頼と二人の従者が、墨染めの衣を着て網代笠(あじろがさ)を目深にかぶり、ひそかに東海道からこの京都へ入ったため追跡してきたが、ついにこの洛中で見失ってしまった。ついては、羽柴殿の兵を使って捕らえてほしい、という申し出でした。
これほど奇妙な話はありません。武田四郎勝頼――すなわち伊那丸の父である総大将は、昨年の天正十年三月、織田・徳川連合軍によって滅ぼされ、天目山の麓ではなばなしい討ち死にを遂げたことは、天下の誰もが知る事実です。
それなのに、その勝頼が墨染めの衣を着て京都に入ったなど、どう考えても面妖(めんよう)な話です。
「お間違いはないか」
と虎之助が念を押した時、
「断じて間違いはござらん」
と、菊池半助は言葉を強めて言いました。
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