初級翻訳・蝗の大旅行 第2話

佐藤 春夫

新聞を読むのに夢中になっているほかの乗客たちは、誰一人としてこの風変わりな小さな乗客には気づかなかった。
それが結局、この小さな乗客にとっては幸せなことなのだろう。

それにしても、このバッタはどこまで遠くに行くつもりなのだろう。
ここまでやってきた距離だって、人間にとっては大したことのない距離だけど、このバッタにしてみれば、僕が東京から台湾へやってきたくらいのとてつもなく遠い旅なのかもしれない。
それから、僕はこんなことも考えてみた。
僕が東京から台湾へやってきただって、この世界をあちこち旅した大冒険家からすれば、ほんのちょっとしたお散歩みたいなものにちがいない。
さらに、人間よりもっとすごい存在――それが何なのかはわからないけれど、もしそんな存在がいて、いろんな違う星の世界をいくつも旅してきたとしたら、そのすごい存在にとっての人間の世界旅行なんて、大したことのない、ほんの小さな星の上をひとまわりした小旅行にすぎないのだろう。

バッタの目には、人間は大きすぎて見えていないかもしれない。
同じように、人間の目にも、人間よりずっと大きなものは見えていないかもしれない。
僕たちが「汽車」と呼んでいるものだって、もしかしたら、僕たちには気づけないほどものすごく大きなすごい存在にとっての「田中君の麦わら帽子」かもしれないじゃないか。
……
僕がそんなことを考えているうちに、汽車はどんどん走り続け、やがて僕が降りる予定の「二八水(にはちすい)」という駅の近くにやってきた。
僕は身の回りの荷物を準備してから、向かい側にいるあの風変わりな旅人のほうへ歩いて行った。

「やあ! バッタくん、とんでもない大旅行じゃないか。
君はいったいどこまで行くつもりなんだい。
このまままっすぐ行けば一番北のキールン(基隆)まで行ってしまうよ。
キールンから船に乗って日本へいくつもりかい?
それとも、特に目的もない気まぐれな旅なのかい?
それならさ、どうだい? 僕も旅行好きだけど、僕と一緒に二八水で降りないかい?
そこから僕は『日月潭(にちげつたん)』っていう有名な景色を見に行く予定なんだけど、君も一緒にどうだい?」

僕は心のなかでバッタにそう話しかけながら、自分の緑色の裏地がついたヘルメット帽をひっくり返し、その緑色の面を見せてこの小さな大旅行家を誘ってみた。
この旅人が緑色のものを好きだってことは、見ていてわかっていたからね。
だけど、バッタはほかに用事があるのか、それとも日月潭の観光には興味がないのか、僕の帽子には乗ろうとしなかった。

汽車を降りる直前、僕はもう一度あのバッタのほうを振り返って、やっぱり心のなかでこう声をかけた――
「バッタくん。
大旅行家さん。
それじゃあ、さよなら。
気をつけていくんだよ――途中でイタズラな子どもにつかまって、そのきれいな足を引っこ抜かれたりしないようにね。
それじゃあ、失敬。」

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