初級翻訳・透明猫 第2話

海野 十三

二階へあがったものの、青二は、ちょっと困ってしまった。
このあやしい動物をどこへおいたらいいかということだ。
そのままおいておけば、きっと出ていってしまうだろう。
逃げられたんでは、いやだ。
戸棚に入れようか。
いや、猫はふすまを破ることなんか平気だから、戸棚では安心ならない。
「青二や。
なにをしておいでだい。
ご飯ですよ。
早くおりていらっしゃい」
 はしご段の下から、母親が二階へ声をかけた。
「はーい。
今行くよ」
 さあ、どうしようかと、青二は困ってしまった。
が、困ったときには、よく名案がうかぶものである。
青二は、机のひきだしをひっぱりだして、ひもを探した。
赤と青のだんだらの、荷物をくくるひもがあった。
それを出すと彼はあやしい動物の後足二本を、そのひもでいっしょにぐるぐるしばってしまった。
こうすれば、このあやしい動物は、前足も後足も二本ずつしばられているんだから、もう歩くことができない。
歩くことができなければ、この部屋から、出てゆくこともない。
よしよし、これなら大丈夫と、青二はそれがすむと、机の上にそっとおいて、はしご段を下へおりていった。
夕飯のおぜんを、母親とかこんで、いつものように食べた。
母親は、放送局にはかわったことがなかったかと聞いた。
青二は、なにもかわったことがなく、お父さんは鉛筆を一本くれたと、答えた。
食事がすんだ。
母親が台所の方へいっているひまに、青二は皿の上からたべのこりの魚の骨をそっと掌へうつした。
そして急に立って、二階へとんとんとあがっていった。
「青二、お待ちよ、りんごを一つ、あげるから……」
 母親が声をかけたが、青二は、
「うん。
あとでもらうから、今はいいよ」
 と、いいすてて二階へあがった。
すぐ机の前へとんでいった。
机の上には、見おぼえのある赤と青とのだんだらのひもと、ゴムのバンドがあった。
気味のわるい二つの目玉らしいものも、そこにあった。
「にゃーお。
う、う、う」
「これがほしいんだろう。
さあ、おたべ」
 青二は、魚の骨を、光る目玉の下へおいてやった。
すると、かりかりと骨をかむ音がした。
骨がくだけて、机の上からすこしもちあがった。
そしてそれはやがて線のようにつながって、だんだんと上にあがり、それから横にのびていった。
「き、気持がわるいなあ」
 青二は、ぞっとした。
魚の骨が、動物の口へはいってくだかれ、それから食道をとおして、胃ぶくろの方へ行くらしい。
それが透いてみえるのだった。
「ふーん。
たしかにこれは見えない猫だ。
透明猫だ。
なぜこんなふしぎな動物が生きているんだろうか」
 青二は、おそろしくもなったが、またこの見えない猫が貴重なものに思われてきて、膝の上にのせてしきりになでてやった。
そのうちに、二つの目玉が動かなくなった。
透明猫は、膝の上でねむりはじめたらしい。
しかしそのとき、青二がふしぎに思ったのは、拾ったときはたいへんはっきり見えていた目玉が、今はぼんやりとしか見えないことだった。
おそろしき事件

 あくる日、青二はいつものように五時に起きた。
父親は、まだねていた。
放送局から夜おそく帰ってくるので、父は朝おそく起きるならわしだった。
だからその朝も、青二は母親といっしょに朝のおぜんについた。
茶の間は、台所のとなりで、光線があまりはいらない部屋だった。
「どうしたの、青二。お前の顔は、へんだね。
気分でもわるいのかい」
 母親が心配そうにきいた。
青二は、べつに気分もわるくなかった。
だからそのとおり答えた。
「でもね、青二。
どうもへんだよ。
なんだかお前の顔は、かげがうすいよ。
ぼんやりしているよ」
 そういわれても、青二は本気にしなかった。
「お母さんは、あんなことをいっているよ。
お母さんの目の方が、今日はどうかしているんでしょう。
目がかすんでいるんじゃない」
「あら、そうかしら。
もっとも、もう春になりかけているんだから、のぼせるかもしれないからね」
 その話は、そのままになった。
青二の母親は、朝の用事をまだたくさんもっていたから。
青二は二階へあがった。
机の上に、小さい座ぶとんがのせてある。
その座ぶとんの上を見るとまん中がひっこんでいた。
そして、ゴムのテープと、赤青のまだらの紐が結ばれたままあった。
その座ぶとんの上に、例のあやしい動物がねていることはたしかだった。
だが、ふしぎなことに、二つの目玉は、どこにも見えなかった。
「あの目玉はどこへ行ったんだろう」
 青二は、そばへいって、手さぐりで動物をなでてみた。
猫の頭にちがいないものが、たしかに手にさわった。
しかし目玉は見えなかった。
もしや目玉がなくなったのかと思って、青二は片手で動物の頭をおさえ、もう一方の手で目玉をさぐってみた。
すると、
「ふうっ」と、動物はあらあらしい声をたてて、座ぶとんからはねあがった。
そうでもあろう。
いきなり目玉へ指をつっこまれたのでは、びっくりする。
青二の手がひりひり痛んだ。
見ると、血が出ている。
今動物のために、ひっかかれたんだ。
が、このとき青二は、おどろきのあまり、心臓がどきんと大きくうってとまった。
それは、なんだか自分の手が、はっきり見えないのだった。
ぼんやりとしか見えないのだった。
「どうしたんだろう」さっき青二の母親がいったことばが思い出された。
「青二、どうしたの。
お前の顔は、かげがうすいよ」と、いわれたのを。
青二は柱にかかっている鏡の前へいって顔をうつしてみた。
「おゃっ」
 大きなおどろきにぶっつかった。
鏡にうつった青二の顔は、うすぼんやりしていた。
校服はちゃんとはっきりしているのに、くびから上が、ぼんやりしているのだった。
やっぱり自分も、のぼせ目となったのかと思い、青二は、いくども目をこすって、鏡の中にうつる自分の顔を見なおした。
だが、そのかいは、なかった。
いくど見なおしても、彼の顔はぼんやりしていたし、両手をうつしてみても、やはりそれもはっきりうつらなかった。
「えらいことになった」と、青二はその場にうずくまってなげき悲しんだ。
なぜそんなことになったのか、青二には、わからなかった。
あの見えない猫と同じようなふしぎな現象が、今自分のからだの上にあらわれて来たのだ。
「これからどうなるだろうか。
自分もあの猫のように、からだがすっかり見えなくなってしまうのではあるまいか。
ああ、そうなったら、もう生きてはいられない。
自分は化け物あつかいされるだろうから……」
 青二は、ここで、重大な決心をしなければならなくなった。
このままうちにいて、化け物あつかいされるか、それとも誰にも見つからない世界へにげていってしまうか。
いろいろと考えなやんだ末……青二は、そっと家を出てゆくことにした。
青二は、わずかの着がえをバスケットに入れ、また片手には、透明猫を入れたふろしき包みをもち、母親に気づかれないうちに、家を出てしまった。
ただ母親がなげくとかわいそうだと思ったから、
「ぼくは急に旅行をします。
心配しないで下さい。
そのうちに、かならず帰って来ます。

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