こりゃあ、すまないことをした」
と言いながら地面へ下ろして、ハンカチで涙を拭いてくれました。
あとで姉に聞くと、それは姉のクラスの担任の先生で、私をかわいがってくれたのだそうです。
そして「これからあんなことをされても、泣いちゃいけないよ」と言われたので、ようやく訳がわかって「今度こそは泣くまい」と思っていましたが、先ほどの一件で懲りたのか、その後は一度も私を持ち上げることはありませんでした。
その次の習字の時間の騒ぎは、また格別でした。
墨壺をひっくり返して泣く子がいれば、半紙に団子の絵ばかり描いて叱られる子もいます。
そんな中を古沢先生は、世の中に「面倒」なんてことがあるのを忘れたかのように、何から何まで世話をして、腰を叩きながら一人ひとりの手を取って、習字を教えて回るのです。
筆を持つ手の上を、白墨だらけの手でつかまれると、体がすくんで筆の先がブルブルと震えてしまうので、先生は何度も「いろは」を書き直さなければなりませんでした。
あんまり激しい刺激や、慣れない仕事のせいで頭痛がして、胸も悪くなったので、その日はそれで家に帰りました。
伯母さんは水で頭を冷やしてくれて、「えらかった、えらかった」と言いながら、木枕の引き出しから肉桂(にっき)棒を出してくれましたし、姉はご褒美に南京玉の守り袋を作ってくれたので、頭痛もすぐに良くなってしまいました。
私は家中の者から「えらい、えらい」と褒められました。
学校が終わる頃を見計らってお国さんのところへ遊びに行くと、そこでもみんなが「えらい、えらい」と言ってくれたので、自分でも本当に偉くなったような気がして得意になっていました。
三十五
数日後には、学校の門まで送り迎えをしてもらえば、あとは自分一人でいられるようになりました。
伯母さんは私の好きな駄菓子を蛤(はまぐり)の貝殻に入れ、赤い紙で封をしておいてくれます。学校から帰って鞄を放り出すと、お仏壇の引き出しからそれを出してくれるのです。
それをあれかこれかと迷いながら選ぶのが楽しみでした。
そのうち、私は「甲(こう)の組」へ移されることになりました。
みんなは乙の組から昇進してきた新参者を囲んでひそひそと品定めをしていましたが、やがて一人の子が、兄が書いてくれた鞄のドイツ文字を見て、
「やあ、英語が書いてあるぞ」
と言って寄ってきました。
ほかの奴らも「やあ、やあ」と言って顔を突き出します。
そして「何て書いてあるんだ」と聞くので、家で教わった通り「自分の名前だよ」と答えると、羨ましそうに見ていましたが、一人が、
「へえ、くそっ。日本人のくせに毛唐(けとう)人の名前なんか書いてやがって」
と言いました。
また別の子が、守り袋と鈴を見つけて、汚い手でいじくり始めました。
私は嫌で仕方がなかったのですが、怖いのでされるがままにさせていました。
守り袋は水色と白の南京玉で弁慶の形をしており、鈴には鈴虫の模様があり、紫の紐のもう一方の端には、小さなガラスの瓢箪(ひょうたん)がついていました。そいつが「鈴なんか下げて、一体どうするんだ」と聞いてきたので、私は「迷子になったときに音を聞いて、伯母さんが探しに来てくれるためだよ」と答えました。すると彼らは、さも軽蔑したような顔で見合わせました。
そのうち、彼らがあまりに守り袋をいじくり回したものだから、弱い木綿の糸が切れてしまい、南京玉がばらばらと落ちてしまいました。
私はぐすぐすと泣き出しました。
彼らは「とんだことをした」という顔つきで、それぞれ素早く身を引くと、「おいらのせいじゃないぞ、三年烏(からす)のせいだ」と言いながら、遠くから心配そうに様子を見ています。
私はどうしようかと思いましたが、誰も来てくれないし、泣くに泣けず、散らばっている南京玉を見つめてしくしくしているところへ、ちょうど姉が来ました。一気に悲しさがこみ上げ、私はわっと手放しに泣き出してしまいました。
彼らは姉に叱られるのが怖いので、「泣き虫毛虫、はさんで捨てろ」と足拍子に合わせて囃(はや)し立てながら、どこかへ姿を隠してしまいました。
姉は「また編んであげるから」と言って、もう家に帰ると駄々をこねるのをやっとのことでなだめ、涙を拭いたり鼻をかんだりしてくれました。そうしているうちに鈴が鳴ったので、「また次の遊び時間に来るからね」と言って出ていきました。
部屋の外からこっそり事の始末を見ていた悪者どもは、姉がいなくなると同時にどやどやと入ってきて、「今泣いたカラスがもう笑った」と言いながら、私の周りを踊り回りました。
今度の組の受け持ちは、溝口先生という髭のある人でした。
古沢先生と同じくらい、子供の世話をするために生まれてきたのかと思うほどいい人で、特におとなしい私に目をかけてよくしてくれました。
隣の机に並んでいるのは岩橋という瓦屋の息子で、いじめっ子の常習犯でした。
そいつは机の真ん中に鉛筆で線を引いて、こちらの肘が少しでも向こうの領分へはみ出せば、すぐに肘鉄砲を食らわせたり、鼻くそをなすりつけたりします。
そいつがお稽古の最中に何か話しかけてきたので嫌だったのですが、いい加減にあしらっていたら、先生に見つかって黒板に二人の苗字を書き並べられ、名前の上に大きな黒丸をつけられました。
岩橋はそれを見るやいなや石盤の上に突っ伏して泣き出しましたが、私は何のことかわからずにきょとんとして先生の顔を見ていました。
お稽古が済んだときに姉が来て、笑いながら「お稽古中に話をしたでしょう」と言います。
誰が言いつけたのかしらと思いましたが、なんだか悪いことをしたような気がして「話なんかしやしない」と言ったら、姉は「そんなに隠したって、黒板に黒丸をつけられているじゃない」と言います。
黒丸は悪いことをしたときにつけられるのだとわかって、急に悲しくなりました。
三十六
岩橋の本は赤鉛筆でめちゃめちゃに塗ってあります。
火事場からお巡りさんが迷子の手を引いてくる挿絵の、泣いている子の頭から無茶苦茶に後光が差していて、お巡りさんの眼玉がはち切れそうに大きくなっていました。
彼は石盤に一つ目小僧や三つ目小僧の顔を書いて、「やい、やい」と言って見せびらかします。
こちらは先日の黒丸に懲りているので知らん顔をしていれば、机の陰で拳固(げんこ)をびくびくとやっては、目をむいて横目で睨んできます。
そうしてお稽古が済んで先生がいなくなると、はあはあ拳固に息を吹きかけてかかってくるので、私は廊下へ出て、見つからないようなところへこっそり立っていました。
そうしたら、同じ級の古参の者で、赤ら顔の汚い子が「いいものをやろう」と言って何か握ってきて、人に手を出せと言います。
騙されるのだと思いましたが、怖いので素直に手を出すと、赤い木の実を二つ三つ手のひらに乗せてくれました。
そんなものは欲しくなかったけれど、親切にしてくれるのが嬉しくて「ありがとう」と言ってにっこりしました。
それが裏にある美男葛(びなんかずら)の実だったと知ったのは、その後五、六年経ってからのことです。
コメント