初級翻訳・銀の匙 第19話

中 勘助

四十二

ある日のこと、私はおけいちゃんがお祖母様に連れられて学校へ入ってくるのを見て、今さらながらに胸をときめかせました。
その翌日から、おけいちゃんは包みを抱えて教室へ入るようになりましたが、新入生なので、一番前の私の隣に座らせられました。
私は授業にも身が入らず、そっと横目で見てみたら、おけいちゃんは殊勝にじっと下を向いていました。
休み時間にも、まだ慣れていないため一人でぼんやりしているので、なんとか言葉をかけてやりたいのですが、みんなにからかわれるのが辛くて黙っていると、相手もちゃんと知っているくせに、知らないふりをしてすましています。私は、言葉では言い表せないほど混乱した気持ちのまま、ようやく一日の授業を終えて家に帰る道すがら、「今日はあんなことを話そう、こんなことも聞いてみよう」などと考えていました。ところが、家に帰るやいなや裏へ行ってみると、おけいちゃんはもう一人でお手玉をして遊んでいました。

「おけいちゃん!」

私は飛びつかんばかりの勢いで駆け寄りました。するとおけいちゃんは、まるで私を軽蔑しきったような態度で、
「ビリっけつなんかと遊ばない」
と言って、さっさと家の中へ入ってしまいました。期待が外れてしまった私は、すごすごと家へ帰り、伯母さんにそのことを言いつけました。

その晩、いつものように家族全員が茶の間に集まったとき、私は初めて、自分が本当に「ビリっけつ」なのだという事実を教えられました。私は初めのうちはかたくなに「一番だ」と言い張っていましたが、先生から「頭の悪いお子さんにあまり無理は言わないが、これまでの様子ではとても進級させられないから、今度の試験にはもう少し気をつけてもらいたい」という注意があった、と聞かされた瞬間、私はわっと泣き出してしまいました。

私は長いあいだビリっけつだったという面目のなさを、一度に感じました。先生は私のことを「脳の悪い子」だと思って、休み放題に休ませ、いくら勉強ができなくても叱らなかったのだ。私はやっぱり、バカにされていたんだ。

私だって、ビリっけつが恥ずべきことくらいは知っています。ただ、いくら怠けていても「自分は一番だ」と思い込んでいたからこそ、勉強をしなかっただけなのです。早くそう言ってくれさえすれば、復習もしたし、ずる休みもしなかったのに。そう思うと、みんなが怨めしくてたまりません。

私は頭が沸きかえるほどカッカして、思い出しては泣き、思い出しては泣きしていましたが、伯母さんはもらい泣きしながら「泣かんでもええ、泣かんでもええ」と言って寝間へ連れて行ってくれました。

それからは小さな机を一つあてがわれて、その日その日の予習、翌日の準備、これまでのところの復習をきちんきちんとしなければならなくなりました。伯母さんはそろばんや読み書きなど自分に教えられることを、それ以外は姉たち二人が勉強を見てくれることになりました。

毎日教場でおけいちゃんと顔を合わせるのがつらくもあり、腹立たしくもありましたが、それ以来、学校は決して休みませんでした。おけいちゃんは平気な顔をして、友達と遊んでいます。私はもう同じクラスの仲間に対しても気後れして、とかく引っ込みがちになっていましたが、それよりも家に帰って机の前に座らされるときのつらさは、また格別でした。

面目ないことですが、私には今まで習ったことがさっぱり分かりません。だから、落胆して何度投げ出そうとしたか分かりませんが、ご褒美のお菓子や何かで騙され、励まされしながら続けているうちに、薄紙をはがすように少しずつ分かりはじめました。

読本の文字を一字覚え、二字覚え、算術が一題解け、二題解けするにしたがって、知識はどんどん広がり、ついには自信もでき、興味もわいてきました。家へ帰れば言われるよりも前に、自分から進んで机をもちだすようになったのです。もちろん、人に褒められたいというのが一番の動機でしたが。

試験までは間もありませんでしたが、勉強のかいあって次の学期には二番になりました。おけいちゃんは女子の中では五番でした。

四十三

私は急に知恵がついて、まるでひと皮むけたように世界が新しく明るくなると同時に、ひ弱だった体がめきめきと丈夫になり、相撲でも旗取りでも、何をしても一番強い二、三人のなかに入るようになりました。

そうこうするうち、首席の荘田という子が去ったあとを引き継いで級長になったときには、もうおけいちゃんに対する恥ずかしさや憤りも消えていました。私はその日、美しく芽ぐんで今にも葉をさすまでになりながら、花もつけずに根を絶やしかけていた友情の若草が、ふたたび春の光を浴びて甘やかに蘇るだろうと願っていました。おけいちゃんも同じ気持ちでいる様子は見えましたが、ただなんとなくきっかけがつかめず、お互いに何か良いタイミングが来るのを待っていました。

子供の社会は犬の社会と同様に、一人の強い者が他の者たちを一度に服従させてしまいます。荘田がいなくなってから「一人天下」になった私は、みんなが従順なのをいいことにしてかなり威張っていましたが、その年ごろのガキ大将としては、最も話のわかるほうであったと自分では思っています。

あるとき、ちょっぺいが何かのことで仲間外れにされて、「猿面冠者(さるめんかんじゃ)! 猿面冠者!」とからかわれ、真っ赤になってひっかきまわしていましたが、多勢に無勢でとうとう泣き出して机に突っ伏してしまいました。それを見た私はいきなり、わいわい囃し立てている群れの中へ入っていき、「今後決してちょっぺいのことを猿面冠者と呼んではならん!」という厳命を下しました。

それ以来、彼は猿面の汚名を免れることができました。これは、初めて学校へ上がったときの赤い実(の思い出)を忘れずに、少しばかり恩返しをしたのでした。岩橋はこの時も相変わらず弱い者いじめの張本人で、女子生徒に悪さばかりしていました。ある日、いつものように先生に連れられて「すかんぽ山」へ遠足に行ったときのことです。岩橋という子が一人で藪の中へ入り、一生懸命に犬じらみをとっていました。また何かいたずらでもするのではないかと思って見ていると、やがて両手にいっぱいの犬じらみを握りしめ、まるで明智光秀のような鋭い目つきをして出てきました。

女の子たちは日頃から彼のことをひどく怖がっており、誰一人としてそばへ寄る者はいませんでした。ところが、運悪くそこへ通りかかってしまったのが、おけいちゃんでした。

岩橋は「いい獲物だ」と言わんばかりに、たちまちおけいちゃんの行く手をふさいで、犬じらみを二つ三つと投げつけました。

おけいちゃんは、
「いやよ、いやよ!」
と袖でよけながら逃げようとしましたが、岩橋は執念深く追いかけては投げつけました。おけいちゃんは身をかわそうとして膝をつき、わっと泣き出してしまいました。

それを見た私は、矢庭に駆け寄って勝ち誇っている岩橋を突き倒しました。泣きべそをかいている岩橋を横目に、私は転んで服に泥がついたまま、袖で顔を覆っているおけいちゃんのそばへ行き、髪や着物についてしまった犬じらみを一つひとつ丁寧にとってあげました。

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