おがくずをふっくらと両手にすくってこぼすと、指のあいだがこそばゆいのも嬉しいものです。
定さんはいつも人よりあとに残り、パンパンといい音のする柏手を打って、お月様を拝んでいました。
私はいつまでも仕事場にうろついていて、それを見るのを楽しみにしていましたが、ほかの職人たちは定さんに「変人」というあだ名をつけて、「ああいふ野郎はきっと若死にする」などと言っていました。
きれいに箒目(ほうきめ)がたった仕事場のあとを見回すと、今までの賑やかさとは打って変わって、しんしんと静まり返り、夕靄(ゆうもや)がかかってきます。
私は残り惜しく思いながらも、呼び入れられて、また明日の朝を待つのです。
そのように湧き立つ木の香りに酔って、なんとなく爽やかな気持ちになりながら、日に日に新しい住居が出来上がっていくのを、不思議なものを見るような思いで眺めていました。
十二
少しばかりの茶畑を間にして、南隣りに少林寺という禅寺がありました。
その寺内が広いのと、信心深い伯母さんにはお寺というものがなんとなく懐かしかったのでしょう、私はときどきそこへ連れて行かれました。
門から玄関まで二十間(約三十六メートル)ほどのあいだ、二列に敷かれた石の両側が荒れた茶畑になっていて、ところどころに杉の木などが立っています。
私はよくその茶の花を摘んでもらいましたが、枝にもろいその花は、ひとつ取るとはらばらといくつも一緒に散って地に落ちてしまいました。
また雨のあとなどには、茶の木の葉という葉に雫がいっぱい溜まって、きらきらと光っています。
なんの変哲もないけれど、かすかな寂(さび)のある茶の花は、幼い頃の思い出にふさわしい花です。
円みをおびた白い花弁が、ふっくらとした黄色い蕊(しべ)を囲んで、暗い緑色のちぢれた葉の陰に咲いています。
それをすっぽりと鼻へ押しつけて香りをかぐのが私の癖でした。
左手にある閼伽井(あかい:仏前に供える水を汲む井戸)のそばの木犀(もくせい)は、花が咲けば甘い香りを漂わせ、その井戸車の軋る音は、静かな茶畑を越えて私の家までも響いてきました。
本堂の玄関にある大きな衝立(ついたて)には、極彩色の孔雀(くじゃく)が描かれていました。
雄鳥が蓑(みの)のような尾を下げて何かにとまっているそばで、やや小さい雌鳥が身を屈めて啄(ついば)むような姿勢をしています。
そのまわりに咲き乱れたいろいろな牡丹の花には、蝶々がいくつか戯れていました。
また、折に触れては近所の大日様へ連れて行って遊ばせてくれました。
私がねじねじの太い綱を持って、こんこんと鰐口(わにぐち)を鳴らすと、伯母さんはお賽銭を投げてお参りをします。
そうして、脳の病気が治るようにと、私の頭とお賓頭盧様(びんずるさま)の頭を代わる代わる撫でて、それから今度は自分の目をさすります。
お賓頭盧様は、てかてかした手垢だらけの木地を出し、大きな目をむいて台の上に足を組んでいました。
大日様には、方々のお寺にあるように、柿色や花色の奉納手拭いが下がった掘り抜き井戸があり、草双紙(絵本)の中で阿波の鳴門のお鶴が持っているような、曲物(まげもの)の柄杓(ひしゃく)が浮いていました。
伯母さんはそのお水をありがたそうに手に受けて目を冷してから、小さくなった目を見開いてみて、
「お大日様のおかげで、ちいとはよくなったような」
と言うのでした。
この大日様のおみくじは、大変よく当たると評判で、遠方からわざわざ引きに来る人さえいました。
それで伯母さんはあるとき、私の病身がよくなるかどうかを伺ってみたことがあったのです。
お堂の脇の障子が立っているところへ行って、
「お頼み申します」
と言うと、
「はい」
と言って、頭を青々と剃った若い坊さんが顔を出しました。
伯母さんは一部始終を話して、おみくじを頼みました。
坊さんは本尊様のまえへ行ってしばらく拝んでから、「がらり、がらり、がらがらがら」と調子をつけて何度も箱を振ったのち、一本のおみくじを引いてきて、その文句を丁寧に紙に書いてくれました。伯母さんは「四角い字(漢字)」が読めなかったので、坊さんがいちいち意味を訳して聞かせてくれましたが、それは「この子は将来丈夫になって幸せになりますよ」という内容でした。伯母さんはそれを聞いて、ほくほく顔で喜んで帰ってきました。
十三
一町(約百メートル)ほど寂しいほうへ歩いていくと、木槿(むくげ)の生け垣をめぐらせた空き地に、五、六羽の鶏を飼いながら駄菓子を売っているお爺さんとお婆さんがいました。
私は初めて見る藁ぶき屋根や、崩れかけた土壁、ぎりぎりと音を立てる井戸のつるべなどがひどく気に入って、伯母さんとそこへお菓子を買いに行くのが、大きな楽しみのひとつになりました。
お爺さんとお婆さんは耳が遠くて、呼んでもなかなか出てきません。
さんざん呼び続けていると、ようやくのことで出てきて、あっちこっちのお菓子箱の蓋を開けて見せてくれます。
金平糖(こんぺいとう)、金玉糖(きんぎょくとう)、天門糖(てんもんとう)、微塵棒(みじんぼう)。
竹に入った羊羹(ようかん)は、口にくわえると青竹のいい香りがして、つるりと舌の上にすべりだしてきます。
飴の中に入っているお多福さんは、泣いたり笑ったりして、いろんな向きに顔を見せてくれます。
青や赤の縞模様になった飴を、こつきりと噛み折って吸ってみると、隙間(すきま)から甘い風が吹き抜けるようでした。
一番好きだったのは、「肉桂棒(にっきぼう)」というものでした。
それは、あるへい糖の棒に肉桂(シナモン)の粉をまぶしたもので、濃厚な甘みのなかに、ツンと刺激的な肉桂の香りがするのです。
あるひどい雨の日に、私はどうしてか急にお爺さんとお婆さんが可哀想になり、それと同時に肉桂棒がどうしても欲しくてたまらなくなり、伯母さんは私を半纏(はんてん)でおんぶして出かけてくれましたが、あいにく肝心の肉桂棒が売り切れていて、私はがっかりして泣いて帰ったことがありました。
「牛の乳」をおとなしく飲んだり、ぐずらずによく遊んだりした日には、ご褒美に「がらがら」を買ってくれます。
桃や蛤(はまぐり)の形をして紅白に染め分けられたそれを、背中で振って楽しみながら帰り、家で割ってみると、紙で作った小鼓(こつづみ)やブリキ製の笛などが出てきます。
私はそれを宝物みたいに大事にしていました。
また、泥色の紙で三角に包んで、合わせ目を役者の似顔絵で封印したものもありました。
十四
生まれつき体が弱いうえに、運動不足で消化不良気味だった私は、蜂の王様みたいに食べ物を口に押しつけられるまで、食べることを忘れていて、伯母さんにどれほど気苦労をかけたかわかりません。
羊羹の空き箱に握り飯を詰めて「伊勢参り」という遊びの趣向で、伯母さんが先頭に立って庭の築山(つきやま)をぐるぐる歩き回り、最後は石灯籠の前で柏手を打ってお参りをして、松の陰にある石に腰をかけてお弁当を食べたこともありました。
またあるときは、妹や乳母も一緒になって、待宵草(まつよいぐさ)の咲いている原っぱへ海苔巻きを持って行って食べたこともありました。
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