彼は赤ら顔のために「猿面冠者(さるめんかじゃ)」とあだ名され、また長平という名によって「ちょっぺい」とも呼ばれている、伝法院前の魚屋の息子でした。
それ以来、ちょっぺいはただ一人の知り合いになりましたが、こちらとしてはできることならちょっぺいとも口をききたくなかったのです。それでもあちらでは、何を見込んでか、しきりに私に話しかけてきました。
ある日のこと、ちょっぺいは「今度のお稽古のとき、一緒に小便に行こう」と言いました。
「先生に叱られるから嫌だ」と言ったら、
「嫌ならよしやがれ、よしべのこんなれ」
と言って怖い顔をしたので、私はあわてて「行くよ、行くよ」と言いました。
彼はすぐ機嫌を直して、「あたいの真似をすりゃ大丈夫だ」と言います。
お稽古が始まると間もなく、彼は手を挙げて「先生、お小用に行かせてください」と言いました。
先生は「本当に行きたいのかい。嘘をつくとちゃんとわかるよ」と言います。
少しも怯まず、「本当に出たいんです」と言います。
先生も「漏らされては」という気があるので、「それなら行ってきなさい。済んだらすぐ帰ってくるんだよ。道草すると黒丸だよ」と言いました。ほかの子供たちもそれぞれに「先生、先生」と手を挙げて、五、六人がいっしょにトイレへ行かせてもらいました。
ちょっぺいはどやどやと教室を出て行きながら、ちらりとこちらを見たので、私ははっとして、恐る恐る「先生」と見よう見まねで手を挙げ、「お小用に行かせてください」と言いました。
先生は、私がちょっぺいに知恵をつけられているとは知らずに、すぐに許可してくれました。
トイレは教室から離れたところにあり、ちょうど隣の八幡様の笹藪の下になっていました。
ちょっぺいはそこで待ち構えていて、「相撲を取ろう」と言います。
見ると、ほかの連中は廊下の手すりを乗り越えて、崖の甘根(あまね)を掘ったり、泥団子を作って投げ合ったりしていました。
みんな、お小用にかこつけてちょっと息抜きに来ていたのです。
ちょっぺいが「取ろう、取ろう」とせきたてるので、今日まで伯母さん相手に四王天清正の立ち回りごっこくらいしかしたことのない私は、はたと当惑しましたが、断るわけにもいかず、「危ないから、そっとしてだよ」と弱気なことを言いながら、いい加減に組み合いました。
力のあるちょっぺいは、「はっけよい、はっけよい」と景気よく掛け声をかけながら、くるくると私を引き回したため、無残にも、さすがの清正(私)もあっという間に袴の裾を踏んで、尻餅をついてしまいました。
彼は鼻を高くして、「弱えな。また今度取ろう」と、先頭を切って帰っていきました。
私もねじれた着物を直して、あとについて行きました。
教室へ入るやいなや、彼は何食わぬ顔で「先生、ただいま」とひょっこり頭を下げました。
私も黙って頭を下げました。
ほかの連中もぞろぞろと帰ってきましたが、甘根を掘っていた奴は、あまりにいつまでもかじっていたので先生に立たされ、おまけに懐からはみ出している甘根を見つかって、ひどく怒られていました。
私は、もう二度とトイレへは行くまいと思いました。
三十七
授業の中で一番みんなが喜ぶのは修身の時間でした。
それは綺麗な掛け図を広げて、先生が面白い話をしてくれるからで、その絵には、弾丸に当たった親熊が、蟹をあさっている子熊をひしがれないように持ち上げた石を抱えたまま死んでいるところや、大将が頬杖をついて蜘蛛が巣をかけるのを見ているところなどがありました。
生徒たちは美しい絵に見とれ、お話に聞きほれて、「もうひとつ、もうひとつ」とねだります。
先生は「みんながお行儀よくさえすれば、いくらでも話してあげる」と言って、一枚一枚めくっては話してゆきます。
そんな風にして、いつもたいてい一冊の掛け図をすっかり話してしまうのですが、不思議なことに、一番最初にある「異人の女が子供を抱いて雪の中に倒れている絵」だけは、決まって飛ばしてしまうのです。
生徒たちもそれを見ながら、ちっともせがみません。
私は、中でもその絵が気に入っていて、「まだか、まだか」と待っていたのですが、ついに話してもらうことはできませんでした。
鈴が鳴ると、みんなはわいわいと先生の椅子を取り囲んで、膝に乗ったり、肩へつかまったりして、「もういっぺん、もういっぺん」と同じ話を繰り返させます。
私は彼らのように大胆にはなれず、少し離れてぼんやりと絵を眺めていました。
先生はこちらを向いて、「〇〇さんにもひとつしてあげようか。〇〇さんはどれがいい?」と言いましたが、私が顔を赤くしているものだから、「言ってごらん、言ってごらん」と促しました。
私は一生の思いで「これ」と口ごもりながら、例の絵を指さしました。
みんなは不平らしく「つまんないや、つまんないや」と言います。
先生も「これは面白くはないよ。いいかい?」と念を押しました。
私は黙ってうなずきました。
先生は私がまだその話を知らないことに気づき、つまらながるみんなを説得して、新参者のためにその話をしてくれました。
それは、雪の中で道に迷った母親が、自分の着物を脱いでは脱いでは子供に着せて、とうとう凍え死にしてしまったという話でした。
絵も子供の目を喜ばせるような派手な彩色がしてあったわけではなく、話もただそれだけのことなので、彼らはちっとも興がらず、先生も飛ばしていたのですが、私にはそれで十分面白かったのです。
私は伯母さんに常磐御前(ときわごぜん)の話を聞くときのように、あわれに聞きました。
話し終えて先生が「面白くはないだろう」と言ったので、正直に首を振ったら、先生は意外な顔をし、みんなは軽蔑してくすくすと笑いました。
三十八
私はそのころから、人目を離れてひとりぼっちになりたい気持ちになることがよくあって、机の下だの、戸棚の中だの、所かまわず隠れました。
そんなところに引っ込んでいろいろなことを考えている間、言い知れぬ安穏と満足を覚えるのでした。
それらの隠れ家の中で一番気に入ったのは、小抽斗(こひきだし)の箪笥(たんす)の横でした。
それは蔵のそばにある北向きの窓から差し込む光だけに照らされる、最も陰気な部屋でしたが、その窓と箪笥の間には、ちょうど膝を立てたままスポンとはまり込むほどの余地があったのです。私はそこにしゃがみ込んで、窓ガラスに入った放射状のひびや、すぐそばにあるカヤの木、朽ちた木にからみついたビナンカズラ、その赤いツル、そしてツルの先で汁を吸っているアブラムシなどを眺めていました。
そうして半日でも一日でも、ひとりでぼそぼそと何か言いながら、いつのまにか鉛筆でひとつ、またひとつと箪笥にひらがなの「を」の字を書く癖がつきました。その結果、最後には大きいのや小さいのが無数に並んで、行列を作っていました。
そのうち、私があまりにそこばかりに入るのを父が不審に思い、その隅をのぞいたことで、例の行列がすぐに見つかってしまいました。けれど父は、ただの手持ち無沙汰な落書きだと思って「手習いをするなら、ちゃんと紙にしなければいけないよ」と言っただけで、ひどく叱ることはありませんでした。
しかし、それは夢にもただの落書きなどではなかったのです。
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