中でも、病気にかかっているときの患者の様子は、目をもそむけたくなるほど、本当にかわいそうないたいたしいものでした。
高い熱が出て苦しんでいるうちはまだいい方で、全身にすき間もないほど吹き出物ができ、それがうみを持って黄色く変わると、まるで、あの菊人形のように……菊ならばきれいですが、それがうみを持った黄色いできもので全身をおおわれた有様を想像してみてください。
きっと背すじに冷たいものが流れることでしょう。
さらに、その吹き出物が乾くときは黒赤色に変わるため、全身がまるで黒あんの中にでもころがり込んだようになり、顔はおはぎのようになって、どこに目があるやら鼻があるやらさっぱりわからなくなってしまうのです。
このおそろしい病気は世界のどの国でも大流行し、一年のうちに何百万もの人々が命を奪われた国もありました。
日本でも昔からこの病気が大流行しましたが、どうして起こるのか原因がわからなかったので、疱瘡をつかさどる神様が怒って疱瘡をはやらせているのだと考えられていました。そのため、疱瘡にかからないようにするには疱瘡神(ほうそうがみ)をおがめばよいと言われ、家の戸ごとに祭ったものです。
ふつうは疱瘡神として住吉大明神(すみよしだいみょうじん)を祭っていたのですが、いくら住吉大明神を祭っても、疱瘡は相変わらず猛威をふるい続けたのです。
しかし、このおそろしい病気も、いまでは種痘によって完全に防げるようになりました。
疱瘡神を祭らなくても、種痘さえ受けておけば、たとえときどき天然痘が流行したとしても、少しもおそれることなく安心して暮らせるようになったのです。
そして世界各国で、毎年何十万という人々の命が救われることになりました。
しかも、この尊い種痘法は、たったひとりの力で発見されたのです。
みなさん、お風呂に入って自分の二の腕にある種痘のあとを見たなら、人類の一員として、エドワード・ジェンナーに感謝せずにはいられないのではないでしょうか!
三
これほど尊い種痘法なのですから、それが決して簡単なことでは発見されなかったと、みなさんも分かるでしょう。
まったくその通りです。
ジェンナーが種痘法を発見するまでには、何十年という長い年月をかけた大変な苦労がついやされたのです。
ジェンナーは、1749年5月17日に、先ほど紹介したバークレーという田舎町のある牧師の三男として生まれました。
8、9歳のころから、いまでいう「理科」がとても大好きでした。
その地域は化石がたくさん見つかる場所だったので、彼は化石を拾っては部屋の棚にきれいに並べて分類していました。
また、リスの巣を集めたり、めずらしい植物をとってきては、お兄さんたちにその名前を教えてもらいながら、たくさんの知識を蓄えていきました。
小学校を卒業すると、彼はサドベリーという町にあるお医者さんのもとへ住み込みの書生として入り、医学の勉強にげむり、のちにはお医者さんの代わりに患者を診る「代診(だいしん)」をつとめました。
彼はとても熱心な勉強家でしたが、同時に音楽や詩を愛し、ひまさえあればバイオリンを弾いたり、笛を吹いたり、自分で詩を作ったりしていました。非常に想像力が豊かで、いわゆる「一を聞いて十を知る」というタイプでしたから、先生も大変喜んで彼を育てました。
彼が代診(医者の代わりに患者を診ること)をやっていたころのことです。
ある日、田舎から一人の女性の患者が診察を受けにやってきました。
仕事を聞いてみると、
「わしは、牛の乳をしぼって暮らしていますだ」と、田舎なまりの言葉で答えました。
その地方は牧畜がさかんで、住民の多くが牛を飼っており、したがって女性たちは牛の乳しぼりの仕事をしていました。
ジェンナーはそのときまだ二十歳にならない青年でしたが、ていねいに診察してから、
「おまえさんは熱があるね。
おそらく風邪だと思うけれど、いま世間では天然痘が流行っているから、気をつけなければいけないよ」と言いました。
「疱瘡(ほうそう)なら、わしは心配しなくてもよろしいだ」と、その女性は即座に答えました。
「えっ? どうして?」
「わしは、このあいだ、牛の疱瘡が、これこのとおり手にうつったのですだ。
だから、もう疱瘡にはかからないのですて」
こう言って女性は、手の甲にある、牛の疱瘡にかかったあとのきずあとを見せました。
ジェンナーは不思議に思いました。
乳しぼりをする女性が牛の疱瘡にかかって、手にできものを作るということはよく知られていましたが、牛の疱瘡にかかった人は、人間の疱瘡にかからないという話を聞いたのは初めてだったからです。
「でも、牛の疱瘡と人間の疱瘡とは、性質がちがうのではないかな?」とジェンナーはたずね返しました。
「性質がちがうかどうかなんて、わしは知らないけれど、わし一人だけでなく、みんなそう言っていますだ」
このとき、ジェンナーの頭に、あるひらめきが浮かびました。
そうだ、乳をしぼる女性たちがみんなそう言っているのだとしたら、それはきっと嘘ではないはずだ。
もしそれが本当だとしたら、牛の疱瘡を人間にうつすことができれば、もうあのおそろしい疱瘡にかからないようにすることができるのではないか。
……みなさん、のちに私たち人類を救うことになった「種痘法(しゅとうほう)」というものは、まさにこの瞬間に思いつかれたものなのです。
このことがあってから、ジェンナーは、たびたびその地方の乳しぼりの女性たちに会いに行って、先日の女性患者の言葉が本当であるということを確かめました。
牛の疱瘡はとても軽いもので、人間にうつったときも、うみを持った部分に一つか二つのできものができるだけでした。もしこの軽い牛痘(ぎゅうとう)のうみを体にうえて、あのおそろしい疱瘡を防ぐことができるようになったら、どれほど人類のためになるかしれない。
なんとかして自分の生きているうちに、この予防法を実現させたいものだと、彼は心の中でひそかに決心したのであります。
彼はある日、先生に向かって自分の考えを話してみました。
すると、先生は、
「田舎の女の言うことなど、あてになるものか」と言って、まったく相手にしてくれませんでした。
そこで彼は、その地方で開業しているほかの医者に自分の考えを打ち明けました。
すると、その医者は、
「きみ、牛と人間を同じレベルで語ってはいけないよ」と、バカにするように言いました。
その後、だれに話してもみんな本気になって相談に乗ってくれませんだったので、ジェンナーはもう、だれにも話さないことに決めました。
そうこうしているうちに、ジェンナーは二十一歳の春を迎えました。
田舎では思い通りの十分な勉強ができないので、彼はロンドンへ出て、当時外科医の第一人者として数えられていたジョン・ハンター博士のもとに弟子入りをしました。
このハンター博士は少し気が短いところはありましたが、非常にすぐれた学者でした。当時四十二歳でしたが、ジェンナーの素直で穏やかな性格をすっかり気に入り、弟子というよりもむしろ友達のように扱ってかわいがってくれました。
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