体長は一尺六、七寸(約五十センチ)くらいに思えたから、翼を広げると小さな庭の片隅では少し窮屈で、足元も危なっかしい感じがした。
「大丈夫だとは思うが、なるべく鷹の顔は外に向けて置くがよい。もし間違って眼でも突かれたら、鷹をくれた私が申し訳ないからな」
叔父は律儀にそんな注意までして、一日分の餌の量や、時々は雨に打たせるといいことまで教えてくれ、四、五日様子を見てから鷹小屋の設計まで口で伝えて帰っていった。
小屋はその後二、三日で植木屋さんに造ってもらった。
しかし、水はいつ、どのようにしてやったらいいのかという自分の馬鹿な質問に対して、この田舎の叔父さんは、自分の問いに負けないくらい馬鹿な返事をしたものだった。
「水はやらんでいい。水をやっているのを見たことはない」
そう答えたのは、きっとその鷹がいつも山野に放たれていて、放たれている間に生きた獲物を捕まえたり、川や泉を見つけたりして、自分で喉の渇きを癒やす機会があったから、わざわざ水を与える必要がなかったのだろう。
そこに気づかず、叔父の返事を言葉通りに受け取っただけでなく、「肉の中にある水分だけで足りるのだろう」と一人で早合点していた自分は、本当に大馬鹿者だった。
「水を飲まなくていい生き物があると思うのか、馬鹿者!」
もう立派な大人になっていた息子に向かって、温厚な父が「馬鹿」と怒鳴ったのは、後にも先にもこの時一度きりだった。
それも無理のない話だ。その時、自分はちょうど上京中だった父とベランダでテーブルを挟んで向かい合い、鷹を眺めていたのだ。
医者だった父は、栄養状態の悪い鷹の様子にすぐ気づいたのだろう。
夏の暑い日で、自分が飲み残したコップの水を窓の外に捨てたのを見ていた父が言った。
「鷹には水をやっていないのではないか。鷹は水を欲しがっているぞ。今捨てた水を追いかけた様子は、よほど水に飢えているようだ」
そう言われて、さすがに自分も慌てて茶碗に水を入れて持っていった。
鷹は自分の手に飛びかからんばかりの勢いを見せたが、茶碗が地面に置かれるのを見るなり、そこに入っていた七分目ほどの水を一息に飲み干した。
息もつかずに一杯、続いてまた一杯と飲み続ける様子は、哀れでもあり、また可憐でもあった。
思えば四月の末以来、百日以上も鷹は喉を渇かせながら、一滴の水にもありついていなかったのである。
自分の言い訳に対して、父が激怒して馬鹿呼ばわりしたのはこの時だ。
水だけではない。餌だって満足にやれていたかどうか怪しいものだった。
最初は物珍しくて手に据えていたけれど、最後にはその手間を嫌がって、檻の外から肉片をくちばしのあたりに差し出すだけになっていた。
そのせいか、鷹はあまり食欲もなく、傷んだ羽も結局回復しそうになかった。
鷹は石灰のように白くて悪臭の強い糞を、小屋の内外一面にひり散らしているだけで、元より飼い主になつく様子もなく、時折は足に絡まる綱をうっとうしがって、狂ったように暴れることがあった。
庭に頻繁に出入りするドブネズミを狙っているようでもあった。
そんな気の毒な生活の末に、鷹は首を吊って自殺してしまったのである。
春のある朝、桜の花びらが地に散り敷いている頃、鷹は足に結ばれていた綱にその首が絡まったまま、止まり木から逆さまにぶら下がっているのが発見されたのだった。その鷹が、食べ残した肉の脂肪の切れ端を拾い集めようと、止まり木の根元に集まってくるネズミを捕まえようとして、偶然このような結果になってしまったのだろうが、普段の様子を思い返すと、鷹にそこまで自分から命を絶つような知恵や能力があったのだろうかと、今でも疑わしく思えてならない。
ともあれ、自分のところにやってきてからほぼ一年後、その鷹の最期の姿は、このような陰惨なものだった。
自分は腹立たしい気持ちで、その鷹を庭の隅深く、桜の木の根元に埋葬した。
自分は「鷹を飼っていた」などとは言えない。
ただ、自分の物好きな好奇心の犠牲として、一羽の鷹を何の意味もなく、むざむざと虐め殺したに過ぎないのだ。
鷹は、その一年の間に、一度として自分に抗議の声を上げることはなかった。
この高貴な鳥の王者は、ただ黙々と、その苦い運命に従っていただけだった。
それだけに、自分は鷹に対して深い罪悪感を感じている。
結局のところ、自分は鷲の生餌としてウサギを投げ与えて楽しむような、そんな人間にはなれなかったのだ。
こうして書き記しても、自分には亀井に対して何の抗議の意もない。
むしろ、自分自身を嘲笑し、哀れんでいるだけである。
自分はその後、鶏以外にはどんな動物も飼っていないが、これは自然とそうなっただけで、別に鷹の死に懲りたというわけでもない。
もっとも、飼うのなら鷲や鷹よりも、鶏の方がずっといいということは悟ったけれど。
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