初級翻訳・変なあたま 第2話

変なあたま

「甘受」というよりは、不平不満を垂れ流しながらの「イヤイヤながらの忍耐」かもしれませんが、僕はそれを自分以外の誰かのせいにしようとは思いません。

あるいは、人間が作り上げた社会組織といったもののせいにもしません。

もし責任の所在をどこかに持っていくとするなら、むしろ僕はそれを阿弥陀如来のせいにでもしてやろうと考えているのです。自分のようなくだらない生き物をこしらえた「生命」のバカげた采配を、笑ってやりたいと思うのです。

一体全体、なぜ自分のようなくだらないものをこしらえて、ナンセンスなことばかりさせているのでしょう――しかし、「それが嫌なら早くくたばってしまえ!」と言われれば、返す言葉もなく引き下がるより他ありません。

なにしろ相手は、正体も何も分からない化け物のような「生命」の親玉です。生かすも殺すも自由自在で、到底歯が立ちません。いくらもがいてみたところで何の反応もなく、ただ私たちはその手のひらで翻弄されるままに動いているより他に道はないのです。

仕方がないから降参して、それを「自分の運命を忍ぶ」と呼んでいるのですが、もし何か別の名案があれば教えてもらいたいものです。

せっかく生きているのですから、たいして長くもない人生、どうにかして平凡に、無事に、無邪気に暮らしたいものだと思います。

ですが、これまでの経験から言うと、なかなかそう簡単にはいきません。

こちらがそう願っていても、向こうからトラブルがやってくるのですから、どうしようもありません。戦争でも始まったらどんなことになってしまうのか。自分だけ平気な顔をして過ごすわけにはいかないでしょう。

誰も好き好んで精神病院に入りたいと思う人などいないはずです。

しかし、ふとした弾みで僕のように頭が狂ってしまったなら、それは当然の結果であり、泥棒をして刑務所に入れられるのと同じことです。ボードレール風にこの人生を「巨大な精神病院」だと仮定すれば、死ぬまではその患者として生き続けなければならないわけです。

そして、生きている間は何かで絶えず酔っ払っていなければ、たちまち退屈(アンニュイ)の虜になってしまうのです。

この世の中で何が羨ましいかと言えば、自分の仕事に夢中になって没頭している人間ほど羨ましいものはありません。今の僕には、それがすっかり欠けてしまっているのですから。

単に生きるためだけに、惰性でその日を暮らしているほど惨めな存在はありません。もし僕のような人間が上海にでもいたら、間違いなく阿片窟の住人になってしまっていたに違いありません。

ああ、なんとかして自分を惹きつける対象がほしいものだ! 「廃人のくせに贅沢を言うな」と叱られるかもしれませんが、人間はできれば、どれだけ贅沢をしても一向に差し支えないものだと私は思っています。

しかし、贅沢には限界があり、すぐに種切れになってしまうのが人生というものです。

人間の贅沢の極みは、結局「茶の湯」に帰結してしまうらしい。

今の僕には、場末の酒場で冴えない女給を相手に、質の悪い酒で泥酔する能力さえ、すっかりなくなってしまっているのです。一方で、今まさに飢えに苦しんでいる農村の人々を見てほしい!――と、正義や人道のために燃え上がる、たくさんの立派な志を持った人たちが叫んでいます。

しかし、その叫んでいる人たち自身もまた、同じように飢えに苦しんでいるのです。真面目に一生懸命働いている多くの人たちが、無数に飢えているという現実があるのです。

私のような、何の役にも立たない人間がこうして生きていることは、本当に申し訳ないことだと感じています。

それでも、こうして生きている間は、こんな愚痴を並べ立てること以外、私には何の芸も持ち合わせていないのです。

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