初級翻訳・怪人二十面相 第10話

怪人二十面相

その部屋の真ん中に、布を巻いたままの仏像のガラス箱が、電灯もない、はだかろうそくの赤茶けた光に照らしだされています。

「よしよし。おまえたち、うまくやってくれた。これは褒美だ。どこかへ行って遊んでくるがいい」

三人の者に数枚の千円札をあたえてその部屋から立ち去らせると、老人はガラス箱の布をゆっくりと取り去りました。そこにあったはだかろうそくを片手に、仏像の正面に立ち、開き戸になっているガラスの扉を開きました。

「観音さま、二十面相の腕まえは、どんなもんですかな。昨日は二百万円のダイヤモンド、今日は国宝級の美術品だ。この調子だと、ぼくが計画している大美術館も、まもなく完成しようというものですよ。ハハハ……、観音さま。あなたはじつによくできていますぜ。まるで生きているようだ」

ところが、読者諸君、そのときでした。二十面相のひとりごとが終わるか終わらぬかに、彼のことば通りに、じつにおそろしい奇跡が起こったのです。木造の観音さまの右手が、グーッと前にのびてきたではありませんか。しかも、その指には、お決まりのハスの茎ではなくて一丁のピストルが、ピッタリと賊の胸に狙いを定めて、握られていたではありませんか。

仏像がひとりで動くはずはありません。では、この観音さまには、人造人間のような機械仕掛けがほどこされていたのでしょうか。しかし鎌倉時代の彫像に、そんな仕掛けがあるわけはありません。すると、いったいこの奇跡はどうして起こったのでしょう。

だが、ピストルをつきつけられた二十面相は、そんなことを考えているひまもありませんでした。彼は「アッ!」と叫んで、たじたじと後ずさりをしながら、抵抗する気力も失ったのか、思わず両手を肩のところまであげてしまいました。

【落とし穴】

さすがの怪盗も、これには肝をつぶしました。相手が人間ならば、いくらピストルを向けられても驚くような賊ではありませんが、古い古い鎌倉時代の観音さまが、いきなり動きだしたのですから、びっくりしないではいられません。びっくりしたというよりも、ゾーッと心の底から恐ろしさがこみあげてきたのです。怖い夢を見ているような、あるいはお化けにでも出くわしたような、なんとも正体の知れない恐怖です。大胆不敵の二十面相が、かわいそうに真っ青になって、たじたじと後ずさりをし、ごめんなさいというように、ろうそくを床において、両手を高くあげてしまいました。

すると、またしてもじつにおそろしいことが起こりました。観音さまが、蓮華の台座からおりて、床の上に、ヌッと立ちあがったではありませんか。そして、じっとピストルの狙いを定めながら、一歩、二歩、三歩と、賊のほうへ近づいてくるのです。「き、きさま、いったい、な、何者だっ!」
二十面相は、追いつめられた獣のようなうめき声をあげました。
「わしか。わしは羽柴家のダイヤモンドを取り返しに来たのだ。たった今、それを渡せば命だけは助けてやろう」
驚いたことに、仏像が言葉を発したのです。重々しい声でそう命令しました。
「ハハア、きさま、羽柴家の回し者だな。仏像に化けて、俺の隠れ家を突き止めに来たというわけか」
相手が人間であるとわかると、賊は少し元気づいてきました。しかし、得体の知れない恐怖が完全に消えたわけではありません。というのも、人間が変装したにしては、仏像があまりに小さすぎたからです。立ち上がった姿を見ると、十二、三歳の子どもの背丈しかありません。その一寸法師のようなやつが、落ち着き払って老人のような重々しい声で喋っているのですから、何とも形容しがたい気味悪さがあります。
「で、ダイヤモンドを渡さないと言ったら?」
賊はおそるおそる、相手の出方をうかがうように尋ねました。
「おまえの命がなくなるだけさ。このピストルはね、おまえがいつも使うようなおもちゃじゃないんだぜ」
観音さまは、このご隠居然とした白髪の老人が、実は二十面相の変装姿であることを、ちゃんと見抜いている様子でした。おそらく、さきほどの手下との会話を盗み聞きして、察したのでしょう。
「おもちゃではないという証拠を、見せてやろうか」
そう言うが早いか、観音さまの右手がヒョイと動きました。と同時に、ハッと飛び上がるような恐ろしい物音が響きました。部屋の一方の窓ガラスが、ガラガラと砕け散ったのです。ピストルから実弾が発射されたのです。一寸法師の観音さまは、めちゃめちゃに飛び散るガラスの破片をチラリと見やったまま、素早くピストルの狙いを元に戻し、インド人のように真っ黒な顔で、薄気味悪くニヤニヤと笑いました。見ると、賊の胸に向けられたピストルの銃口からは、まだ薄青い煙が立ち昇っています。
二十面相は、この黒い顔をした小さな怪人物の度胸が恐ろしくなってきました。こんな無茶苦茶な荒くれ者は、何をしでかすかわからない。本当にピストルで撃ち殺す気かもしれない。たとえ弾丸をうまく避けたとしても、これほど大きな物音を立てられては、近隣の住民に怪しまれて、どんなことになるか知れないのです。
「しかたがない。ダイヤモンドは返してやろう」
賊はあきらめたように言い捨てて、部屋の隅にある大きな机の前へ行きました。そして、机の足をくりぬいた隠し引き出しから六個の宝石を取り出すと、手のひらに乗せ、カチャカチャと音を立てながら戻ってきました。ダイヤモンドは、賊の手の中で揺れるたびに、床のろうそくの光を受けてギラギラと虹色に輝いています。
「さあ、これだ。よく調べて受け取りたまえ」
一寸法師の観音さまは、左手を伸ばしてそれを受け取ると、老人のようなしわがれ声で笑いました。
「ハハハ……、感心、感心。さすがの二十面相も、やはり命は惜しいと見えるね」
「ウム、残念ながら、降参だよ」
賊は悔しそうに唇を噛みながら言いました。
「ところで、いったい君は何者だね。この二十面相をこんな目に遭わせる奴がいようとは、俺も意外だったよ。後学のために名前を教えてくれないか」
「ハハハ……、お褒めに預かり光栄の至りだね。名前かい? それは君が牢屋に入ってからのお楽しみにとっておこう。お巡りさんが教えてくれることだろうよ」
観音さまは勝ち誇ったように言いながら、やはりピストルを構えたまま、部屋の出口のほうへジリジリと後ずさりを始めました。賊の巣窟は突き止めたし、ダイヤモンドも取り戻した。あとは無事にこのあばら屋を出て、付近の警察へ駆け込みさえすればよいのです。
この観音さまに変装した人物が何者であるかは、読者諸君、とっくにご承知のことでしょう。小林少年は怪盗二十面相を相手に、見事な勝利を収めたのです。そのうれしさは、どれほどだったことでしょう。どんな大人も及ばない大金星です。
ところが、彼が今、二、三歩で部屋を出ようとしたその時、突然、異様な笑い声が響き渡りました。見ると、老人姿の二十面相が、おかしくてたまらないというように大口を開けて笑っているのです。
ああ、読者諸君、まだ安心はできません。名にし負う怪盗のことです。負けたと見せかけて、実はどんな最後の切り札を残していないとも限らないのです。「おやっ、きさま、何がおかしいんだ。」

観音さまに化けた少年は、ギョッとしたように立ち止まって、油断なく身構えました。

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