初級翻訳・日本の伝説 第32話

日本の伝説

(『三国名勝図会』鹿児島県熊毛郡中種子村油久)

これとよく似た話が、日本の北のほうの田舎、羽前(うぜん)の中島村にある熊野神社にもありました。
今から四百年ほど前に、この村の人が熊野へ「七度詣(ななどまうで)」をした記念として、那智の浜から小さな石を拾って帰りました。
それが八十年ほどの間にだんだんと大きくなり、後には両手で抱えきれないほどになりました。
形が女性に似ていることから「姥石(うばいし)」という名前がつけられました。
そして、年ごとに二千余りもの子孫を産み、大きいものから小さいものまで、どれも形は卵のようで、「太郎石」「次郎石」「孫石」などと呼んでいたということです。実際に見た者でなければ信じられないようなお話ですが、この土地の人たちはここを「今熊野(いまくまの)」と呼んで大切に拝んでいたそうです。
(『塩尻』山形県北村山郡宮沢村中島)

土佐には、もう一つこんなお話もあります。
香美郡(かみぐん)の山北(やまきた)のお社に祀られている神石も、昔、この村の人が京都の吉田神社に参詣し、神楽岡(かぐらおか)の石をいただいて帰ってきたものが、だんだんと大きくなったのだといわれています。
(『土佐海続編』高知県香美郡山北村)

伊勢では、花岡村の善覚寺というお寺の本堂の土台石が、成長する石でした。
これは、隣の庄(しょう)という部落の人が、尾張(おわり)の熱田(あつた)のお社から持ってきて置いたものです。その人はもともと熱田神社の禰宜(ねぎ=神職)でしたが、この部落の人と結婚したために熱田にいられなくなり、ここへ来て住むようになったとのことです。そのため、その地域には今でも「越石(こしいし)」や「熱田(あつた)」といった苗字の家が残っています。
(『竹葉氏報告』三重県飯南郡射和村)

肥後(ひご)の島崎(しまさき)にある石神社の石も、もとは宇佐八幡(うさはちまん)の神官であった到津(いづつ)氏が、そのお社の神前から持ってきて祀ったもので、それから年々太るように大きくなったといわれています。
(『肥後国志』熊本県飽託郡島崎村)

このように、石が大きくなることに驚いて人々が拝むようになったというよりも、初めから尊い石として信仰しているうちに、だんだんと大きくなったという場合のほうが多いのです。
ですから、その石がどこからやって来たのかということを、もう少しお話しなければなりません。
安芸(あき)の中野という村では、高さが二丈(約6メートル)もある田んぼの中の大きな岩を「出雲石(いづもいし)」と呼んでいました。
これも、まだ小石であったころに、ある人が出雲国(いづものくに)から持ってきてここに置いたものが大きくなったのだといわれています。
(『芸藩通志』広島県豊田郡高阪村)

その出雲国では、飯石神社(いいいしじんじゃ)の後ろにある大きな石が、やはり昔からずっと大きくなり続けていました。
石の形がご飯を山盛りしたように見えるからだともいえば、あるいは飯盒(はんごう)の中に入ったまま、天から降ってきた石だからだともいわれています。
(『出雲国式社考』ほか。島根県飯石郡飯石村)

どうしてその石が大きくなったことがわかるのかといいますと、その周りの荒垣(あらがき=石垣や垣根)を作り直すたびに、前よりも少しずつ寸法を広げなければ、石が収まらなくなったからだといわれています。
豊前(ぶぜん)の元松(もとまつ)という村の丹波大明神(たんばだいみょうじん)なども、四度もお社を作り替えて、だんだん神殿を大きくしなければならなかったと語り継がれていました。
むかし、丹波国(たんばのくに)から一人の尼さんが、小石を包んでこの村まで持ってきて、ここで亡くなりました。
その小石がどんどん大きくなるので、小さなお堂の中に祀り、「丹波様(たんばさま)」と呼ぶようになったのだそうです。
(『豊前志』)

石見(いわみ)の吉賀(よしか)の注連川(しめがわ)という村では、その成長する大石を「牛王石(ごおういし)」と呼んでいます。
これは昔、四国を旅行した人が、ふところに入れて持って帰ってきた石だといわれています。
(『吉賀記』島根県鹿足郡朝倉村)

「富士石」と呼ばれる石がまた一つ、遠江(とおとうみ)の石神村にもありました。
村の山の切り通しのところにあり、これも年々大きくなるため、「石神大神(いしがみのおおかみ)」として祀られていました。
おそらく富士山から持ってきた小石であったのだろうと、土地の人たちは思っていたことでしょう。
(『遠江国風土記伝』静岡県磐田郡上阿多古村)

関東地方では、秩父(ちちぶ)の小鹿野(おがの)の宿に、「信濃石(しなのいし)」という珍しい形の石がありました。
大きさは一丈(約3メートル)四方ほどもあり、まん中に一尺(約30センチ)ほどの穴があいていました。
この穴に耳を当てていると、人が話している声が聞こえるともいわれていました。
これは昔、この土地の馬方が信州に行った帰りに、馬の荷物の左右の重さが片方だけ軽かったので、バランスをとるために道で拾って挟んできた小石が、こんなに大きなものになったのだということです。
(『新編武蔵風土記稿』埼玉県秩父郡小鹿野町)

その信州の方には、また「鎌倉石」と呼ばれる石もありました。信州の安養寺というお寺の庭にあって、はじめ鎌倉から持ってきたときにはほんの一握りの小さな石だったものが、だんだんと成長して四尺(約1.2メートル)ほどにもなったので、庭の古い井戸のフタにしておいたところ、そんなことにはおかまいなしに、のちには一丈(約3メートル)以上もある大きな岩になってしまいました。
そのため、すき間からのぞいてみると、今でも岩の下に井戸の形が少しだけ見えるといわれていました。
(『信濃奇勝録』長野県北佐久郡三井村)

こうしてわざわざ遠いところから、人が運んでくるほどの小石なのだから、きっと何か深い因縁があり、また不思議な力があるものと、昔の人たちは考えていたようです。しかし中には、もっと簡単な方法で、大きくなる石を手に入れることができると言っているところもあります。
九州の阿蘇地方などでは、どんな小石でも拾って帰って、縁の下のどこかに隠しておけば、きっと大きくなっていると信じられていました。
やたらに外から小石を持ってくることを嫌っている家は、今でもあちこちにあります。
川原から赤い石を持ってくると火の災いがあると言ったり、白い筋の入った小石を「親しばり石」と言って、それを家に入れると親が病気になるなどと言ったりしたのも、要するに子どもたちのような、石を大切に扱うことのできない者が、祀ったり拝んだりする大人の真似をするのを戒めるために言ったものなのだろうと思います。
だから人々はめったに石を家に持ってこようとはしませんでした。しかし、何か特別なわけがあって持ってきたような石には、大たい不思議なことが現れたと語り伝えられています。

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