初級翻訳・曲馬団の「トッテンカン」 第5話

下村 千秋

」
「大丈夫、むずかしいことはしないのさ。」
「でも、外の人に代わってもらうと、また罰をくわされるもの。」
「だからね、僕がきえちゃんの服を着て、わか姉さんにお化粧をしてもらって、きえちゃんそっくりの少女になるのだよ。団長だって見わけのつかないような少女になるのだよ。そんなら大丈夫だろう。」
と新吉は自信のあることばで言いました。

十一

トッテンカンの新吉は、いよいよ、病気のきえちゃんに代わって、竹のぼりの芸当をすることになりました。
その芸当というのは、まず、わか姉さんが象のファットマンの背の上に立ちます。
それから三メートルほどの太い竹棒を、手を使わずに肩の上に立てています。
すると、きえちゃんは、その竹棒のてっぺんへよじ上って行って、そこで手ばなしでうつ伏せになったり、あおのけになったり、しゃっちょこ立ちをしたり、足首でつかまってぶら下がったりするのです。
それを専門にしているきえちゃんには、それほどむずかしい芸当ではありませんが、今日はじめてそれをやる新吉にはむずかしいどころか、その中の一つの芸だって満足に出来るはずはないのです。
そして、もしやりそこなって、おっこちでもしたら、それこそたいへんです。
何しろ、竹棒のてっぺんから象の足下までは七メートルもあるのですから、たとえ死なないまでも、大怪我をするにきまっています。「よした方がいいよ、トッテンカン」と、わか姉さんは不安そうな顔をして言いました。
「だって、僕がやらなかったら、きえちゃんがやらなくちゃいけないじゃないか。あんなに立てないほど弱っているきえちゃんがやったら、それこそ落ちて死んじゃうよ」
「だから、だれもしないのさ」
「そしたらこんどは、わか姉さんが罰を受けるじゃないか」
「かまやしないよ」
「いやだ、いやだ。僕がやればみんな助かるんだもの。僕はどうしてもやるよ。僕はね、あのファットマンの背中でする芸なら、なんでも失敗しないという自信があるんだからね。そんなに心配しないで、やらせてくれよ」
わか姉さんも、これほど強く言っている新吉の決心を止めることはできませんでした。
それに、わか姉さんは下に立って竹棒を支える芸をしているのだから、もし新吉がおっこちるようなことがあったら、下からうまく受け止めようと心の中で考えていたのです。
わか姉さんは新吉を幕のかげにかくし、そこでお化粧をしてあげました。
白粉(おしろい)を塗り、ほほ紅と口紅をつけ、まゆずみを引いて目のふちをくま取りし、それからきえちゃんの芸服を着せて、絹の三角帽をかぶせました。
少し離れたところから見ると、きえちゃんそっくりになりました。もともと体つきも、新吉はきえちゃんによく似ていたのです。
「それなら大丈夫。でも、口をきいちゃダメだよ」と、わか姉さんは注意しました。
「なぁに、かけ声くらい、きえちゃんそっくりの声を出して見せるよ」
新吉はそう言って笑いました。

十二

それは夜の八時ごろのことでした。
場内は満員の見物人でいっぱいでした。
四方が山に囲まれた甲府の町のことですから、九月になるともう山おろしの秋風が吹きはじめ、大きなテントの屋根は、ばさりばさりと風にあおられていました。
楽隊がにぎやかに音楽を鳴らし始めました。
すると、きえちゃんに扮(ふん)した新吉が、まず垂れ幕のかげから現れました。
続いて、胸に金銀の星が輝く服を着たわか姉さんが現れました。
さらに、大きな象のファットマンが、のそりのそりと歩み出てきました。
見物席からは、あらしのような拍手が起こりました。
三人は一列に並んで見物席へあいさつをしました。
やがて、わか姉さんがファットマンの鼻の上に乗って、ひらりとその背中へ飛び上がりました。そして、長い竹棒を受け取りました。
続いて新吉がファットマンの鼻に乗ろうとすると、ファットマンはちょっと鼻を巻き込んで、しばらく新吉の顔をじっと見つめていました。
きえちゃんに化けてはいるものの、それが相棒の新吉であることを、ファットマンはちゃんと見抜いていたのです。
ファットマンは不審そうに鼻を巻き上げながらも、新吉を背中に乗せてやりました。
しかし、中央の垂れ幕の前に立っている団長はもちろん、ファットマンのまわりに立っている四、五人の道具方も、それが新吉であることは夢にも知りませんでした。
新吉はファットマンの背中の上で、きえちゃんがいつもするように、もう一度見物席へあいさつをし、それから、わか姉さんの肩の上に立っている竹竿をスルスルとのぼっていきました。
新吉は竹竿をのぼりきったところで、まずはあぐらをかいてまわりを見下ろしました。
それから、ハッと気合いのかけ声をかけて、しゃっちょこ立ちをしました。
次に、竹竿のてっぺんできえちゃんのようにうつぶせになり、両手両足をはなして、まるで亀の子のようにふらふらとまわりました。
すべて、きえちゃんがやるのと同じようにこなしていきました。
わか姉さんは、肩先で竹竿のバランスを取りながら、このような離れ業を新吉がやってのけているのを、不思議そうに見上げていました。
さて新吉は、こんどはさっきとは反対に、背中を下にして、つまり竹竿の上にあおむけになり、亀の子のように手足を動かす芸に移りました。
これは見ていてもはらはらする芸で、やる本人にとっても一番むずかしい芸でした。
新吉はまず足をはなしました。
そして、手をはなそうとしたその瞬間です。
頭のほうがぐらりとゆれたかと思うと、そのままサァッ――とまっさかさまに落ちてきました。
「あっ!」とわか姉さんが叫びました。
彼女は竹竿をほうり出すと、両手を大きくひろげて新吉の体を受け止めようとしました。
しかし、勢いのついた新吉の体はわか姉さんの手をすり抜け、ファットマンの頭にぶつかると、もんどり打って下の板敷きへまっさかさまにたたきつけられる――と思ったその刹那(せつな)でした。
ファットマンは、その長くて強い鼻をぐいと伸ばし、新吉の体をふわりと空中で受け止めてしまったのです。

十三

見物人はいつの間にか総立ちになっていました。
そして、新吉の体がファットマンの鼻の先で見事に救い上げられたとき、見物人はどっと大きな声をあげて大喜びしました。見物人たちは、新吉が危うく大失敗しそうだったことなんてすっかり忘れちゃって、「危機一髪というときに、ファットマンの長い鼻が上手に受け止めてくれたぞ!」という奇跡に、本当に涙を流しそうになるくらい大喜びしました。
けれど、そんな観客たちの目の前で、見物人たちが思わず「えっ?」とびっくりしてしまうようなことが起きたのです。
それは、新吉がファットマンの鼻の上から無事に地面へ下りたとき、あの意地悪な団長がいきなり猛ダッシュでやって来て、新吉の横面を「ビシャリ!」と思い切りひっぱたいたことでした。
「この役立たずめ!」
団長はすごい剣幕で怒鳴りつけました。
そして、新吉の手が抜けてしまうんじゃないかと思うほどぐいと強く引っ張り、まるでゴミでも引きずるようにして、真ん中の垂れ幕のかげへと連れ去ってしまったのです。
「僕たちはあんなに大喜びしているのに、あの団長は怒鳴りつけていやがる。

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