なんて馬鹿な奴なんだろうなぁ」
見物人たちは顔を見合わせて、不審そうにそう噂し合いました。
団長は新吉を楽屋裏に連れ込むと、さらにひどく殴りつけました。
「またもや、だらしない芸をしやがって、このトンチキめが!」
そのとき、すぐそばから、
「団長さん、団長さん、どうか怒らないで、勘弁してやってください……」
と、か細く泣きそうな声が聞こえてきました。
見ると、それはいつもの普段着を着た、本物のきえちゃんでした。
団長は、「いま殴っているあの子がきえちゃんだ」と思い込んで怒鳴りつけていたので、すぐそばからもう一人のきえちゃんがひょっこり顔を出したのを見て、「一体どういうことだ?」と、あっけにとられてきょとんと立ち尽くしてしまいました。
でも、すぐに「新吉がきえちゃんの身代わりになって、あの危険なアクロバットをやったんだ」と気づくと、どこまでも意地悪でひねくれ者の団長は、今度はそのことに対して激怒し始めたのです。
「この野郎! いったいなぜ、ほかのやつに勝手に芸なんかさせやがったんだ!」
団長はきえちゃんを激しく責め立てました。
「お前はまた、自分じゃそんな大技もできないくせに、どうして人の身代わりになんてなったりしたんだ!」
と、今度は新吉の方をもう一度激しく怒鳴りつけました。
そこへ、わか姉さんがすっと割って入ってきました。
「ぜんぶ、わたしが新吉にやらせたことです。
どうかふたりを怒らないで、その代わりにわたしを罰してください!」
わか姉さんはきっぱりと言いました。
「馬鹿野郎っ!」
団長は屋根が割れそうなほどの怒鳴り声を上げました。
「お前ら、みんなでグルになって勝手なことばかりしやがって!
いいか、お前たちをどうしてやるか、覚悟してやがれ!」
団長はそう言うと、まるで獲物を狙う鷹のような、ずる賢くて恐ろしい目をギラギラと光らせながら、その場から去っていきました。
十四
その夜から、新吉もきえちゃんも、そしてわか姉さんも、みんなまとめて厳しい罰を受けました。
お小使いのお金は一銭ももらえなくなり、一日に三回だったご馳走(めし)は、一日にたった二回に減らされてしまいました。
しかもそれは、まるで犬が食べるような、冷たくて粗末な食事ばかりでした。
もともとその事件の前からすっかり体が弱っていたきえちゃんは、ついにひどい高熱を出してしまい、もう二度と枕から頭を上げられなくなってしまいました。
それからあっという間に急性の肺炎にかかってしまい、ずっとうわごとをつぶやいていましたが、四日目の真夜中に、とうとう息を引き取ってしまったのです。
新吉とわか姉さんは、冷たくなったきえちゃんにすがりついて、声を上げて泣きました。
新吉は涙を流しながら、団長につかみかかっていきました。
「この人非人め! このバチ当たりめ! お前なんか首でもくくって死んじまえ!」
青白い顔をしてわめき散らす新吉を、団長はただ冷たく、にやにやと薄笑いを浮かべて見ているだけでした。
次の日、わか姉さんは新吉を人の目の届かない物かげにこっそり呼んで、こう言いました。
「新吉さん――もう『トッテンカン』なんて曲馬団の名前で呼び合うのはおしまいだね。
これからはもとの新吉さんに戻って、今すぐこの曲馬団からこっそり逃げ出しなさい。
そして、故郷の町にあるあの鍛冶屋さんのところへお帰りよ」
「僕もそうしようかと考えたんだけどさ、あの鍛冶屋のおやじのところへ戻るのだけは、どうしても嫌なんだ……」
「じゃあ、どこかほかに頼れるところはないの? 新吉さんを引き取ってくれるような身内はさ」
「うん、東京に叔父さんがいるんだ。
僕のお姉さんもそこにいるはずだから、僕、そこへ行こうかなあ」
「それがいいよ。
いくらかばかりかのお金なら、わたしが工面してあげるからね。
いつまでもこんなところにグズグズと居座っていたら、新吉さんも、あのきえちゃんと同じようなひどい目に遭わされるに決まっているんだからさ」
「この曲馬団に入る前、わか姉さんが言ってくれた忠告の意味が、僕、いまになってやっと本当によく分かったよ……。
ねえ、わか姉さんはこれからどうするの?」
「わたしはわたしで、ちゃんとほかに考えていることがあるから、わたしのことは心配しなくていいのよ」
ふたりはそう小声で話し合って、その夜はテントを激しく揺さぶる冷たい秋風の音を聞きながら、小屋の隅で肩を寄せ合って眠りました。
そしてその翌日の早朝、まだ東の空がやっと白みかけたころのことです。
新吉は、霜降りの夏服を着て靴を履き、麦わら帽子をかぶり、風呂敷包みをひとつだけ手に持って、一年あまりの間住み慣れたあのテント小屋をこっそり抜け出しました。
新吉はそこを去るとき、相棒であり親友でもあるファットマンのそばへそっと忍んで行きました。
この一年の間、新吉のためにどんなときも力になってくれ、最後に自分の命まで救ってくれたその大きくて長い鼻を優しくなでながら、新吉は言いました。
「ファットマン、今まで本当にありがとう。
さようなら、さようなら……」
十五
新吉が停車場へと急ぎ足でやって来ると、ちょうど一番列車がホームに入ってくるところでした。
新吉はその汽車に飛び乗り、お昼前には東京の新宿停車場へと到着しました。
それからすぐに電車に乗り換え、叔父さんの家がある小石川へと向かいました。
しかし、いざその場所にたどり着いた新吉は、そこで――完全に途方に暮れてしまうのでした。叔父さんの家は別の場所へ引っ越してしまっていて、その引っ越し先もまったく分かりませんでした。
新吉は、風呂敷包みを抱えたまま、夢中でその辺りをうろうろと歩き回りました。
歩いているうちに、広い池のほとりに出ました。
そこは不忍池(しのばずのいけ)で、新吉はいつの間にか、そんなところまで迷い込んで来ていたのです。
池の向こうに、木々の茂った小高い丘が見えました。
そこは上野公園でしたが、新吉にはそんなこと分かりません。
ただ何となく、田舎の町はずれにある高台の森に似ていたので、わけもなく引きつけられたのです。
新吉は公園の上へと登っていきました。
そうしているうちに日が暮れてしまいました。
新吉は泣きたくなりました。
新吉は、公園の高台から、美しい明かりに包まれた街を見下ろしながら、いつまでもいつまでもそこに立ち尽くしていました。
その夜、新吉は公園の奥にある木陰の石の上で眠りにつきました。
眠ったり目を覚ましたりする新吉の頭の中には、田舎の町のことや、鍛冶屋のおやじのことや、曲馬団でのいろいろな出来事が、とぎれとぎれに浮かんでは消え、消えては浮かびました。
その夜明け方のことです。
新吉はまず、ライオンのうなり声を耳にしました。
それから、さまざまな動物たちの鳴き声を耳にしました。
曲馬団の動物園で聞き慣れていた声だったので、自分の耳のせいではないかと思いながら、新吉はその声がする方へと歩いて行きました。
すると、高い石の壁がぐるりと巡らされている場所に出ました。
「ああ、これが上野の動物園というところなんだな」と、新吉はやっと気がつきました。
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