きみは無線の方に気を配っていてくれ」
「はい! どの無線を聞けばいいのですか……?」
「もうすぐ丸木艇が、火星と通信をはじめるかもしれない。
それをこちらでもしっかり聞き取ってくれ。
なにか役に立つヒントがつかめるかもしれんからな」
「はい、わかりました!」
博士は新田先生を、ガス砲の席から無線機のほうへと移動させました。
こんどは千二くんの顔が、博士のほうへクルリと向きました。
「博士、ぼくはいったい何をすればいいですか?」
蟻田博士は千二くんのほうを向いて、にっこりと笑いました。
「千二。お前、床屋さんになってくれぬか?」
「えっ……床屋さんですか?」
「そうじゃ。丸木艇に追いつくまでにはまだすこし時間があるから、お前、わしのうしろにまわって髪を切ってくれんか」
博士はまた、とっても変わったことを言いだしました。
「博士、おしゃれでもするのですか? ぼく、床屋さんの仕事なんてできませんよ!」
「なに、むずかしいことは一切なしじゃ!
ここにとっても便利な電気ばさみがあるから、これで頭をグルグルと刈ってくれればいいだけでな」
「成層圏の床屋さん」――千二くんはそんなおかしな仕事を言いつかって、いそいそと博士のうしろへとまわりました。
「待て待て、……」「床屋さんがするように、肩のところに白い布をかけてくれ給え」
「博士、あまり贅沢(ぜいたく)を言っては困りますよ。ここは成層圏なのですからね」
「成層圏なのはわかっているが、床屋をやってもらうには、やっぱり白い布をかけたほうがいい。そこにある機械おおいの布を取って、肩にかけてくれ」
「へい。これですかね、機械おおいは……」
千二少年は、機械の上にかかっていた油くさい布をとって、気楽そうな博士の肩にかけてやった。
「ふむ、なかなかいごこちがいいぞ。うまく鋏(はさみ)をつかって、この伸びた髪を、わしが言うように切ってくれ給え」
千二は、博士があまりにものんきなので驚いた。
そうして、鋏をしきりにつかって、長く伸び切った髪をチョキチョキと切っていった。
博士は、いろいろと口やかしく、千二の鋏のつかいかたに文句をつけた。
しかし、そうしているうちに博士の髪かたちはだんだんとととのっていった。
博士は、やがて見違えるほど若々しくなった。
「博士、ずいぶん若くなられましたねえ。十歳ぐらいも若くなりましたよ」
と、となりの座席にいる新田先生が言った。
「そうじゃろう。なに、もうおかしな変装をする必要もなくなったからのう」
千二は、すっかり仕事をやりおえた。
成層圏で髪を刈ったのは、おそらくわが蟻田博士ぐらいのものであろう。
この床屋ごっこが、先生や千二の心を大へんやわらげた。
博士は、ほんとうのところは髪を刈りたかったのではなく、二人の気持ちを楽にするために、無理に髪を刈れと言ったのかもしれない。
……
大空艇は、いま暗黒の空間を、ひたむきに飛んでいる。
博士は髪のかたちをととのえ、すっかり若くなって座席についた。
先生も千二も、それを見てにこにこしている。
いよいよ一同の意気は高い。
映写幕には、外のようすがうつし出されている。
まっくらな中に、うす桃色の丸木艇がポツンとうつっている。
博士は目盛盤を動かして、ピントを合わせた。
丸木艇が、くっきりと映写幕の上にうつし出された。
「丸木艇は、いよいよ火星へ逃げて帰るつもりだな」
と、博士はうめくように言った。
「博士、どうなさいます?」
「どうするとは?」
「丸木艇に追いつけますか。追いつけないときは地球へ戻るのですか、それとも、あくまでも丸木艇を追いかけていくのですか」
「どこまでも、追いかけていくのだ」
博士ははっきりと言った。
「えっ、すると、火星まで行くのですか?」
「そういうことになるかもしれない。もしこっちが追いつけなければ……」
「はあ……」
先生は驚いて、博士の顔を見つめなおした。
「博士、火星へ行くのですか! おもしろいですねえ。一度行ってみたいと思っていたんです」
千二はにこにこ顔であった。
しかし、先生は笑う気持になれなかった。
火星旅行は、地球の上の飛行機の旅のように簡単にはいかない。
第一、火星の気候は地球とは大ちがいだ。
それに、すんでいるのは人間ではない。植物の進化した生物だ。
彼らは、丸木のようにすぐれた知恵をもっている。
そういう火星人のたくさんすんでいる中へ、たった三人で行って、いったいどうするというのだろう。
いわんや、あの丸木は、自分たちをうらんでいるのではないだろうか。
そう思うと、火星行はどうしてもいやな気がするのだった。
「博士、火星まで行って、本当に大丈夫でしょうか?」
先生は、それを聞かずにはおられなかった。
「大丈夫かどうかはわからない。しかし、今となっては火星であろうがどこであろうが、丸木艇を追いかけていくしか方法がないのだ」
「そうでしょうか……」
「丸木は、地球に対してはじめて戦いをいどんだ敵だ。この宇宙の侵入者をここで撃ち落としておかなければ、地球人類の大恥である。わしは、あくまで丸木艇を撃墜し、あの丸木をやっつけてしまうのだ!」
博士の決心は岩よりもかたかった。
火星人と戦ってどちらが勝つか負けるか、先は見通せない。
しかも、博士は丸木艇を追って、どこまでも進撃するつもりなのだ。
「博士、火星へでもどこへでも行きましょう! 先生も行きましょうよ!」
千二は、新田先生をはげますように言った。
そう言われては、先生も「いやだ」とは言えなくなった。
「もちろんですとも。どこへだって行きますよ。われわれは、大宇宙の第一線部隊なのだからね」
「うむ、そうだ。だから、どんなことがあっても負けられんのじゃ!」
博士は拳をふりあげて言い放った。
千二は、このとき望遠鏡のプリズムを動かして、大空艇の後方を見わたした。
「あっ、見える! 地球が見えるよ!」
千二は思わず、大きなため息をついた。
見える、見える。地球が、大きな球のかたちをして、白い雲に包まれながら、ぽっかりと宙に浮いている。
雲の間から地表がのぞいている。
地表は、まぶしいまでに明るく光っている。
あれは、アメリカ大陸らしいものが見えているようだ。なんて素晴らしいながめだろう。
雲が、まるでパッと発光したかのように見えた。
そうかと思うと、雲の切れ目から、奇妙な青白い光を放つものが姿をあらわした。
それはモロー彗星だった。
丸木艇を追いかけて、大空艇は、なおも、まっ暗な空間を、まっしぐらに進んでいく。
「博士、こんなに追いかけているのに、一向に追いつきませんねえ」
と、先生が言うと、蟻田博士は、
「うむ、困ったものじゃ。
実を言えば、これくらいのスピードを出せるエンジンなら十分だろうと思っていたが、今となっては、不十分だとわかった。
今さら言っても仕方がない」
博士は、設計に不十分な点があったことを、すなおに認めた。
「じゃあ、いくら追いかけても、だめでしょうか」
「いや、そうともかぎらない。
丸木艇が、もし故障でもおこしてくれれば、しめたものだが……」
「なるほど、そうですか。
しかし、丸木艇も、なかなか調子よく、にげていくじゃありませんか」
「うむ、敵ながら、感心していたところだ。
初級翻訳・火星兵団 第98話
海野 十三
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