それでね、偉いお坊さんのお経じゃダメだけれど、あなたみたいな家族同然の人にお祈りされると、天国へ行けちゃうのよ」
「そいつは危ないな!」
彼は少し、びっくりしました。
「それはうっかりできないぞ。今ここで天国へ行かれちゃったら、大変なことだ」
「それでも、あなたがカネ(仏壇にあるチーンと鳴らす道具)を叩かなかったから、助かったわ。カネを叩けば仏様が出てきちゃうから、そうなったら、あたしだってお経を邪魔することができなかったの。本当にヒヤヒヤしたわよ」
「そうか、そういう理由だったのか。そんなこととは知らないから、いきなり『こりゃこりゃ』なんて歌い出した時は、本当にびっくりしたよ」
「これからは気をつけてね。さあ、起きてお風呂(銭湯)にでも行ってらっしゃい。あたし、その間にご飯の準備をしておくから。……はい、タオル」
銭湯で汗を流して、さっぱりした気分で帰ってくると、もう晩ご飯の用意ができていました。
アジの酢の物に、お味噌をつけたキュウリ、イカのお刺身に、サヨリという魚を細く切ったお刺身。そしてコンロの上では、ハマグリのお鍋が、お味噌の良い匂いをさせてグツグツと煮えていました。「わあ、すごい! こいつはとびっきりのごちそうじゃないか。おまえにこんなにお金を使わせちゃって、申し訳ないなあ」
「お金なんて使ってないわよ。これ、全部『金田屋(かなだや)』から持ってきたんだから」
「えっ、金田屋って……あの二丁目にある有名なお店かい?」
「そうよ。料理場で作ったばかりのを持ってきたの。お酒もたっぷりあるから、今夜はあなたも酔っ払ってね」
幽霊のお染(おそめ)は、いつもの色っぽい目でチラリとこっちを見て言いました。
「あなたは、どんなに頑張ってもすぐにギブアップしちゃうんだもの。それじゃあ、あっけなくてつまらないわ。今夜はたくさん飲んでね。酔っ払えば、もっと長く一緒に楽しめるでしょ?」
「そのことなら安心しなよ。昨日の夜は遠慮してたし、二年ぶりだったからさ。コツさえわかれば、へっ、自慢じゃないけど、おまえなんか十日もしないうちにガリガリに痩せて、ヘトヘトの幽霊みたいに……あ、いけねえ。おまえは今でも幽霊だったな。そうなると、一体どうなっちゃうんだ?」
「あたしのことはいいのよ。あたしはどんなに張り切ったって、体にこたえるなんてことはないんだから。あなたが考えなきゃいけないのは、自分の体のことよ!」
「俺なら大丈夫、鉄人みたいなもんだよ。うおっ、さすが金田屋だ。このお酒、最高にうまいぜ。まあ、おまえも一杯どうだい」
「恐れ入ります。旦那さまにお酌をしてもらうなんて、バチが当たらないかしら?」
「もし当たったら、半分は俺が引き受けてやるよ」
「まあ、口が上手なんだから。そうやって、今までたくさんの女の人をだましてきたんでしょ? もしこれからそんなことしたら……」
「おっと、その話はやめてくれ。『取り殺すぞ』なんて言われると、酔いが覚めちゃうよ。……ああ、ちくしょう!」
弥六(やろく)は、しきりに太ももや腕などをパチンと叩きながら言いました。
「今夜はまた、ずいぶん蚊(か)がひどいなあ。でも、おまえはちっとも刺されないみたいだね」
「バカねえ、あなた。幽霊が蚊に刺されるわけないじゃない。もし刺されるんだったら、夏の夜に柳の木の下になんて立っていられないわよ」
「それもそうだな。幽霊が蚊に刺されて、太ももをボリボリかいていたら、ちっとも怖くないもんな。世の中ってのは、うまくできているもんだなあ」
二人はいい気分で酔っ払って、一緒に眠りました。
夜が明けると、幽霊の女の姿は見えなくなります。
そして日が暮れて、夜の九時ごろになると、また姿を現すのでした。
彼女は毎晩、どこからか料理とお酒を持ってきました。二人は好き勝手におしゃべりしながら飲んだり食べたりして、外が明るくなるまで、疲れを知らない幽霊と、元気いっぱいの弥六は仲良く過ごしました。
こんな毎日が、ずっと続きました。
「明日の夜は『橋善(はしぜん)』の天ぷらにしようかな。それから『長寿庵(ちょうじゅあん)』のうどんもいいなあ」
どこのお店のどんな料理でも、思いのままです。しかもタダで手に入るのですから、弥六は好きなことを言いたい放題でした。
そのうえ、幽霊のお染はオシャレで頭が良く、男の人の扱いもうまいうえに、「仕事をしなさい」なんてことは絶対に言いません。
「これが夢なら、どうか覚めないでくれ」
天国だってこれほど楽しくはないだろうと、弥六はニコニコして喜んでいました。
近所の人は誰も、このことに気がつきませんでした。ただ一度だけ、隣に住んでいる奥さんのお勘(おかん)さんが、心配そうな顔をしてこんなことを聞いてきました。
「弥六さん。このごろ毎晩、ひどくうなされているみたいだけど、どこか具合でも悪いんじゃないの?」
「そうかい、俺がうなされているかい?」
弥六はニヤニヤ笑いながら答えました。
「それじゃあきっと、あれだよ。お勘さんが毎晩うなされているから、それが俺にうつっちゃったんだよ」
お勘さんは顔を赤くして、「あら、嫌だわ!」なんて言いながら逃げていきましたが、それからは彼女も何も言わなくなりました。
大家(おおや)さんは相変わらず、お米やお味噌(みそ)を届けてくれました。時には小銭を置いていってくれることもありましたが、来るたびに必ずお説教をされました。
「おまえはまだ、心を入れ替えないのか。これからどうするつもりだ? おまえを待っている人がかわいそうだとは思わないのか」
今まではただ小さくなって、「はい、すみません」と謝ってばかりいた弥六でしたが、お染という幽霊が来てからは気が強くなっていました。そしてある日、ついに大家さんに言い返したのです。
「俺はこれが好きなんだ。こういう性格なんだから、放っておいてくれよ! 待ってるなんてどこの誰だか知らないけど、自分から勝手に出て行ったやつのことを、かわいそうだなんて思うもんか。ふざけたことを言わないでくれ!」
「な、な、なんだと!」
大家の平作(へいさく)おじいさんは怒りました。
「何がふざけているだ! 何がへちまだ! 大家のわしに向かって、なんて口をきくんだ。おまえがいくらダメな人間でも、それだけは許せないぞ。奥さんのお兼(おかね)さんが出ていったのは、自分が大事だったからじゃない。おまえのことを思えばこそ、おまえに一人前になってほしいからこそ、泣きながら実家へ帰ったんだ。帰るとき、お兼さんが泣きながら言ったことを忘れたわけじゃないだろう? 『あなたが真面目な気持ちになったら、すぐに帰ってきます。どうか、早く帰れるようにしてください』……そう言って泣いていたのを、覚えているだろう!」
五 世界にたった一つの商売
「それだけじゃない。お兼さんは実家に帰ってからも、一日だっておまえみたいなダメなやつのことを心配しない日はなかったんだぞ!」
怒っている大家さんの目に、その時ふっと涙があふれてきました。
それを手の甲でぬぐい、震えるような声で、平作おじいさんはさらにこう続けました。「おまえはとんでもないおバカさんだから、そんな勝手なことが言えるんだ。
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