初級翻訳・山彦乙女 第45話

山彦乙女

古い死体だし、顔が変わってしまっているのではないか?
いや、この乾いた空気と地質のせいか、驚くほど大きな変化はないようだった。
もちろん、叔父とは十二歳のときに会ったきりだったので、記憶はかなりあいまいだ。
たとえその顔が少しも変わっていなかったとしても、それだけで「まちがいなく叔父だ」と確信することはできないはずだった。
しかし、それでもやっぱり、それは叔父にそっくりだった。
半之助は蝋燭を左に右にと動かしてみた。
まぎれもなく、叔父に似ていた。
よく似た、そのゆがんだ顔の下半分に、あの、人をバカにしたような、それでいてどこか穏やかな微笑みが、今にもうかんできそうだった。
――ここは、かんば沢に近い。
叔父は昔、かんば沢へ入っていったきり行方不明になり、遺体も見つからなかったのだ。
「もしこれが、あの叔父だとしたら……」
半之助は蝋燭を持ち替えた。
そして、あたりにちらばっている宝石や、同じ石がたくさん詰まっているらしい革袋を眺め、さらに、明るくキラキラと光を反射している洞窟の壁面をじっくりと調べてみた。
半透明で乳白色の部分に、層をなすようにして、水晶のような結晶体がむき出しになっている。
乳白色のところは光を受けると内部が沈んだ金色をたたえ、結晶体のところは、何百、何千もの光が複雑に反射して、美しくまばゆく輝いていた。
――かんば沢、伏岩。
土地に伝わる古い伝説だけでなく、叔父もまた自分の手記の中で「決して近づいてはならない」と、しつこいほど繰り返していた。
そして、そのことが、半之助の頭の中で「信玄の石棺(せっかん)」という言葉と結びついた。
武田家をふたたび盛り上げるために、代々伝わる白旗や兜、そして巨額の黄金や宝の玉を一緒に埋めたという、あの伝説の「信玄の石棺」に……。
「もしかしてここは、その石棺なんじゃないだろうか? この洞窟そのものが……」
彼はそうつぶやくと、ふっと息をひそめた。
毎年四月十一日の真夜中、武田信玄の霊をなぐさめるために、かつての家来たちが武装して集まる「武田八幡」の社殿は、ちょうどこの洞窟の真下に当たる場所にあった。すると、ここに武田信玄の、行方不明だと言われているお墓をつくり、同時に一族をもういちど立て直すための財宝を隠した、と考えることは、そんなにおかしなことではないだろう。

「そうだ、決して不自然ではない」

かんば沢に近づくことが、むかしから厳しく禁止され、近づいた人はみんな無事ではなかった。
それは、このあたりの村の人たちにとって、この洞窟がとても大切な意味を持っているからなのだろう。
とても大切な、つまり、ものすごい金額の宝物のほかに、信玄さまのご遺体が眠っている。
ここは神様がいる特別な場所なんだ。
ということを証明しているからではないだろうか。

「近づいた者はみんな無事じゃなかった、たまに帰ってくることができた人も、まるで心が壊れたようになっていたっていう、……廃人のように、ってどういうことだろう」

それはきっと、ほかの多くのお話と同じように、面白おかしく尾ヒレがついたものなのだろう。
だけど、叔父さんもまた、頭がおかしくなったようになっていた。まったく、狂人のように……。
けれども、ほかの人たちとは何かが違うんだ。

「たしかに、叔父さんの場合は、ほかの人たちとは違うぞ」

半之助は、次のように想像してみた。
叔父はこの洞窟の中に入ることができて、中にある宝物を見つけ出した。
そのとき叔父は、「これを自分のものにしたい」と思わなかっただろうか。
奥さんの裏切りや、都会での退屈な暮らし、いろいろな理由があって、叔父は(そのためにお上の厳しいお役目にまわされるほどの)遊び人だった。
叔父の性格には、そういう誘惑に弱いところがあったのだ。
見つけた宝物のあまりのすごさに、叔父が心を奪われなかったとは言い切れないだろう。
それは、あらゆる楽しいことや、自由や、欲しいものが何でも手に入る生活を約束してくれる、まったく新しくて、しかも束縛から解放された世界への入り口なのだから。

叔父は、頭がおかしくなったふりをした。
それなら昔から例もあるし、自分が突然いなくなったことも納得してもらえる。おまけに、ほかの人たちを「かんば沢」に近づけないための、言葉なき警告にもなる。
わざとごちゃ混ぜで、恐ろしいことばかりが書かれた手記を残し、狂ったふりをして、そして叔父は、遠藤兵庫(えんどう ひょうご)としての自分を、この世から消し去ったのだ。
まわりの人たちは、疑いもしなかった。
遠藤兵庫はいなくなったんだ、とみんなが信じ込んだ。

叔父はタイミングを見計らって、この洞窟に入り、ひそかに宝物を持ち出した。
それが一回か二回か、それとももっと何度もだったのかは、誰にも分からない。
だけど、あるとき、洞窟が崩れて、頭をぶつけて死んでしまった。

「こんなふうに考えるのは、こじつけがすぎただろうか。あの死体と、宝石がたくさん詰まった革袋と、崩れ落ちた岩と、そして、あの……」

自分に確かめるようにそう言いかけたところで、半之助ははっと口をつぐみ、蝋燭の火を自分の体で隠しながら、後ろをふりかかった。
人の声が聞こえたのだ。
あちこちに響き渡るからはっきりとは分からないけれど、かん高く、短い、叫ぶような声だった。
それが、こちらへどんどん近づいてくる。

半之助は、自分が置かれている危うい立場にハッと気づいた。自分はいま、追われている身であり、絶対に入ってはいけない禁止された場所にいるのだということに……。

彼は素早く、さっきの場所へと駆け戻った。
(これが結果的に、彼の命を救うことになるのだが)そして、蝋燭の火を消すと、崩れた岩の破片の山をよじ登り、自分がさきほど落っこちてきたあの穴の中へと、身をひそめたのだ。

洞窟いっぱいに大きく響き渡りながら、声は思ったよりもずっと早く、すぐ近くまでやって来た。
そして、明るい松明(たいまつ)の光が、眩しいほどキラキラと岩の壁に反射して、ゆらゆらと揺れた。

「お姉さま、お姉さま、乙女の言うことを聞いて、お願いだから!」
「いいえ、いやよ、お帰り!」
「お姉さま……!」

それは、花世の声だった。
走って追いついたのだろう、声は息が切れ、ふるえていた。

「お姉さまも、わたくしたちも、なんにも悪いことはしていないのですもの、ちゃんとよくお話すれば分かってもらえますわ。ねえ、どうかそんな恐ろしいことはしないで、お願い、どうか戻って頂戴!」
「あなた、お帰りなさい」

姉の声は引きつっていた。

「あなたや、お父さまは大丈夫よ。そんなに重い罰にはならないはずだわ。だから帰って、あとの片づけをしてちょうだい」

姉妹のやりとりを聞いていると、半之助が逃げたあと、あの神社は幕府からやって来たお役人たちにすっかり取り囲まれてしまったらしい。
そして、このお姉さんと、お姉さんと一緒に江戸から来た人たちは、逆に追いかけられて、バラバラになって逃げてきたもののようだった。

「あたしの夢はやぶれちゃったわ。なにもかも、いっぺんに崩れ去ってしまった……。みどう一族がずっと守ってきた、お家再興の望みもこれで終わりだわ。

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