ヤナギやポプラの木に囲まれた、あの小さな灰色の教会で教えられたとおり、ネロはまっすぐな心で、何の疑いもなく神さまを信じていたのです。
いよいよ、厳しい冬がやってきました。
その夜、二人が小屋に戻ったあと、雪が降りはじめ、それは何日も何日も降りつづけました。
そのせいで、道路と畑の区別もつかなくなり、小さな小川はすっかり凍りついてしまいました。そして、平野じゅうが厳しい寒さにおおわれました。
そうなると、まだ朝の暗いうちからあちこちを回ってミルクを集め、暗闇の中を静まり返った街へとミルクを運ぶ仕事は、本当につらいものになります。
とりわけ、パトラッシュにとってはそうでした。
月日が経ち、ネロがりっぱな若者に成長した一方で、パトラッシュはすっかり年老いていたのです。
関節はこわばり、骨はズキズキと痛みました。
それでも、パトラッシュは自分の仕事を絶対にあきらめようとはしませんでした。
ネロはむしろパトラッシュをいたわり、自分ひとりで荷車を引いていきたかったくらいでした。
しかし、パトラッシュがそれを許さなかったのです。
パトラッシュが許し、受け入れたのは、せいぜい凍った道のわだちをガタピシと進むときに、荷車の後ろから後押ししてもらうことだけでした。
パトラッシュは引き具とともに生きてきました。
そして、パトラッシュはそれを自分の誇りとしていたのです。
パトラッシュは、ときどき霜やひどくぬかるんだ道や、リウマチによる手足の痛みにとても苦しめられました。
それでも、ハアハアと息を荒らげながら、たくましい首をたれ、あくまでも忍耐強く、前へ前へと歩いていきました。
「パトラッシュ、家で休んでいたらどうだい? もうお前は十分休んでいい年まわりなんだよ。それに、ぼくひとりでだって荷車を引くことができるんだから」
ネロはよく、パトラッシュにそう言って休むようすすめました。
パトラッシュには、ネロが何を言っているのかよく分かっていましたが、進軍ラッパが鳴り響いても決してしりごみをしない歴戦の兵士のように、けっして家でじっとしていようなんて思わませんでした。
そして毎朝、目を覚ますと自分のほうから進んでかじ棒に体を入れ、長い長い年月のあいだに四本の足で無数の足あとを刻んできた雪の積もった平原を、とぼとぼと歩いていくのでした。
「死ぬまで休んじゃいけない」
パトラッシュはそう心に決めていました。
けれども時々、もう休む時がそう遠くないように思われることもあったのです。
目は昔ほどよく見えなくなっていました。
それに、教会の鐘が朝の五時を告げて、夜明けの労働がはじまることを知らせたとき、かつてのパトラッシュならわらの寝床からぱっと飛び起きていたものですが、今では夜に眠ったあと、起き上がることがだんだんつらくなってきていました。
「パトラッシュや、かわいそうになあ。わしたちは二人とも、もうすぐ静かに休むことになるじゃろうよ」
年老いたジェハンじいさんはそう言って、しわだらけの手でパトラッシュの頭をなでてやりました。
その手は、いつも自分の一切れの粗末なパンをパトラッシュと分け合ってきた手でした。
そして、老人と老犬は、同じ思いに胸を痛めていました。
自分たちが去ったあと、いったい誰が愛しいネロの面倒を見てくれるのだろうかと。
それは、雪の中をアントワープからの帰り道でのことでした。
雪は、フランダース地方の平野を、まるで大理石のように固く、なめらかに覆っていました。
そのとき、二人はタンバリン奏者の格好をした小さな人形を拾いました。
赤色と金色の服を着ていて、高さは十五センチほどでした。
高い地位にある人がふとした不運から転落したときとは違って、この人形は落ちてもまったく汚れておらず、傷ひとつついていませんでした。
それは本当にかわいらしいおもちゃでした。
ネロは持ち主を探そうとあたりを見回しましたが、どうしても見つかりませんでした。
それなら、アロアにあげて喜ばせてあげよう、とネロは思いました。
ネロが粉屋の前を通り過ぎたときは、もう夜の遅い時間でした。
ネロは、アロアの部屋の小さな窓をよく知っていました。
持ち主の分からない小さな人形をアロアにあげることは、何も悪いことではないとネロは思いました。
なにしろアロアとは、ずっと長いあいだ一緒に遊んできた仲だったのですから。
アロアの部屋の窓の下には、傾いた屋根の小さな小屋がありました。
ネロはそこによじ登り、窓格子をそっとたたきました。
部屋の中には小さな灯りがともっていました。
アロアは窓を開け、半分おびえながら外を見ました。
ネロは、タンバリン奏者の人形を彼女の手へと差し出しました。
「アロア、この人形、雪の中で見つけたんだ。アロアにあげるよ。アロアに神様のお恵みがありますように!」
ネロはそうささやきました。
アロアがお礼を言う間もなく、ネロはすばやく屋根から飛び降り、暗闇の中を走り去っていきました。
その晩、粉屋で火事がありました。
外にあった建物と、たくさんのとうもろこしが焼けました。
けれども、風車小屋と母屋は無傷で済みました。
村中の人たちがみな家の外へ飛び出し、突然の火事にびっくりしてしまいました。
そして、消防車が雪をかき分けながらアントワープから駆けつけました。
粉屋は火災保険に入っていたので、経済的な損害はありませんでした。
けれども、粉屋はものすごく怒り狂い、この火事は偶然の事故ではなく、誰かの悪意による放火にちがいないと大声で決めつけたのです。
ネロは眠りから覚め、他の村人たちと一緒に消火の手伝いに駆けつけました。コゼツのだんなは、怒って彼を押しました。
「おまえは日が暮れてからこのへんをうろついていたな。おまえは、他の誰よりも今度の火事のことを知っているはずだ」
コゼツのだんなは、荒々しく言いました。
ネロはぼう然として、返事もできませんでした。
そんなこと、冗談でなければ言えるはずがない。
けれど、こんな時に、どうして冗談が言えるのだろう、と思って、訳が分からなかったのです。
それにもかかわらず、粉屋は次の日以降も、おおっぴらに村人たちにひどいことを言いました。
少年に対して正式な告訴がされた訳ではありませんでしたが、ネロが暗くなってから何かよからぬ意図をもって粉屋の家の近くをうろついていたとか、アロアと付き合うのを禁じられて、コゼツのだんなに恨みをもっていた、といった類のうわさ話が広まりました。
村人たちは、村一番の金持ちの地主の言うことでしたので、ただ盲目的に従いました。
それに、どの家もみんな、自分の息子がアロアの財産をわがものにしてくれるのを願っていたのでした。
それで、ジェハンじいさんの孫に無愛想な顔を見せ、冷たい言葉しかかけないようになりました。
誰もネロに対して面と向かっては何も言いません。
しかし、村中のみんなが、粉屋の偏見に調子を合わせました。
そして、ネロとパトラッシュがアントワープにミルクを運ぶためにミルクを集荷している農家の家々では、これまではにこにこ笑って明るく挨拶してくれていたのに、今ではろくに顔も上げず、ぶっきらぼうな言葉しかかけませんでした。
初級翻訳・フランダースの犬 第10話
フランダースの犬
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