この間中ずっと、小さい松の板の絵は、カッコウ時計と蝋でできたキリストの像と一緒に、粉屋の家の暖炉棚の上に飾ってありました。
ネロは、自分の贈り物は受け入れられたのに、自分自身は拒絶されなければならないというのは、少し厳しいことだ、と時々思うのでした。
けれども、ネロは不満を言いませんでした。
おとなしくしているのがネロの習慣でした。
年取ったジェハン・ダースは、これまでもネロにこう言ってきました。
「わしたちは、貧しいのじゃ。
神様がくださるものを、よいものでも悪いものでも、受け取らなければならないよ。
貧しい者は、選択をすることができないのじゃよ」
少年は、年とったおじいさんを尊敬していましたので、いつも黙って聞いていました。
それにもかかわらず、よく天才少年の心がとらえられる、ある漠然とした、甘い希望がネロの心の中に生まれるのでした。
「貧乏人だって、時には選ぶことができるんだ。
誰からも『だめだ』なんて言われないように、偉くなることを選ぶことだってできるはずだ」
ネロは今でも無邪気にそう思っていました。
ある日、アロアは運河のそばのトウモロコシ畑でネロが一人でいるところをたまたま見つけると、ネロに駆け寄ってきました。
そして、ネロをかたく抱きしめ、はげしく泣きました。
というのは、明日はアロアの名前にゆかりのある聖徒祭の日でしたが、アロアの両親は今回はじめてネロを招待しないことにしたのです。
この日は皆に夕食が振る舞われ、粉屋の納屋で子どもたちがはしゃぎまわってアロアの聖徒祭を祝うのでした。
ネロは、アロアにキスし、心から固く信じた様子でアロアにこう言いました。
「いつか、将来、きっと状況は変わるよ。
いつか、アロアのお父さんが持っている小さな松の板の絵が、同じ重さの銀と同じ価値があるようになる日が来るよ。
そうなれば、お父さんもぼくに対して扉を閉ざしたりすることはないだろう。
ただ、いつもぼくを好きでいて、アロア。
ただ、いつもぼくを好きでいて。
そうすれば、ぼくは偉くなってみせる」
「じゃあ、もしも、わたしがあなたのこと、好きじゃなかったら?」
かわいらしいアロアは、女の子によくありがちなことでしたが、目に涙を浮かべて、ネロの気をひくように、ちょっとすねたように尋ねました。
ネロの目はアロアの顔からそれ、遠くをさまよいました。
そこには、真っ赤と金色に染まるフランダース地方の夕焼けの中にそびえる、大聖堂の尖塔がありました。
微かな笑みがネロの顔に浮かびました。
とてもやさしそうでいて、とても悲しそうな笑顔でしたので、アロアは、はっとしました。
「ぼくはそれでも偉くなるよ」
ネロはそっと小さな声で言いました。
「それでも偉くなるか、死ぬかだ。
アロア」
「あなたは私のこと、好きじゃないのね」
ネロを押しのけて、小さい駄駄っ子は言いました。
けれども、ネロは首を振って、微笑みながら高い黄色く色づいたトウモロコシ畑を歩いて行きました。
ネロは、こんな空想をしながら歩いていたのです。
いつか遠い将来、故郷に戻ってきて、アロアの両親にアロアをお嫁さんにもらいたいと申し込むんだ。
すると、断られたりせずに、喜んで受け入れてもらえる。
一方、村の人は、みんなぼくを見ようとして群がってきて、互いにこう話している。
「あの男を見たかい? あの男は、まるで王様のようなものだよ。
何と言ったって彼は偉大な芸術家で、世界中に名前が響きわたっているのだから。
けれどもあの男は、昔は貧しい、あのネロ少年だったんだよ。
乞食同然で、飼い犬に助けられてやっと食べていけた、あの子なんだよ」
そして、おじいさんには毛皮のついた、紫色の服を着せてあげて、聖ヤコブ教会の礼拝堂にある、「聖家族」の肖像画みたいな絵を描こう。
それから、パトラッシュには、金の首輪をかけてやって、右側に座らせるんだ。
そして、みんなにこう言うんだ。
「かつては、この犬がわたしのただ一人の友だちでした」と。
それから、大聖堂の尖塔がそびえて見えるあの丘の斜面の上に、大きい白い大理石の宮殿を建てて、すばらしく華やかな庭園を造ろう。
でも、自分で住むんじゃなくて、何か立派なことをしたいと思っている、貧しくて友だちのいない若者たちを呼び寄せて住まわせてあげるんだ。
そして、若者たちがぼくを賛美しようとしたら、いつもこう言うんだ。「いや、感謝するならぼくにではなく、ルーベンスに感謝してください。ルーベンスがいなかったら、ぼくはどうなっていたか、分からないんだから」
こうした美しい、とても実現できそうもない、けれども無邪気で自分の欲を離れた、ただただルーベンスへの英雄的なあこがれに満ちた夢は、歩いているとき、ネロはとても身近に感じていました。
悲しいアロアの聖徒祭の日でさえ、ネロは幸せでいられました。
その日、ネロとパトラッシュは二人きりで小さい、暗い小屋に帰り、黒パンの夕飯をとりました。
一方、粉屋には、村中の子どもたちが歌ったり笑ったり、ディジョンの丸い大きなお菓子や、ブラバントのアーモンド入りのしょうがパンを食べたりしました。
そして、大きな納屋の中で星の光に照らされて、フルートやバイオリンの音楽と一緒に踊ったりしていました。
「気にすることはないよ、パトラッシュ」
ネロはパトラッシュと二人で小屋の戸口に座って、犬の首を抱きしめてそう言いました。
粉屋の家のにぎやかなお祝いの音が、夜風に乗って小屋まで聞こえてきました。
「気にすることはないんだ。未来は変わるんだから」
ネロは、未来を深く信じきっていました。
ネロよりもっと人生経験を積んできて、世の中というものをもっと達観して見ていたパトラッシュは、今日招かれなかった粉屋のごちそうは、将来実現するかどうか分からないミルクやはち蜜の夢で埋め合わせできるものではない、と思いました。
だからパトラッシュは、コゼツのだんなの家のそばを通り過ぎるときは、いつも吠えるのでした。
「今日はアロアにゆかりの深い聖徒祭じゃないか」
その晩、小屋の隅っこのベッドに横たわっていたジェハンじいさんは言いました。
少年は、そうだという身振りをしました。
ネロは、おじいさんがそんなにちゃんと憶えてなくて、記憶がもっとあやふやだったらいいのに、と思いました。
「じゃあ、なぜ行かないのかね? 今まで一度だって呼ばれなかったことはなかっただろう、ネロや」
おじいさんは、追求しました。
「おじいさんがこんなのに、行けないよ」
ネロはベッドの上で格好のいい頭を傾けてつぶやきました。
「いや、いや! ヌレットのおばさんが来て、一緒にいてくれるよ。今までだって何度もそうしてくれたんじゃから。一体何があったんだね、ネロや? まさか、けんかでもしたんじゃあるまいな?」
老人はしつこく尋ねました。
「いや、そんなことは絶対にないよ」
少年はうつむいた顔を真っ赤にしながら答えました。
「本当のこと言うと、コゼツのだんなが今年は呼んでくれなかったんだ。コゼツのだんなは、ぼくに対して何か怒っているみたいなんだ」
「でも、何にも悪いことはしとらんのじゃろう?」
「うん、何もしてないよ。ただ、松の板にアロアの肖像を描いてただけなんだ。
初級翻訳・フランダースの犬 第8話
フランダースの犬
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