じっと動かずに、しずかに昔のことを振り返ってみると、あれもこれもと、さまざまな過去の出来事が次から次へと思い出されてきます。なんと言っても九十年あまりという長い歳月のことですから、そうあって当然のことなのです。
しかし、ふつうのありふれた出来事は、たとえそれを体験した本人にとっては少しばかり思い出深いものであったとしても、他の人にとってはそれほどおもしろいものではないでしょう。だからこそ私は、思い出すもののなかでも、広く国内外の学界にちょっとした反響を巻き起こした出来事について振り返り、その思い出を少し書いてみようと思います。
それは、時々思い出しては決して忘れることのできない、世界でもめずらしい「ムジナモ」という水草を、この日本で私が一番最初に見つけたときのお話です。
今からおよそ六十年ほど前、明治二十三年(1890年)のことでした。ハルセミの鳴き声もほとんど聞こえなくなり、どこを見ても青葉や若葉のまぶしい五月十一日、私はヤナギの木の果実の標本を集めるために、ひとりで東京から東へ三里ほど離れた、昔の南葛飾郡にある小岩村の伊予田(いよだ)という場所へ出かけました。
江戸川の土手の下にある田んぼのなかに、小さな用水池がひとつありました。
この用水池は、今ではもうその跡形もなくなっています。
この用水池のまわりにはヤナギの木がたくさん生い茂っていて、その小さな池をすっぽりと隠すように覆っていました。
私はそこにあったヤナギの木に寄りかかり、その枝を手で折りながら、ふと下の水面に目を向けたその瞬間、見たこともない奇妙な形をしたものが水の中にプカプカと浮いているではありませんか。
「おや、いったいこれは何だろう?」
そう思って、さっそくその場で水をすくって引き上げてみたところ、今まで一度も見たことがない不思議な水草でした。私は大急ぎで東京へとって返し、すぐさま大学の植物学教室(当時「青長屋」と呼ばれていた建物です)へと持ち込みました。そこにいた人たちにこのめずらしいものを見せたところ、みんな「これは一体なんだ!?」とびっくり仰天してしまったのです。
当時の教授であった矢田部良吉(やたべりょうきち)博士が、この植物について何か心当たりがあると言って、ある本(おそらくダーウィンの書いた『インセクチヴホラス・プランツ(食虫植物)』だったのでしょう)の中から調べたところ、その学名がわかりました。そして、それが世界的に有名な「アルドロヴァンダ・ベンクローサ」という植物であることが判明したのです。
この植物は、植物学の世界ではイシモチソウ科というグループに入る、とても有名な食虫植物です。カスパリーやダーウィンといった偉い学者たちによって、くわしく研究されていたものでした。
しかし、この植物は世界中にそんなにたくさんあるわけではなく、ほんの少しだけヨーロッパの一部、インドの一部、オーストラリアの一部にだけ見つかっているものでした。それが今回、思いがけないことに、ここ日本で発見されたというわけです。これで、この植物が生えている場所が新しくひとつ増えたことになります。
その後、さらにシベリア東部の黒竜江(こくりゅうこう)の一部でも見つかることがわかり、ついに世界で見つかる場所は全部で五つの飛び地のようになりました。
日本国内では、先ほどお話しした小岩村での発見のあと、利根川のまわりの地域でも育っていることが明らかになりました。さらに、大正十四年(1925年)一月二十日には、山城(やましろ)の巨椋池(おくらいけ)でも見つかりました。この発見者は、当時京都大学の学生だった三木茂(みきしげる)博士でした。
しかし、この池のムジナモは、池を田んぼや畑に変える工事(干拓)のせいで悪い影響を受けてしまい、とても残念なことに、ついに絶滅してしまいました。
「ムジナモ」という名前は、「貉(むじな=タヌキやアナグマの仲間)」の藻(も)という意味で、発見されてすぐのときに私が新しくつけた和風の名前でした。
なぜなら、その水草がタヌキのしっぽのような姿をして水面に浮いていることと、これが虫を食べる植物であることの両方の理由から、このような名前をつけたのです。
このムジナモはきれいな緑色をしていて、根っこがまったくありません。何日ものあいだ水面近くにプカプカと横たわっている、本当に変わった姿をした水草です。
真ん中に一本の茎があって、そのまわりに車輪のスポークのようにたくさんの葉が何重にもついています。その葉の先端には二枚貝の形をした小さな袋がついていて、水の中にいる小さな虫をパチンと捕まえ、それをとかして自分の栄養にしているのです。
ですから、根っこはまったく必要ないので、最初から持っていないのです。
また、葉の先には四、五本の細い毛(鬚)が生えています。
前にも書いたように、明治二十三年五月十一日にこのムジナモを発見したすぐあと、私はこの植物のいちばんくわしい絵を描こうと計画しました。しかしそのとき、私にとって本当に悲しい出来事が、私と矢田部教授との間に起きてしまったのです。
その頃、私は『日本植物志図篇(にほんしょくぶつしずへん)』という本を続けて出版していました。ところが突然、矢田部氏が私とほとんど同じような本を自分でも出す計画を立てたのです。その結果、私は大学の植物学教室へ出入りすることを完全に禁止されてしまいました。
当時はまだ私は大学の職員になる前だったのですが、どうすることもできなくて、やむを得ず農科大学の植物学教室に行き、そこでこのムジナモのスケッチをようやく完成させました。
のちに、それを『植物学雑誌』という雑誌を通じて、世界に向けて発表したのです。
そして、このムジナモは日本の植物界でもものすごく珍しい食虫植物として、いろいろな本に紹介され、日本中によく知られる有名な植物のひとつとなりました。
ここで、このムジナモに関して、どうしても特別に書いておかなければならない大切な事実がひとつあります。
それは、私たちが世界に向けて思いっきり自慢してもよいことなのです。
それは何かというと、この植物が、なんと日本において特別に立派な「花を咲かせる」ということです。
私はそのことを、はっきりと、そしてくわしく私のスケッチの図の中に描き込んでおきました。
どういうわけなのか、ヨーロッパやインド、オーストラリアなどで育つこのムジナモには、たしかに花の芽のようなものは出てくるのですが、どういうわけかそれがきれいに開かないのです。まるで帽子をかぶったような姿のままで、閉じたままで終わってしまうのでした。ところが、日本のものは、立派に花を開く。
そこで、私の写生した図の中の花が、ヨーロッパの学者たちにとってはものすごく珍しく感じられたのでしょう。のちにドイツで出版された、世界的に有名な植物分類の本で、エングラーという人が監修したあの『ダス・プランツェンライヒ(植物界)』という大著には、その開いた花のイラストが、私が描いたスケッチからそのまま載せられ、私の名前とともに世界の表舞台へ登場させられていたのです。
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