お前も、もうすぐ一人前の『ヒト』になってしまうからな」
「その、『他の動物たちと一緒に走ることができないヒト』っていったい何なんだよ?」モウグリは不思議そうに言った。
「おれはこのジャングルで生まれたんだ。
ジャングルの掟に従って生きているし、おれが足の裏からとげを抜いてやらなかった狼なんて一頭だだいない。
もちろん、狼たちはみんなおれの兄弟さ!」
バギーラは体をびーんと伸ばし、目を半分だけ閉じて言った。
「弟よ、おれのアドバイスの下あたりを触ってみな」
モウグリは力強い褐色の手をグッと伸ばし、バギーラのツヤツヤした毛の下で波打つ巨大な筋肉を隠している、絹のように滑らかなあごのすぐ下のあたりで、ぽっかりと毛が生えていない小さな場所を探り当てた。
「このバギーラがこの古い傷跡を持っていることを、ジャングルの誰も知らない――そうさ、首輪の跡だよ、小さな兄弟。
おれは人間の世界で生まれ、おれの母親は人間の世界で死んだ――ウダイプルの王宮の鉄格子の檻の中でな。
お前がまだ小さな裸の赤ん坊だったとき、議会で雄牛を払って買い取ってやったのは、おれ自身もそういう過去を持っていたからなのさ。
そう、おれもまた人間の間で生まれたんだ。
それまでジャングルなんて一度も見たことがなかった。
人間たちは、檻の隙間から鉄の皿に載せたエサを差し入れてくれた。
そしてある晩、おれはふと気づいたんだ。
おれは気高い豹のバギーラであって、人間どものおもちゃなんかじゃない、ってな。
だから前足の一撃でくだらない錠前をぶち壊して、そこから抜け出したのさ。
人間たちのやり口をよく知っていたからこそ、おれはジャングルの中でシーラ・カーンよりも恐れられる存在になった。
そうだろ?」
「ああ、その通りさ。
ジャングルのすべてがバギーラを恐れている――モウグリ以外はね」とモウグリは笑って答えた。
「ああ……お前はやっぱり、まぎれもないヒトの仔なんだよ」と、黒豹はとても優しくそう言った。「おれがジャングルに戻ったように、お前はいずれはヒトのもとに戻らなくてはならない――兄弟であるヒトのもとに――議会で殺されずにいればな」
「けど、なぜ――いったいなぜ、だれかがおれを殺そうとするんだ?」
「おれの目を見ろ」バギーラが言った。
モウグリはバギーラの目をじっと見つめた。
大きな豹は、三十秒ほどで目をそらした。
「そういうわけだ」バギーラは、葉の上で足の位置を変えながら言った。
「おれでさえ、お前を見つめ返すことができない。
ヒトの間で生まれたおれは、小さな兄弟、お前が好きなんだ。
他の連中がお前を嫌うのも、見つめ返すことができないからだ。
分別があって、あいつらのとげを抜いてくれるからだ――お前が、ヒトだからなんだよ」
「そんなこと、知らなかった」モウグリは不機嫌に言って、黒く濃い眉をひそめた。
「ジャングルの掟は何と言っている? 最初に攻撃して、次に声をかけろ、だ。
お前自身の不注意が、お前がヒトだということを連中に知らせたのだ。
だが、分別を忘れるな。
アケーラは、狩りをして雄鹿を倒すごとに力をすり減らしている。
アケーラが次の獲物を狩りそこねるとき、アケーラとお前は、群れと対決することになると、おれの心にささやくものがある。
群れは、議会岩でジャングル議会を開くだろう、それから――それから――そうだ!」バギーラが、跳び上がった。
「谷のヒトたちの小屋までひとっ走り行って、そこで育つ”赤い華”を持ってくるんだ。
時が来れば、おれやバルーやお前を愛する群れのものたちより、強い友を得るだろう。
赤い華を手に入れろ」
バギーラが、”赤い華”と呼んだのは火である。
ジャングルの獣は、火を本来の名前で呼ばない。
火は、すべての獣から死ぬほど恐れられており、獣は百もの名前でそれを呼ぶ。
「赤い華だって? 夕暮れ時に小屋の外で育つやつだな。
すこし手に入れてこよう」
「それでこそ、ヒトの仔だ」バギーラは誇らしげに言った。
「小さい壷の中で育てることを忘れるな。
手早く持ってきて、必要になるまでとっておけ」
「よし! おれは行く。
けど、確かなのか、おれのバギーラ」モウグリは素晴らしい首の周りに腕を滑らせて、その大きな目を覗きこんだ。
「この企みがシーラ・カーンの仕業だというのは?」
「小さな兄弟、おれを自由の身にした、壊れた錠にかけて、確かだ」
「なら、おれを買った雄牛にかけて、シーラ・カーンに思い知らせてやるまでだ、もうじきにね」モウグリは言って、弾むように駆け去った。
「それでこそヒトだ。
まさに、ヒトというものだ」バギーラはまた横たわり、独り言を言った。
「おお、シーラ・カーン、貴様の十年前の蛙狩りより忌まわしい狩りはなかったのだ!」
モウグリは、森を抜けて遠く、遠くへと激しく駆けていって、心臓が焼けつくようだった。
夕霧が立ちこめるころ、洞穴に帰りついた。
息を吸いこんで、谷を見下ろした。
仔狼たちは外出していたが、母狼は洞穴の奥で、モウグリの息づかいから、何かが蛙っ仔をわずらわせていることを知った。
「どうしたの? 坊や」母狼が言った。
「コウモリがシーラ・カーンのことを話してたのさ」モウグリは叫び返した。
「今夜は耕地で狩るよ」そして低木を抜けて、谷底の流れに向けて駆け下りていった。
そこでモウグリは立ち止まった。
狼群の狩りの叫び、追われる水鹿(サンバー)の唸り声、追いつめられた雄鹿が向き直って鼻を鳴らす音が聞こえた。
その時、若い狼たちの悪意に満ちた、嘲笑の叫びが上がった。
「アケーラ! アケーラ! ”独り狼”の力を見せてもらおう。
かしらに道をあけろ! アケーラ、飛びかかれ!」
”独り狼”は飛びかかり、仕留め損なったようだった。
モウグリにはアケーラの牙が宙を噛んだ音と、大鹿が前足で打ちかかり、アケーラの苦痛に満ちた叫びを聞いた。
モウグリはそれ以上待たずに、走り出した。
村人が住む農地にたどり着いたころ、叫び声はかなたに消えていった。
「バギーラの言ったことは本当だ」小屋の窓のそばの、牛の飼い葉に座りこんであえいだ。
「明日はアケーラにとっても、おれにとっても大変な日になるな」
モウグリは窓に近い顔を押しつけて、炉床の火を見つめつづけた。
夜になると農夫の妻が立ち上がって、黒いかたまりを入れるのが見えた。
朝が来て、冷たい霧で辺りが真っ白になるころ、ヒトの子供が、牛舎で雌牛の世話をするために外に出てきた。
内側に土を塗った枝編み細工の壷を拾い上げて、真っ赤に焼けた木炭のかたまりで満たし、自分の毛布の下に抱えた。「あれだけのことか? 仔ができることなら、恐れることもないさ」モウグリは角を大またに回って、少年に出会い頭、手から壷を取り上げ、少年が恐怖でわめいている間に、もやの中に姿を消した。
「おれとほんとうによく似ている」モウグリは言って、女がしたように、壷の中へ息を吹き込んだ。
「こいつには食べものをやらないと、死んでしまうだろう」モウグリは、その赤いものの上に小枝と乾いた樹皮を落とした。
丘を上る途中で、モウグリは朝露で毛皮を月長石(ムーンストーン)のように煌かせたバギーラに会った。
初級翻訳・モウグリの兄弟たち 第5話
キプリング ラデャード
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