そこにちゃんといるじゃないか」
指さされたほうを振り返ってみると、書棚の隅にある一つの石膏像の足もとに、きたならしい洋服が脱ぎ捨ててあるのが目に入りました。
洋服だけではありません。一足のボロボロの破れ靴に、白髪のかつらのようもの、そしてつけひげのようなものまでが、そこに無造作に投げ捨てられているのです。
泰二君はそれらの品々をじっと眺めているうちに、それがさっきの怪老人が着ていた洋服、履いていた靴、そしてあの白髪頭や白いひげとそっくりであることに気づき、あまりのことにあっけにとられてしまいました。
いったいこれはどういうことなのでしょう。
「ハハハ……、わかったかね。あの乞食じじいは、このわしだったのさ。たった今、その変装を脱いで、もとのわしに戻ったばかりじゃよ」
泰二君はギョッとして、思わずうしろへ二、三歩あとずさりをしました。
「ハハハ……、びっくりしているね。どうじゃ、わしの変装はなかなかのものだろう」
「おじさん、あなたはいいったい、何者なんですッ!」
泰二君は、いざとなったらすぐに逃げ出せるように身構えながら、鋭く問い詰めました。
「ハハハ……、わしの名が知りたいのか。わしは蛭田(ひるた)博士、医学博士じゃ。さっきも言ったとおり、この家の主人じゃよ」
「では、どうしてあんなおじいさんなんかに変装して、窓から忍び込んだりなんかしたんですか? 家の主人が自分の家に窓から入るなんて、変じゃありませんか!」
「変かもしれないがね、それにはちゃとしたわけがあるのだよ。実を言うと、誰にも知られないように、きみをここまで呼び寄せたかったのさ。わかったかね」
「ぼくを呼び寄せるんですって? それなら、あんなまねをしなくても、ぼくの家へそう言ってくださればよかったじゃありませんか!」
「それが、そうはいかないわけがあるのじゃ。今にわかる、今にわかる。ハハハ……、きみはなかなか用心深い、かしこい子どもじゃからね。うかつに声をかけても警戒されて危ないからさ。こうして計略でおびきよせなければね」
「じゃあ、あのじいさんが地面に書いたしるし(※訳注:前回の探索における暗号など)も、ぼくをここへ来させるためだったんですか?」
「そうとも、そうとも! きみは少年探偵じゃからね。ああすれば、誰にも言わないで、こっそり後をついてくるにちがいないと思ったのさ」うかつなことをされて、泣いたりわめいたりされるよりは、少し手数がかかっても、ああいう方法をとったほうが、てっとり早くて、安全だからね。
」
聞いているうちに、蛭田博士とやらいう人物のおそろしいたくらみが、だんだん、はっきりしてきました。
博士は、もっとも安全な方法によって、少しの抵抗もうけず、まんまと泰二少年を誘かいしたのです。
「じゃあ、あの人形も……。
」
「そうじゃ。
やっとわかってきたようじゃね。
むろんあれも、きみを部屋の中へおびきよせるための奇抜な手だてだったのさ。
きみは正義感が強い子どもじゃからね。
まさかあれを見すてて、立ちさってしまうようなことはあるまいと思ったが、案のじょう、あの娘を助けようとして、勇気を出してとびこんできた。
感心な少年じゃよ、きみは。
」蛭田博士は、さも得意げに、舌なめずりをして説明するのでした。
「すると、きみの知らぬまに、窓のよろい戸がしまってしまった。
むろん、わしがしめたのじゃ。
この家にはいろいろな機械じかけがあってね。
ボタンをひとつおせば、どんなことでもできるのじゃよ。
そこで、きみはまんまと、わしのとりこになったというわけさ。
もう、泣こうがわめこうが、世間に気づかれる心配はない。
さて、窓がしまったとなると、きみは、こちらへやってくるほかに道はないのじゃ。
わしはここで、じっと、それを待っていさえすればよかったのさ。
わしは、ごく自然に、きみがここへはいってくるように仕向けたばかりで、きみをさらったわけでもなければ、手紙や電話でおびきよせたわけでもない。
また、きみ自身さえ、わしが何者か知らぬくらいじゃから、きみのおとうさんやおかあさんが、わしというものを知っているはずはない。
つまり、きみがこの家へ来たということは、あの老人とわしのほかには、だれも知らぬのじゃ。
ところがあの老人は、すなわちこのわしじゃから、広い世界に、きみがここへ来たことを知っているのは、わしのほかにはひとりもないのじゃ。
わかったかね。
だから、もしきみのおとうさんが、警察にたのんで、きみのゆくえを捜索したところで、けっしてわかるはずはない。
わしのほうで少しもむりをしていないのじゃから、手がかりというものが、これから先もないからじゃ。
つまり、きみは完全に、永久に、わしのとりことなったわけじゃ。
ハハハ……。
」蛭田博士は、さもゆかいでたまらないというように、にくにくしく笑うのでした。
泰二君は、あまりのおそろしさに、口もきけないほどでしたが、もういよいよのがれる道がないときまると、子どもながら、かえって、度胸がすわってきました。
そして、この魔法使いみたいな顔をした博士が、むしょうににくらしくなってきたのです。
「き、きみは、ぼくになんのうらみがあるんです。
そして、ぼくをこれからどうしようっていうんです。
」
泰二君は腹だたしさに、かわいいほおをまっかにそめて、怪博士につめよりました。
「ハハハ……、なあに心配しないでもいいよ。
きみをとって食おうというのではない。
ただな、きみにちょっとおもしろいものを見せてあげようと思うのさ。
」博士は、大きなロイドめがねの中から、泰二君の上気した顔を、じっと見つめながら、みょうなことを言いました。
「おもしろいものですって?」
「ウン、そうだよ。
」
「そんなもの見たくありません、ぼく、帰ります。
」
「ハハハ……、帰るといっても、わしがゆるさんよ。
」
「でも、帰るんです。
」泰二君は、決心の色をうかべて、強く言い放ちました。
「ハハハ……、帰れるものなら帰ってごらん。
そら、これでもきみは帰るというのかね。
」博士は言いながら、ソッと机の下がわにしかけてあるボタンをおしました。
すると、どうでしょう。
泰二君の立っていた床板が、とつぜん、ガタンと落ちこんで、まっくらな四角な穴があき、アッと思うまに、泰二君のからだは吸いこまれるように、その中へ消えうせてしまったのです。
おとし穴です。
博士はさいぜんから、泰二君が、そのおとし穴の上に立つのを、待ちかまえていたのでした。
泰二君のさけび声が、ひじょうな早さで、地の底に消えていきますと、落ちこんでいた床板が、ギーと、もとにもどって、部屋の中はなにごともなかったかのように静まりかえってしまいました。
「ウフフフ……、これでよしと。
」博士はさも満足そうに、そんなひとりごとを言って、ゆっくりイスから立ちあがりました。
そして、うしろの高い書だなに近づいて、大きな洋書を二冊ぬきだし、そのあとの穴へ手を入れて、何かゴトゴトやっていましたが、すると、書だなの一部分が、まるでとびらででもあるように、グーッと奥のほうへひらきはじめたではありませんか。
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