初級翻訳・山彦乙女 第3話

山彦乙女

 昔はここで金属を溶かして何かを作っていたらしく、「いもじ」という地名は「鋳物師(いもじ)」と書くらしい、ということなどである。
 「かんば沢へも、今年の冬には入ってみようと思っているんだ。遠くから見たところでは、木や草が茂りすぎていてとても近づけそうにないからね。冬の時期でなければ無理なようなんだよ」
 叔父はそんなことも言っていた。
 ほかにもいろんな話があったけれど、半之助の頭には、「狸の談合場」と「白い亡霊の行列」のことが一番強く残り続けたのである。
 こうして次の日の朝、叔父は甲府の職場へと帰っていった。そしてそれから約一年半が過ぎたころ、ついに叔父は行方知れずになってしまったのだ。
 もちろん、江戸にいた半之助たちはそんなこととは露知らず、あんな異常な出来事が実際に起こっていようとは、想像もしていなかった。しかし、それから一年ほど間を挟んだ元禄九年(げんろくくねん)の三月になって、甲府からお屋敷の下僕である孫七(そんしち)がやって来て、初めて思いがけない事実を聞かされたのである。
 大まかな話の内容はこうだった。
 江戸から帰った年の冬、叔父はひとりで甘利郷へ出かけていった。
 前にもたびたび出かけていたし、そのときも気軽な気持ちで出かけたのだが、そのまま三十日ほど経っても戻ってこなかった。
 下僕の孫七は心配で気が気ではなかった。
 役所の方でもそのまま放っておけなくなり、同僚の人たちが小者(おとも)を二十人ほど連れて、周辺を捜しに出かけた。
 五、六日もかかってその辺りをくまなく捜したところ、どうやらあの「かんば沢」に入ったらしい、ということが分かったのだ……。以前に叔父が自分で語っていたように、そこでは過去に二人が行方不明になり、かろうじて助かった一人は発狂して亡くなっている。
 また、それ以前にも同じような例があったということで、
「――かんば沢に入ってしまったのなら、もうどうしようもない」
 そう判断して、捜索隊の人たちは諦めて引き上げてきたのだった。
 ところが、それからさらに十五、六日ほど経ったある日、ふいと兵庫が戻ってきたのだ。
 少し痩せていて顔色が悪いのを除けば、それほど変わった様子はなかった。
 ただ、頭がぼんやりとしているようで、いなくなっていた期間のことは何も記憶しておらず、役所から事情を尋ねられてもうまく答えることができなかった。
 「しばらくゆっくり静養するように」
 そう言われて休暇をもらったものの、それからずっと部屋にひきこもり、一日中なにかをぶつぶつと独り言を呟いたり、夜中に突然ガバッと起き出したりして、見ている方がハラハラしてしまうほど落ち着かなかった。
 そうこうしているうちに年は暮れた。
 だが、その翌年の二月、今度はまったく誰にも言わずに、ふいとどこかへ姿を消してしまったのだ。
 この二回目の失踪は百二十〜三十日ほども続き、七月中旬のある雨が降る早朝のこと、自宅の表に、頭からすっかり雨に濡れてボーッと突っ立っているところを、隣家の下僕に発見されたのだった。
 戻ってきた兵庫の姿は、見る影もないほどひどいものだった。
 青黒くむくんで、まるで溺れて亡くなった人のような顔つきになり、手足は折れそうなほど極端に痩せ細り、まぶたや指先は絶えずブルブルと震え、唇からはヨダレが垂れていた。
 最初の十日ほどは死んだように眠りこけていたが、やがて目を覚ますと、孫七に向かってこう繰り返した。
 ――今後、絶対におれを外へ出さないように、厳重に見張っていてくれ。おれが何と言おうとも、絶対に外へ出してはならない。必要なら縛り付けておいてもいいから。
 孫七は当時四十五、六歳で、力も強く、明るくて、肝の据わった男だった。
 しかし、どこか人間離れした、正体の知れない主人の様子に、さすがの彼もすっかり怯えてしまい、安心して眠ることもできなくなってしまったそうである。……自分で言っていたとおり、兵庫は何度も何度も家を抜け出そうとしました。
そのときの様子は、まるでひどい病気の発作が起きたかのようでした。全身をブルブルとふるわせ、焦点の合っていない目で宙をにらみつけながら、止めようとする孫七にむかって、おそるような怪力で暴れ回るのです。
――あの約束はただの冗談だ、おまえをからかっただけだ、おれは仕事(役所)に行かなくちゃならないんだから放してくれ!
そんなふうに叫んだり、悪態をついたり、孫七の腕にかみついたりすることもありました。
またあるときは、突然、野生の動物のようにうめき声をあげて、
――早く止めてくれ! おれを押さえつけてくれ!
と、悲鳴をあげることもあったのです。
まるで、目に見えない恐ろしい魔物がいて、妖しい力で彼を呼び寄せようとしているかのような、なんとも気味の悪い様子でした。本当に手足を縄で縛らなければならないようなことが、二度や三度ではありませんでした。
この二度目の失踪のときも、いなくなっていた間にどこで何があったのかについては、彼は一切語りませんでした。
記憶があるのかないのか、役所から何度も人がやって来ましたが、そのことになると、彼はかたくなに口を閉ざしたままだったのです。
職場の同僚たちも、交替でお見舞いにやって来ました。
もちろんお医者さまにも診てもらいましたし、神様や仏様にお祈りをする祈祷師(きとうし)や修験者(しゅげんしゃ)を呼んだりもしました。
およそ四十日ほど、そんな状態が続いたあと、体調が少しずつ良くなり、発作が起きる回数も減ってくると、彼は熱心に何かを書き物をするようになりました。
……これなら、もしかしたら元の健康な体に戻るかもしれない。
周りの人たちはそう期待したのです。
しかし、九月の終わり頃のある日、孫七がちょっと用事で家をあけたすきに、兵庫はまたしても突然姿を消してしまいました。
庭の飛び石(沓脱ぎ石)の上には、木犀(もくせい)の枝が切り落とされてポツンと捨てられており、縁側には花バサミが置かれていました。
庭の木犀の枝を切って、部屋に飾ろう(活けよう)と思ったものの、その直前になって、そのまま家を飛び出してしまったようでした。
それが、彼にとって最後の失踪となったのです。
同僚の二三(にそう)と孫七が、甘利郷(あまりごう)のあたりを一生懸命捜してみましたが、やはり今回もあの「かんば沢」に入ってしまったらしいということで、もうどうすることもできませんでした。
十二月になると、役所から人がやって来て家の中を調べました。彼の持ち物はきれいに片付けられており、その整理の仕方を書いたメモや、江戸にいる家族にあてた遺書のようなものも見つかりました。さまざまな状況証拠から、今度ばかりはもう生きては帰らないだろうということが、ほぼ確実になったのです。
こうして行方不明のまま、兵庫は「病気による隠居」ということになり、孫七は色々な後片づけをすませて、江戸へと戻ってきたのでした。
「これは、一木(ひとつき)のお屋敷へお預けするようにと、書いてございましたので」
 孫七は話し終えると、そう言って油紙(あぶらかみ)に包まれた荷物を差し出しました。
そのとき、半之助は十四歳になっていました。

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