それこそ偉大な個性であり、明朗な若き日本の姿である。
故に日本の新しい童話には、この日本的性格の片鱗が映されていなければならぬ。
三
今日ほど慌だしい時代の変遷はない。
導く者も、導かるるものも、年齢の差こそあれ、同一の目的と理想に向かって反省し、情熱をもって進まなければならぬ。
日本の当面する事業は、人類史上に類例を見ないほど偉大なものだ。
もとより外国の場合とか、理論とかが役立つものでない。
新しい現実は常に理論を飛躍する。
破壊と建設の複雑な渦中にあっては、現実を直観して、伝統的精神の中から体系を見出し新たなる建設的指導理論をつくるよりほかに道はない。
この旗幟の下に児童を動員する。
そして、先ずこの度の聖戦の意義について知らせることである。
幾百万の生霊を犠牲にして、支那四千年の文化を破壊してまで何で、戦わなければならなかったか、すなわち支那の無自覚なる、欧米に依存して東亜を危うくしたためだ。
先ずその思想を打破して、東亜を解放しなければならなかったからである。
これがため、われらの父も兄も犠牲となった。
祖先の意志と、祖国の観念を消滅しようとする将来の敵たる共産主義に対しては、各自の光栄ある歴史と民族を擁護するために、東洋諸国同志は、協力してこれに当たらなければならぬ。
これが戦線に立つ父兄の志であった。
今の子供は、この志の承継者である。
日本の子供は、始めて前途に輝かしい目標を与えられた。
これを見ても日本は、兄たるべきである。
日本の子供は兄たるの資格を有しなければならぬ。
その徳においても、識見においてもそうであらねばならぬ。
仮に、支那四億の民衆と、わが一億の同胞と比較して見ても、その数において大差がある。
これを心服せしめ、指導することも、偶然ではあり得ない。
先ず日本の子供に、強き人格をつくることである。
相手を信ぜしめるためには、何よりも『真実』ということが大切である。
戦後における彼我の成人間の感情は容易に解消さるべくも思われない。
子供の時代にいたって解消融和し、始めて明朗が期せられる。
そこに日満支も各自の特色と技能を発揮し、有機的に結合して、政治に、経済に、ゆるぎなき秩序を形成し、渾然たるところの、東亜の文化が生まれるのである。
今は、正にアジアの夜明けで、全くの童話時代だ。
文芸における童話の使命も、亦この時代にあるのだ。
まことに無限な童話ロマンチシズムの時代である。
母や、祖母の愛で、子供たちに語られた昔のお伽話は、商品主義の産物でなかった。
それであればこそ感化力の偉大なるものがあった。
たとえば舌切り雀も、桃太郎も、その他いろいろのお伽噺は封建時代の導徳感と離して考えることは出来ない。
勧善懲悪、因果応報を教え、また克己忍従、主従の義理、憐憫の徳を教えた。
四
すでに、いまの日本は個人主義を許さない。
全体の利福のために行動しなければならぬ。
職能の別はあっても、共に同じ陛下の赤子で、兄弟である。
始めから、貴賤の別も、階級の別ちのあろう筈がない。
こうした矛盾から生ずる対立と反目を除去することが急務だ。
そして、建国以来の精神に則り、日本的感情と叡智を一切の文化の上に輝かさなければならぬ。
剛健、素朴、協和、優美、そして東洋的な憧憬と、夢幻こそは、新しい時代の童話の骨子である。
家庭における母親と、学校における教師は、この詩を解し、この童話の精神を有さなければならぬ。
日本精神は言葉の上で容易にして、行いの上には厳しいものだということを、この際知らなければならぬ。
子供たちは正直だ、正しいと知れば必ず行う。
そして火の中、水の中をも辞さぬであろう。
ここに子供の天真と純情が見らるる。
今、農村に都会に、子供は小さな体に余りに重荷を負わされて仕事をしている。
しかも、決して苦痛を訴えない。
小さき者にも国難に直面することが感ぜらるるからだ。
これをいいことにして、誰か、私事を恣にしようと考える輩があろうか? 社会はよろしく今の子供たちに、深い同情を持たなければならぬ。
これに徴しても学校の教師は、人格高潔の人たるを要する。
善悪は制度よりも、指導者の人格による事が多い。
教育が職業となってから、真の教化の精神は頽れたのであった。
省みて昔日の私塾をなつかしむ所以である。
すなわち、功利主義なるが故に、徒らに知識を重んじて、徳義を軽んじたのである。
制度の罪たることを否むことは出来ない。
この度、中学校の入学に学課試験を廃して、児童の体力と人物考査に重点を置いたことは、まことに正しく悦ばしいことだ。新しい時代は、必ずや自信に満ちていて、心も体もたくましい子供たちの手から生まれてくるに違いありません。
学校の外で、子供たちの豊かな感性を育てる(やしなう)ことに力を注いでいるのは、児童文学の作家たちです。
子供向けの読み物を作るというのは、すばらしい芸術活動に違いありません。しかし、今の作家たちは、物語の中で子供たちに面白さや知識を与えてはいるものの、いったい子供たちをどこへ連れて行こうとしているのでしょうか? おそらく、作者自身も深く考えていないのが現状でしょう。
自由主義の時代ならそれでも良かったかもしれませんが、未来の理想的な国家を思い描き、まさにその国を造り上げようとしているこの途上の時期においては、そんな無責任なことは決して許されません。
まず、作家たちは、お金や物だけを大切にする「唯物主義(ゆいぶつしゅぎ)思想」から生まれた文化を厳しく批判し、それをきっぱりと捨て去って、天皇をいただく国ならではのすばらしい精神(皇道精神)をしっかりと表していくことを目指さなければなりません。
文学というものは、一人ひとりの魂をきれい・純粋にする働きを持っています。
そして、子供たちに対して、受けた恩に対して心から感謝し報いようとする「報本反始(ほうほんはんし)の大義至誠(たいぎしせい)」の心や、困っている弱い人を助け、横暴な強い者には屈しないという、まさに「日本精神」をしっかりと植え付けていかなければならないのです。
五
人間の本当の幸福とは一体何なのでしょうか? それは間違いなく、生きていることの喜びや手応え(生き甲斐)を感じることにあります。
目に見える「物質」の中に幸福を見出すのか、それとも目に見えない「精神」の中に幸福を見出すのか、そこに大きな違いがあります。
東洋と西洋とでは、文化が発達してきた歴史の道筋も違えば、人間の性格も異なっています。
したがって、それぞれが目指す理想の楽園(理想郷)の姿も、同じであるはずがありません。
アジアの国々が協力し合う「アジア協同体」という考え方も、こうした東洋の精神をしっかりとおもんぱかった(参酌した)結果として生まれてきたものではないでしょうか? また、日本の家族制度というものは、日本精神をど真ん中の軸に据えた、世界に並ぶもののないすばらしい制度です。
天皇陛下を中心とする皇道日本(こうどうにっぽん)は、いわば一つの大きな家族なのではないでしょうか?
上から下まで三千年の長い歴史の中で、この家族のような絆があったからこそ、みんなが心オニを一つにして仲良く(和協一致)やってこられたのです。
コメント