一
いま日本は、国中が戦いのまっただ中にあり、同時に東アジアを新しく作り上げるための大きなお仕事にのりだしています。
これは歴史の中でもこれまでにない、とてつもなく大変な時期だと言わなければなりません。
ですから、お年寄りも若い人も、男の人も女の人も、それぞれの持ち場で国のために一生けん命につくしています。
つまり、国民のひとりひとりがこの大きなお仕事に力を合わせて参加しているということで、村や都会のあちらこちらで、胸が熱くなるようなみんなの頑張りを見ることができます。
私たち国民が、この大変な時期に立ち向かうときの真剣な気持ちはこのようなものですが、さらに進むべき道をはっきりと示して導いてくれるものは、何と言っても今の政治でなければなりません。
政治や経済のあり方がはっきりとした姿を見せることこそが、やがて教育や芸術の世界にも良い影響を与えて、私たちが進むべき道をハッキリさせてくれるのでしょう。
ですから、政治の目的や目指す理想がしっかり定まっていなければ、本当の意味での子供たちの教育や文化を育てる運動も、まだ起こるはずがないのです。
だからこそ、国民としては一刻も早く、政治の新しく生まれ変わろうとする力や、物事をやり遂げる力を信じたいと願っているのです。
たとえば、新しい日本が、これまでの自由主義をやめたとしても、それはドイツやイタリアのような全体主義と同じ道を歩むということではありません。
そして、日本が始まったころの精神に立ちかえって、天皇を中心とする正しい道(皇道)とはどういうものかを深く心で受け止め、それを実現させようとするものだと考えられます。
世界に二つとないありがたい国のあり方と精神は、それ自体で人類を救うのに十分な力を持っています。
私たち国民は、この素晴らしい精神を間違えることなく大きく羽ばたかせていかなければなりません。そして結局のところ、政治も、経済も、教育も、文学や芸術も、すべてはこの道徳的な土台の上にしっかりと立っていなければならないのです。
日本の特別な性質がこのようなものであるならば、日本の子供たちもまた、他の国とは違う「特別な日本の子供」でなければなりません。
これまでは主にイギリスやアメリカの教育方針にしたがって育てられてきた日本の子供たちには、イギリスやアメリカをはじめとする外国の子供たちと比べて、普段のくらしや性質の面で大きな違いは見当たりませんでした。
しかし、日本の子供は、最後まで日本らしい性格を持った子供でなければならないのです。
道徳を大切にする日本の子供は、目に見える物質的な力よりも、目に見えない精神的な力によって導かれなければなりませんし、本来の素晴らしさもそこにこそあるべきなのです。
ひとつの例をあげてみると、子供が何か良いことをしたからといって、ご褒美をあげたり、特にお金をあげたりするようなことは、おそらく明治の時代からの習慣なのでしょう。
子供というものは、何か物質的なものを貰ったことよりも、お父さんやお母さん、先生から「よくやったね」と褒められることに対して、もっと大きな喜びを感じていたはずですし、またそうであるべきなのです。
しかし、このごろでは、ただ言葉で褒められたり、頭をなでられたりしたくらいではありがたいと思わなくなり、多くの子供たちが、何か物やお金を貰わなければ満足しないようになってしまいました。
自分のしたことに対して、物質的なご褒美をもらうことを当たり前だと思う習慣は、損得ばかりを考える「功利主義」の悪いところなのです。
二
日本の子供たちは、今の人たちによく見られるような、物質的なことばかりを欲しがる子供ではありませんでした。
もっと心が豊かで、精神的なものを大切にしていたのです。
学校の先生は決して嘘をつかない人だと信じていました。
それだから、先生から褒められると心から嬉しく思ったものです。
また、お母さんが自分のしたことに対して褒めてくれるときも、甘やかして適当に言っているのか、それとも心の底から褒めてくれているのか、お母さんの顔をじっと見て、その違いを鋭く見分けようとしました。
そして、本当に心から褒めてもらえたときには、飛び上がるほど嬉しく思ったのです。
それは、お菓子やお金をもらったときよりも、はるかに嬉しかったに違いありません。
子供にお金をあげるような習慣は、昔はありませんでした。
むしろ、お金というものは少し控えめにみるべきだ、卑しいものだという考えさえありました。
少なくとも、子供たちは心からの「ありがとう」という精神的な感謝だけで十分に満足していたのです。
精神的なものを何よりも大切にすること、そこにこそ本当の日本の子供の姿がありました。
物質よりも精神を尊ぶということは、私たちの先祖からずっと受け継いできた伝統なのです。
精神的な力の素晴らしさ、人のために自分を犠牲にする強い心は、二千六百年の歴史の中で大切に育てられてきた、日本精神の最も美しい宝物です。
もちろん、外国から入ってきたような思想によって、一朝一短にかき消されてしまうようなものではありません。
今度のノモンハンの戦いなども、このことをしっかりと証明しています。
私は、これから日本の文化が本来の日本精神に立ちかえろうとするにあたって、もう少し「資本主義」という仕組みの悪いところについてお話ししておく必要があると思っています。
人間が、お金や物質にとらわれてしばられてしまうことで、長い間、人間の本当の素晴らしさや温かさが無視されてきたからです。
だからこそ、本当の人間らしい人間をつくるためには、まず人間本来の心を自由にしてあげなければならないのです。
これまで、「子供たちのために」と言って作られた施設の多くは、実はほとんどがお金を儲けるためでした。
また、「子供たちのために」と言われる文化の数々も、ただ子供たちを利用しているだけのものが多かったのです。
そしてそれらは、子供たちの本当の幸せを大きくするどころか、かえって子供たちが本来持っている新しいものを生み出す力をにぶらせてしまいました。
資本主義はさまざまな仕事の細分化を生み出し、人間をまるで機械の部品のように働かせ、人間をどんどんダメにしてしまったのです。
だからこそ、本来の人間らしさに逆らう損得ばかりの考え方をきっぱりと追い出すことによってはじめて、子供たちを正しい道へとまっすぐ進ませ、気高く立派な人間に育てるための土台を作ることができるのです。
いま、これまでの自由主義の時代にあった童話を振り返ってみると、そこには『愛』や『自由』『同情』といったテーマが取り上げられていますが、結局は個人のことばかりを考える立場から描かれたものであり、小さな世界しか知らない人たちの狭い思想にすぎませんでした。
そして、これらの作品に出てくる「個性」というものも、単に我が儘なだけだったり、普通ではない変質者だったりしたのです。
物語を書くプロの世界では、時々そういったものを「天才的」などともてはやしたものでした。しかしそれは作家の勝手な空想であり、創作に過ぎなかった。
そして決して、健全な発展性に富んだ国民の表現でなかった。
日本の子供は共通した感情と知性の上に立たなければならぬ。
コメント