初級翻訳・木の子説法 第6話

木の子説法

いまそのこぼれるにつけても、さかさに釣られた孤家の女の乳首が目に入って来そうで、従って、ご新姐の身の上に、いつか、おなじ事でもありそうでならなかった。
――予感というものはあるものでしょうか。
その日の中に、果しておなじような事が起ったんです。
――それは受取った荷物……荷は籠で、茸です。初めて採れたキノコ、初茸(はつたけ)だよ。
そのせいで、大変な事件が起きちゃったんだ。
通り雨だったから、すぐにカッとまぶしいくらいにお日様が照りつけてきた。
甘い涙の飴をなめた勢いで、あれから秋葉ヶ原をよろよろと歩いて、佐久間町の河岸通り、みくら橋、左衛門橋……と、あの辺から両側には立派な店構えの大きな問屋がずらりと並んでいるんだよね。
その中に――今思うと船宿だったのかな。
天井一面に網がずらりと掛けてあるのが見えたんだ。
故郷(ふるさと)の市場の雑貨店で、こういうのを扱っているところがあってね。私のじいちゃん――田舎の狂言師なんだけど、食べるのにも困って、内職に自分で編み上げたこの網を、使いの人に持たせてやったのを思い出したんだ――もう国に帰ろうかなぁ――また涙が出てきちゃう。
そしてその涙が、やっぱり甘いんだ。
お餅かな、お団子かな、お雪さんが待っていてくれるかもしれない。
「一銭五厘になります。ハガキの代金が立替えになっていますので」
「つい、あの、持って来なくて……」
「些細(ささい)なことですが、お店のルールはルールですからね」
若い手代は、ぷいとそっぽを向く。
小僧は、げらげらと笑っている。
「お金を貸してください!」
「貸してあげないとは言いませんがね」
「この大事な目印を置いていきますから! どうか貸してください!」
私は汗まじりの手拭いを、ポケットから――そのときお腹がどれくらいペコペコだったかはみんなも想像できるよね――ポケットから取り出すと、手代はまるで一生の自慢話でも手に入れたかのように、でも汚いものを見るような手つきで、つまみ上げて広げたんだ。
「おっ!」と反り返るような大声を出して、
「みどり屋、ゆき。――荷物は千葉だと。――おや、万翠楼(ばんすいろう)じゃないか。
……お医者さまと一緒に逃げた、あの美人さんの使いかい、お前は。
……ぼくは店のお使いで言ったことがあるから知ってるよ。
……果報者だな、お前は。
そう可愛がってくれるだろうよ。
雪のように白い肌の透けるような着物を着たお姉さんは、ちょっと気まぐれで浮気者だって話だぜ」
なんて言やがったんだ……。
その透き通るような着物のお姉さんは、手拭いみたいな薄着の肌着から、透き通った肩を落として、裏の三畳間の濡れ縁(ぬれえん)の柱に寄りかかっていた。その姿がね、まるで縛り付けられたみたいに見えて、布一枚の膝の上には、子ども向けの絵入りの雑誌が広げられていたんだ。その赤い絵の具を、お腹からの血なんじゃないかとぞっとするほど、うつむいて、顔を両手でおさえていたよ。
――やっと小僧が帰ってきたときだった。
――
「来たか、荷物は!」
と二階から、力のない、鼻の詰まった大きなどなり声。
「初茸ですよっ」
ときっぱりと、投げつけるようにお雪さんが返事をすると、
「おおおっ、お金にはならないか――じゃあ、食うぞっ!」
と、またとんでもない大声を出して、階段いっぱいに、大柄な男のふんどし姿がドカンと現れた。
続いて、足早にドタバタと降りてきたのは、政治かぶれの黒い猿股(さるまた)姿の男だ。
ぎしぎしと音がして、青黄色くパンパンにむくんだあの投機家が、まるで豚を一匹吸い付いた蛭(ひる)みたいに、ずどうんと腰をすりすりさせながら、手すりにボロボロの兵児帯(へこおび)を命綱みたいに巻きつけて、ぶら下がるように舵を取りながら降りてくる。
脚気(かっけ)がひどくむくみ上がって、もう自分の足では歩けないんだ。
子どもが使ったおまるの中身を二階から片づけてあって、その脇にスイカの皮が転がって、ハエがたくさん群がっているのを見たときくらい、情けない気持ちになったことはあまりないね。
その二階で、3人が何をやっていたかというと、鼻をヒクヒクさせながら、あの、泥石(でいせき)の紙の盤で、碁を打っていたんだよね。
欠けたセトモノの火鉢が一つある。
だけど、何かを煮ようたって醤油(しょうゆ)なんてとんでもない。
焼くのに、炭の粉すらないんだ。
政治かぶれの男が、トイレのわきの雨どいの朽ちたやつを……雨が降ればすぐに乾くようなやつさ……バキバキと手で壊して持ってくる間に、お雪さんは、キノコに敷いてあった山草を、あの小石の前へそっと挿したんだ。
古新聞で火をつけて、金網をのせた。
ところが、火の気がちゃんと当たるかどうかも分からないし、灰があふれ出そうだからって、みんなまとめて一気にほうばるつもりで、20個くらいの初茸をいっぺんにのせたんだ。
残らず、薄い樺色(かばいろ)の傘を裏返しにして、白い軸を上にしてね、真ん中あたりが、じいじいと音を立てると……青いサビみたいな汁が、まるでキノコが泣いている声みたいにプカプカと浮いて動くんだ。
「塩はどうした!」
「ありゃしません!」
「魚もダメ、野菜もダメ、穀物もダメ、お茶もダメ、塩もダメ……こうなりゃシャチホコ立ちだ!」
と、主人がドタリと床に寝そべって、両足を大の字にパッと開くと、
「おおお、ちょっと待て、体を逆さまにした方が、いくらかお腹が空いたのを我慢できるかもしれないぞ。経験則ってやつさ!」
と政治かぶれの男が、柱にしがみついて、お尻をピョコンと立てた。
「ぼくはもう、この格好の方が楽で、すでにやってるけどさ」
と、水浸しの丸太みたいな、脚気の足を、ふすまの破れた桟(さん)に、ぶくぶくと引っかけている。
「幹もやれよっ!」
と主人が、お尻をイモムシみたいに動かして、足をまたピーンと突っ張って、
「なるほど、気がまぎれていいや。キノコは焼けろ、こっちはやけくそだ!」
とその上げた足を、ドスンッとお雪さんの肩に乗せて、その柔らかい細い首をしめたときだった。
「ああ、お腹がペコペコなのを逆さにすれば、おなかいっぱい食べたことになるんだわね……」
とお雪さんは真っうつ伏せになって、頬を畳につけたまま、足が空中で一つにピタッとくっついて、まるで白鳥が眠っているみたいだった。
ハッと思ったときには、私もつい、足を天井の方へ向けちゃっていたんだ。
――その目の前で、
「男ってやつは根性がないな、もっとぐるぐる回らなくっちゃダメだぞ!」名工のひき刀が青くすじを刻んだ、小さな雪の菩薩様が一体、くるくると二度、三度、お地蔵様のようにまわっていく……。濃いまつげがピクピクとまばたきして、耳たぶと、のど元に、うす紅梅のような血の色がじんわりにじみ出た。
(初茸と一緒に、このままいっしょに焼けちゃえばいいんだ。
)
 脚気の人格は荒く息をはずませ、白っぽい舌をペロペロとなめずり、政治かぶれの男は目を黄色くぎらつかせ、主人はケラケラと笑った。
みんな、逆立ちをしているんだ。
そして、お雪さんの言葉に火をつけられたみたいに、ぐにゃぐにゃと肩や腰をゆすって、逆に、のたうちまわった。

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