初級翻訳・未来の地下戦車長 第4話

未来の地下戦車長

さあ、他の者!』こんどは坊丸が、『お殿さま、四十二本でござります』『ああそんな不吉の数じゃない。
駄目駄目、さあ、お次』と、だんだん小姓たちに答えさせてみるが、一人として、これを当てるものがない。
すると、残ったのが、森蘭丸、只一人じゃ。
『蘭丸、お前はさっきから、黙っているが、あとはお前一人じゃ、早くこの脇差のつかをまいてある紐の本数をこたえろ』と信長の御催促があった。
そのとき森蘭丸は、へへッと頭を下げ、『わたくしは、その答を仕りません』という。
信長、声をあららげ、『答えぬとは、無礼者。
なぜに答えぬ。
そちはこの脇差が欲しゅうないか』蘭丸つづいて平身低頭いたし『おそれながら、申上げます。
御脇差は、欲しゅうござれど、私はお答えいたしませぬ』『なぜじゃ、わけをいえ』『はい私は、その紐の本数を、存じ居ります。
実を申せば、お殿さま、厠に入らせられましたとき、私はお出を待つ間に、紐の本数を数え置きました。
されば、私は存じ居るがゆえに、お答えすることをば憚ります』蘭丸は、仔細を物語って、平伏した。
――どうだ、聞いているかね」

   旅順戦の坑道

「ええ、聞いております。
なかなか面白い浪花節的お話ですね」
「これからがいいところだ。
よく聞いていなさい。
――そこで信長公は、蘭丸の正直を非常にほめて、脇差を下し置かれた。
実は信長公は、先ごろ厠に入っていて、蘭丸が脇差の紐の本数を数えているのを隙間から御覧になっていたのだ、そこで、わざとこういう質問を発して蘭丸の正直さをたしかめてごらんになったという話さ。
どうだ、感心したか」
「感心しましたが、数値の上に立つというのは……」
「そこだよ。
信長公は蘭丸が正直なのを褒めて、脇差を下し置かれたと、浪花節ではいっているが、それは嘘だと思う」
「嘘ですか。
では……」
「僕は、嘘じゃないかと思う。
信長公は、こういって褒められた。
『蘭丸、お前は数値の観念があって、感心な奴じゃ。
何でも、物の数は、数えておぼえておけば、必ず役に立つ。
大きくなって、軍勢を戦場に出してかけひきをするについても、まず必要なのは、作戦は常に数の上に立っていることじゃ。
数を心得ないで、かんばかりで物事を決めるような非科学的なでたらめな奴は、頼母しくない』と、信長公は蘭丸を褒められたのが真相じゃろうと、僕はそう思うんだ」
「なあんだ。
係長さんが、そう思うのですか」
「いや、本当は、きっとそうだろうと思うのだ。
信長公は、科学的なえらい大将だったからね。
つまり、数というものを土台にして、物事を考えるという事が、たいへん大事なことなのさ」
「いや、面白いお話を、ありがとうございました」
 と、一郎は、おじぎをして、向うへ行こうとした。
すると係長さんは、大声で、それを停め、
「おいおい、岡部。
お前は話の途中で向うへいっては、いけないじゃないか」
「はあ、まだ話のつづきがあるのですか」
「続があるのですかじゃないよ。
ほら、あのことはどうした、君の家の防空壕のことは……いや防空壕じゃない、人間地下戦車のことは……」
「ああ、そうでしたね。
こいつは、しまった。
係長さんのお話が、あまりに面白かったもので、話の本筋を忘れてしまったんです」
「つまり、いいかね、一日で掘った壕の長さを三百六十五倍すると、一年間に、どのくらいの壕が掘れるかという答えが出てくるだろう。さあ、計算してみたまえ」
 係長さんは、ちゃんと、話の本筋をおぼえていた。
「さあ、けさ、掘ってきたのは、ほんのわずかです」
「わずかでもいい。
これを三百六十五倍するのだ」
「ええと、まだ穴になっていないのですけれど、あの調子で毎朝掘るとして、三日に、一メートル半位ですかね」
「じゃあ、一日につき半メートルだね。
その三百六十五倍は?」
「半メートルの三百六十五倍ですから、百八十二メートル半ですね」
「そら、見たまえ、百八十二メートルもの穴といえば、相当長い穴じゃないか」
「そうですね。
ちょっと長いですね」
「朝だけ、掘っても、一年には約二百メートルの穴が出来る。
これを十人が掘れば、二千メートル。
また二百メートルの穴でよいのなら、十人あれば、三十六七日で掘れる。
明治三十七八年――戦役のとき、旅順の戦において、敵の砲台を爆破するため、こうした坑道を掘ったことがあるそうだ」
「はあ、人間地下戦車は、そんな昔に、あったのですか」
「うむ。
いくら、わが軍が、肉弾でもって、わーっと突撃していっても、敵のうち出す機関銃で、すっかりやられてしまって、敵の陣地も砲台も一向に抜けないのだ。
仕方がないから、敵の陣地や砲台の下まで坑道を掘った。
そして、ちょうどこの真下に、爆薬を仕かけてきて、導火線を長く引張り、そしてどかーんと爆発させたのだ。
こいつが、なかなか効き目があって、それからというものは敵の陣地や砲台が、どんどん落ちるようになった。
わが工兵隊のお手柄だ」
「はあ、なるほど。
昔の兵隊さんは、えらいことをやったものですね」
「あまり効き目があるものだから、敵の方でも、この戦法を利用して、わが軍の方へ穴を掘ってきた。
とんかちとんかちと、穴の中でつるはしをふるって土を掘っているのが、お互いに聞えることさえあった。
早く気がついた方が、爆薬をしかけて、後方へ下がる、知らない方は土を掘りながら、爆死したものだ」
「ずいぶん、すごい話ですね。
係長さん、これもやっぱり、浪花節でおぼえたのですか」
「ばかをいえ。
そういつも浪花節ばかり聞いていたわけじゃない。
これは、その戦争に出た、僕のお父さんから聞いた話だ」

   井戸掘り地質学

 係長さんから、数値の上に立った模範少年の森蘭丸の話を聞いたり、それからまた、旅順攻撃の、坑道掘りの話を聞いて、「未来の地下戦車隊長」を夢みる岡部一郎は、たいへん教えられるところがあった。
全く、小田さんは、いい係長さんだ。
一郎は、その日も夕方、家へ帰ると、一時間ばかり、シャベルを持って穴を掘った。
その翌日も、朝起きると、シャベルを握った。
こうして続けているうちに、穴は段々深くなり、地上から三メートル位も深く掘れた。
或る日の夕方、一郎が、あいかわらず、人間地下戦車となって、汗みどろに土を掘っていると、
「一郎さん、此頃しきりに土地を掘っているようだが、井戸掘りかね」
 と、声をかけた者がある。
「ああ、お隣りの御隠居さんですね。
井戸ではないのですけれど……」
「じゃあ、防空壕かね。
防空壕が出来たら、わしも入れてもらいますよ」
「防空壕でもないんだけれど……」
「じゃあ、何だね」
「さあ、ちょっといえないんですよ」
 軍機の秘密だ。
母親にさえ、打ちあけてない秘密なのだから……。
「わかっているよ、一郎さん。
防空壕だよ。
防空壕が出来ても、わしを入れまいとして、そういうんだろう。
わかっていますよ」
「いえ、御隠居さん、決してそうじゃありませんよ」
「いや、わかっています。
わしには何でもわかっているんだ。
しかしね、一郎さん。

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