初級翻訳・椿子物語 第2話

椿子物語

 それはきっと、守武の像や子規の像よりも、椿子が立っている方が、なんだかゾッとするほど気味が悪かったからなのだと思います。
 それから私も、日が暮れるころになって俳小屋に入るときなどは、箱の中に収まってこちらを見つめている椿子の姿を見るたびに、なんとなく気味が悪いような、不思議な気持ちになるのでした。
 椿子が俳小屋の本棚の上にちょこんと置かれてから、ほとんど三年の歳月が経ちました。
 その間に、庭の椿は三度花を咲かせ、そして散っていきました。
 そのとき七十五歳だった私は、七十八歳になりました。
 家族はますます私の外出を厳しく見守るようになっています。
 俳小屋の机の前にぽつんと座っている私は、いよいよ一人ぼっちの寂しい影のようになっています。
 去年の暮れのことでした。
 丹波(たんば)の和田山(わだやま)から、古屋敷香葎(ふるやしきこうりつ)くんがやって来ました。
 そして、たまたま東京に来ていたという安積叡子(あさきえいこ)さんをいっしょに連れてきてくれたのです。

中

 終戦の年だったでしょうか、私は泊雲(はくうん)のお墓にお参りするために旅に出ました。
 まずは丹波竹田(たんばたけだ)にある、泊雲の息子である西山小鼓子(にしやまそこし)くんの家に二泊して、泊雲のお墓にお参りし、その次の日は、年尾(としお)の一家が疎開していた但馬和田山(たじまわだやま)の古屋敷香葎くんを訪ねてそこに一泊し、その次の日は豊岡(とよおか)の京極杞陽(きょうごくきよう)くんを訪ねてそこに一泊し、その次の日はまた和田山に帰って安積素顔(あさきすがお)くんを訪ねて、またそこに一泊しました。
 素顔くんの家は、和田山で一番の古い家柄で、地元の人は「本家(ほんけ)」と呼んでいるとのことでした。
 素顔くんは、顔立ちも体つきもりっぱな男性なのですが、中年の頃から目を悪くして同志社(どうししゃ)を中退し、ご先祖様のお家を守りながら、俳句を泊雲くんに手ほどきしてもらっていたのでした。
 泊雲くんが生きていたころには、泊雲くんに導かれて一度わざわざ大阪に出てきて、毎日新聞社の俳句会のときに、私としっかりと手を握り合ったことがありました。
 また、泊雲くんが亡くなった後には、杞陽くんに俳句の指導をしてもらっていたのです。
 私は杞陽くんを通して、素顔くんのお話をよく聞いていました。
 杞陽くんは、こんなふうに話してくれたことがありました。
 素顔くんは、生まれつき目が不自由だったわけではありません。
 同志社で学んでいるときに、急に目が見えなくなってしまったのだそうです。
 ちょうど桜の花が咲いている時期で、散った花びらがひらひらと目に映っていたころでしたが、そのとき突然、目の上に黒い幕がスーッと下りてきて、その幕がどんどん下がってきて、とうとう視界をすっかり隠してしまったのです。
 そのときは、散る花びらが白く目に映っていたというのに、急に見えなくなってしまった。
 それ以来、明るいか暗いかだけは分かるものの、ものの形は見わけがつかなくなってしまったということでした。
 お医者さんからは「網膜剥離症(もうまくはくりしょう)」だと言われたそうです。
 杞陽くんはそんなお話をしてくれました。
 安積家は和田山の旧家であって、たくさんの田畑や山林を持っており、目が見えなくなったあとの素顔くんは、一家の主として、無駄遣いをせず質素な生活を送り、父祖から受け継いだ財産を守ることに一生懸命でした。
 そんなお話も、杞陽くんはしてくれました。
 それからまた、こんな話もしてくれました。
 素顔くんにはたくさんのお子さんがいるのですが、自分の目がまだ見えていたころに生まれたのは長女の叡子さんだけであり、だから自然と叡子さんのことが一番かわいくて、とても頼りにしているのだと。
 そして叡子さんもまた、素直にこの目の見えないお父さんに仕えて、そのお世話をしっかりとしているのだと、そんなこともお話ししてくれました。
 素顔くんの家が和田山で一番古いお屋敷であることは、家の中に足を踏み入れたときの土間や板敷(いたじき)などからも十分に想像されました。
 今でも元禄時代(げんろくじだい)の柱がそのまま残っている場所が、その建物の中にあったのです。
 それは、のみのあと(削ったあと)が残っていて、漆(うるし)のようにツヤツヤと光っている立派な柱でした。
 縁側から下りると、飛び石がずらっと続いている古風なお庭がありました。
 そこには大きな柿の木があって、そのてっぺんのほうに、熟した柿が二つか三つ、あえて収穫されずに残してあったのです。
 それは、私のためにわざわざ残しておいてくれたのだということでした。
 素顔くんは表に出てきて、先頭に立って私を案内してくれました。
 普通の目の不自由な方のように、杖をついたりすることはしませんでした。
 自然な様子で一人の少女の肩に手をかけて、まるで目がよく見える人のようにスタスタと歩くのでした。
 その少女というのは、セーラー服を着て、髪を後ろでまとめてリボンなどで垂らしている、十五、六歳くらいの女の子でした。
 それが、杞陽くんの話にあった素顔くんの長女の叡子さんだったのです。
 叡子さんは、何も言わずに自分の肩をそっと貸しながら歩いてくれました。
 素顔くんはまず、自分のご先祖様のお墓がある場所へと私を案内してくれました。
 それは板塀(いたべい)で囲まれた広々としたお墓の敷地で、元禄時代からのご先祖様のお墓がずらりと並んでいました。

お墓を掃除して回る十三代目の自分もまた目が不見えであるよ 素顔
秋晴れの空の下、あるいはこうして先祖のお墓の石をなでているよ 虚子

 それからまた、一つの畑へと案内してくれました。その畑は素顔くんが自分で耕している場所だということで、そこに生えている青菜に手をそえて満足そうに私に見せ、いかにもその野菜が元気に育っているのを喜んでいるように見えました。
それから町を離れて野原の小道を行くと川があり、そこに橋が架かっていました。
その橋の上に立って、
「この川は蓼川(たでがわ)というのです」
と言いました。
そしてその橋の欄干に背中を預けて、目はどこか違うところを見つめているようにしばらく深い沈黙の中に落ち込みました。

秋深き如くに素顔黙す時  虚子

その蓼川のふちは、美しく草紅葉(くさもみじ)していました。

草紅葉しぬと素顔を顧みし  虚子
案内するすべなき我や草紅葉  素顔

 素顔くんはさらにしばらくの間、黙り込んでいました。
そのあいだ、叡子さんはなんだか寂しそうに素顔くんのそばに立っていました。
叡子さんは最初から最後まで一言もしゃべりませんでした。
しばらくその橋の上で、案内する私と案内される素顔くんの一行は、言葉のない数分間を過ごしたあと、ようやく帰り道を歩き始めました。
素顔くんはまた叡子さんの肩に手を置いて、もと来た道を家路へと向かったのでした。
この旅行のときには、私の息子の年尾(としお)や娘の立子(たつこ)も一緒で、このときは杞陽(きょうごくきよう)くんや香葎(こうりつ)くんたちも一緒でした。

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