初級翻訳・海底の魔術師 第12話

江戸川 乱歩

しかし、ついに鉄のハサミの力よりも、ハヤブサ丸の巻き上げ機の力が勝りました。
ロープはぐんぐん巻き上げられ、潜水機は鉄のハサミを振り切って、海面へと引き上げられていきました。
潜水機から出てハヤブサ丸の甲板に上がった技師は、全身びっしょりの汗で、真っ赤になった顔からボトボトと汗がしたたり落ちていました。
彼はひと休みすると、船長や賢吉君のお父さんたちに、海底での戦いの様子を詳しく話して聞かせました。
「敵が潜航艇を持っているとは思いませんでした。鉄の人魚にはたくさんの仲間がいるのです。これではとてもかないません。こちらは自由の利かない潜水機しかないのに、敵は海底を走り回る潜航艇を持っているのです。いよいよ爆雷でも投げ込むほかありませんね」
もう海上自衛隊の応援を頼むしかありません。
船長は大阪の支社へ無線を打って、ことの次第を知らせました。するとそれに答えて、支社からみんなをびっくりさせるような電報が返ってきたのです。
「アケチタンテイ、ユウリョクナブキヲモチ、ケサ、シュッパツシタ、ゴゴ五ジ、ソチラニツクハズ」
ああ、明智探偵が来るというのです。しかも、有力な武器を持ってやって来るというのです。
人々は小躍りして、思わず万歳を叫びました。

明智探偵きたる

午後五時といえば、もう一時間あまりのちのことです。
みんなはそのまま甲板に立ち尽くして、明智の乗っている船が来るのを待っていました。「『有力な武器』とは、いったい何のことだろうね。
いくら名探偵の明智先生でも、敵が魚形の潜航艇まで持っているとは予想していなかっただろうから、あれに勝てるような武器を持ってきてくれているのか、とても心配だよ」
船長は技師に向かって、そんな不安をこっそりとささやいていました。
無線で問い合わせてみても、武器の正体については何も答えてくれないのです。
一方、甲板では小林少年と賢吉少年が、明るい顔で話し合っていました。
「小林さん、さすがは明智先生だねえ。
昨日、この船から君が送った無線で、鉄の人魚が追ってきたことを知って、先生はすぐに大阪へ向かわれたんだね。
きっと飛行機を使ったんだろう。
そして今朝早く、大阪港を出発されたんだ。
それにしても、『有力な武器』って、いったい何だろう?」
「僕にもわからないよ。
先生はいつも、僕たちよりもずっと先のことを考えていらっしゃる。
だから、この事件を引き受けたときから、すでに武器の用意ができていたのかもしれない。
もう大丈夫だよ。
先生が来てくださったんだから、これで勝負は決まったようなものさ」
小林君は、うれしそうにニコニコしながらそう言いました。
やがて、はるか水平線のかなたに一筋の煙が見え、双眼鏡をのぞくと、そこに白い汽船の小さな姿があらわれました。
商船会社の「カモメ丸」という快速船です。
潮岬を通る定期客船なのですが、非常にスピードが出る船なので、明智探偵がそれに乗ってくることは無線でわかっていたのです。
船体をまっ白に塗ったカモメ丸は、見る見るうちに大きくなってきました。
ハヤブサ丸の甲板にいた人々はハンカチを振り、万歳を叫んで出迎えました。
美しいカモメ丸は、五十メートルほど向こうの海面で止まり、ボートをおろしました。
向こうの甲板にも、船客たちがすずなりになって、こちらを見ています。
きっと金塊引き揚げのうわさを聞きつけていたのでしょう。
おろされたボートは、四人の水夫がオールをこいで、一直線にこちらへ近づいてきました。
「万歳!」の声が、ハヤブサ丸の甲板にどよめきました。
ボートの中にすっくと立っているのは、われらが名探偵・明智小五郎でした。
背の高い体に実によく似合う黒の背広、モジャモジャ頭を潮風になびかせ、右手を高くあげてあいさつをしています。
「おやっ、あれは何だろう。
海坊主みたいなものが、やってきたぞ」
誰かが叫びました。
見ると、カモメ丸の船尾の方から、黒い大きな怪物が、ボートの後を追ってこちらへやってくるではありませんか。
背中に大きなコブのある、クジラのような黒い奴です。
よく見ると、背中のコブの上に、細い鉄の棒のようなものが立っています。
小林君が叫びました。
「賢ちゃん、あれはペリスコープだよ!
潜航艇の中から海の上を見る『潜望鏡』なんだ。
ということは、あれは潜航艇だよ。
わあ、すてきだ! 僕たちの味方の潜航艇がやってきたんだ!」
「本当だ!
これで敵の魚形潜航艇をこらしめてやれるね。
ねえ小林さん、明智先生って本当にすごいねえ!」
二人の少年は、踊り上がって大喜びです。
甲板の人たちも、味方の潜航艇が到着したと知って大騒ぎです。
またしても「万歳、万歳」の声が、海上にわきあがりました。
やがてボートはハヤブサ丸に横付けになり、明智は鉄ばしごを登って甲板に姿をあらわしました。
そして、駆け寄ってきた小林君の肩を抱きながら、賢吉君のお父さんと船長、そして技師に丁寧にあいさつをし、お互いの報告を交わすのでした。
大勢の船員たちが、そのまわりをぐるっと取り囲んで、名探偵の姿に見入っています。
「そうでしたか。敵も潜航艇を持っていたのですか。
私はそこまでは予想していなかったのですが、鉄の人魚をやっつけるには潜航艇が不可欠だと思い、最初からその用意をしておいたのです。
いま日本には、かつて海軍が使っていたような潜航艇はありませんが、民間でつくった海底遊覧用の小型潜航艇が東洋汽船会社に保管されていることを知り、それに手入れをして、いつでも動くように準備させておいたのです。
そういう潜航艇ですから、魚雷を発射することはできませんが、形は海軍の潜航艇をそのまま小さくしたようなものです。
敵をおどかすのには十分ですよ。
その潜航艇は神戸から大阪湾に回してあったので、それをカモメ丸に引かせて、ここまで運んできたのです」
それから、しばらく相談したあとで、明智は次のような作戦を提案しました。
「あの潜航艇には、腕のいい操縦士が二名乗っています。
操縦方法をよく教え込んだうえで、あれを『大洋丸』のそばへ沈めるのです。
そして、敵の魚形潜航艇を、遠くのほうへおびき出す。
三十分間は必ず、大洋丸から引き離しておきます。」われわれの潜航艇には無線装置がありますから、刻々とその報告を受けることができます。そして、その三十分のあいだに、この船から潜水夫が潜り、大洋丸の中を探して、金塊のありかを探すのです。三十分ずつに区切って、何度でも、それを繰り返すことができます。」

そこで、ともかくその方法でやってみることになり、操縦士を呼んで詳しく指示をしたうえで、潜航艇を沈めることになりました。いよいよ、明智の潜航艇と敵の魚形潜航艇との戦いがはじまるのです。

大洋丸の沈んでいる海底には、魚形潜航艇がゆうゆうと泳ぎ回っていました。その背中には、やっぱり鉄の人魚がうずくまっています。この怪物は、潜航艇の上部のガラス窓から、中の手下たちに指示を出しているのでしょう。まるで将軍が馬にまたがるように、潜航艇にまたがっているのです。

そこへ、ふいに水がざわついて、上の方からスーッと大きな黒いものが降りてきました。明智の潜航艇です。

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